高知新聞に長谷部恭男早稲田大学大学院教授のインタビューが載ってます。
長谷部教授と言えば、自民党・公明党・次世代の党の推薦なのに、「安保法制」=戦争法案について
「集団的自衛権の行使が許されることは、従来の政府見解の基本的論理の枠内では説明がつかず、法的安定性を大きく揺るがすもので憲法違反だ。自衛隊の海外での活動は、外国軍隊の武力行使と一体化するおそれも極めて強い」
と言いきってくださった憲法学者ですね。
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その長谷部先生がインタビューでおっしゃっていることが、いちいちごもっとも。
しかも、例えが秀逸で、わかりやすいブログ記事をモットーにしているわたくしも思わず嫉妬してしまいます。
―長谷部さんは「現行憲法に改正すべき点は見当たらない」と著書で述べています。
「今のところはそう。与党の皆さんは『安保法制が通れば日本はより安全になる』とおっしゃるけど、そんな保証は全くない。仮に安全保障環境が以前より危険だと言うなら、日本の限られた防衛力を地球全体に拡大するのは愚の骨頂。サッカーで自陣のゴールが危ないのに選手を敵サイドに分散させるチームがありますか?」
というやり取りなんて、なんでこの例え思いつかなかったかあ!と悔しくなりました。
ほんとにそうですよ、中国や北朝鮮がいて日本が危ないなら、日本の防衛力は日本列島とその近海に集中するのが当たり前ですよね。ホルムズ海峡に行ってる場合か!
他にも素晴らしい発言が多々あって
―長谷部さんは「現行憲法に改正すべき点は見当たらない」と著書で述べています。
「米国に軍事協力をすれば、日本の安全保障にも参加してくれると希望的観測を抱く人もいるようだけど、それは甘い。米国は自分の国のためにしか軍隊を動かしません。どこの国もそうです。さらに米国は本格的な軍事行動に連邦議会の承認が必要で、大統領制下では議会が政府の言うことを聞くとは限らない。日本の国会承認とは全く違うものです」
など、読みどころ満載です。
あと、
―衆院憲法審査会の後、政府・与党側から参考人の「人選ミス」との声が出てきました。安全保障関連法案を合憲という憲法学者もたくさんいる、と。実際、いるんでしょうか。
「圧倒的多数、99%の学者は違憲の立場ですよ。少なくとも集団的自衛権はそう。残る1%はどんな人かと? 私の口からは申し上げられない。あまり付き合いもないし、学会でも会わない…。かなり偏った立場です」
とは傑作ですね!
というわけで、全文引用します。
題して、「集団的自衛権丸ごと違憲!」
集団的自衛権丸ごと違憲 高知新聞が長谷部・早大教授にインタビュー |
2015年06月10日07時58分 |
解釈変更の拡大懸念
国会で審議中の安全保障関連法案について、6月4日の衆院憲法審査会で「集団的自衛権の行使は違憲だ」と発言した自民党参考人の長谷部恭男・早稲田大学教授(58)が高知新聞のインタビューに応じ、「憲法9条があるのに集団的自衛権の行使を認めることはあり得ない」と述べた。行使には憲法改正が必要と強調し、解釈変更によって進める安倍政権の動きを「末期的だ」と厳しく批判した。
長谷部教授は集団的自衛権の行使に従前から反対している。
インタビューの中で長谷部教授は、安全保障関連法案の成立を目指す自民党の推薦ながら国会で「違憲」と述べた理由について「聞かれたから、自分が思う通りに話した。集団的自衛権に関しては丸ごと違憲だ」と語った。
現行憲法では集団的自衛権が行使できないのは「歴代の政府が言ってきたこと。(今回の安保法制は)次元が全く違う。まっとうな手段じゃない」と反対の立場を強調し、「安全保障環境が以前より危険だというなら、日本の限られた防衛力を地球全体に拡大するのは愚の骨頂だ」と指摘した。
解釈変更で事実上の憲法改正を進める現政権の動きを「異常だ。変な国になる」と強く反発。仮に集団的自衛権が行使可能になったとしても、「イスラム国の掃討作戦には参加しない」とした首相発言に対し、「今の首相がそう言っただけ、という話になる」とし、時の権力者によって解釈変更が拡大する懸念を示した。
ホルムズ海峡にイランが機雷を敷設するという想定も「考えられない。全くのファンタジーだ」と述べた。
長谷部教授はさらに「憲法が再び根本的に変われば大戦争が起きる可能性は常にある」「憲法のことを日々考えずに済む国民は大変ハッピーだが、今回は根幹を変える話。いずれ日々考えるようになるかもしれない」と述べた。
また、審査会後に与党から「人選ミス」との声が出たことについては「99%の憲法学者が違憲との立場。(人選ミスと言うなら)合憲だという学者を探してください、という話。立憲主義について語る素養があって、かつ、合憲だと言える人がどこにいるのか」と強く反論した。
取材は8日、東京の早稲田大学で行われた。
はせべ・やすお 憲法学者。憲法学の権威と言われた故芦部信喜・東大名誉教授の門下生。1979年東大法学部卒。学習院大教授、東大大学院教授などを経て、2014年から早稲田大学法務研究科教授。議論を呼んだ特定秘密保護法には賛成し、特定秘密保護法案の国会審議では自民党推薦の参考人として意見を述べた。著書に「憲法と平和を問いなおす」「憲法とは何か」など。広島市出身。58歳。
異常な解釈改憲
「集団的自衛権の行使は違憲です」。憲法学者の長谷部恭男・早稲田大学教授(58)は高知新聞のインタビューの中で、4日の衆院憲法審査会と同様、集団的自衛権行使を可能にする安全保障関連法案を「違憲」と断じた。一内閣の解釈変更によって憲法を事実上変えていく動きを「異常」とも言う。衆院審査会での発言の真意や安全保障関連法案の問題点、立憲主義とは何かなどについて、じっくり語ってもらった。
▼集団的自衛権 9条で認められず
―4日の衆院憲法審査会に自民党の参考人として出席し、安全保障関連法案については「集団的自衛権の行使が許されるとした点は憲法違反だ」と述べました。自民党側から(発言内容に関して)何か事前に要請はありましたか。
「あまり知られていませんが、参考人が何党の推薦を受けているのかは、実ははっきりと分からないことが多いのです。(衆院の)事務サイドから連絡が来るので。特定秘密保護法のときも参考人として(国会審議に)出席しましたが、自民党の推薦だと言われたのはその場です。今回も『自民党かもしれない』ぐらいのことは、ぼんやりとうかがっていましたが」
―長谷部さんは以前から、著書などで集団的自衛権の行使に反対していました。
「その点は変わっていません。今回の安保法制も、集団的自衛権に関しては丸ごと違憲です。条文の形になっているのは法案の一部ですが、核心的部分ですからね」
―具体的には。
「自衛隊法改正案がそうです。『存立危機事態』でも防衛出動を命じることができる、というのは、明らかに集団的自衛権の行使を想定しています」
―「後方支援」についても、戦闘地域と非戦闘地域の線引きがなくなる、と言われています。
「従来の政府見解として、いわゆる『大森4要素』があります。現場指揮官がその場その場で判断するのは困難なので、『戦闘地域』と『非戦闘地域』に明確な線を引き、後者の範囲内で活動すると。そうすれば武力行使との一体化の恐れはないとされてきました」
「今は国会で『弾薬も提供する』とか、『発進中の航空機の給油もする』とか言われますが、常識的に考えれば一体化してますよね。『戦闘現場でのみ自衛隊は後方支援活動をしない』と言うだけでは、一体化を避けるのは無理です。戦争とは生き物。どんどん動きますから」
―これまでも憲法解釈を通じて自衛隊活動は広がってきました。過去の問題と今回の安全保障関連法案は、どう違うのでしょうか。
「全く次元が違いますね。憲法9条によって(日本の)武力行使は原則ゼロになっています。しかし国民の生命、財産も守れない、というわけにはいかない。それはどこの政府も最低限やる活動だろうということで、『9条の範囲でどこまで許されるのか』で個別に法律を作ってきました。その際も9条があるから、認められるのは個別的自衛権。わが国が外国から攻撃されて、ほかに手段がないときは最低限の実力行使は認められるという話でした。これは憲法の原則が広がったことを意味しません」
「しかし、集団的自衛権は早い話、他国の防衛のために武力行使をすること。9条があるのに、これを認めることはあり得ない。いや、これは私だけが言ってるんじゃなくて、歴代の政府がずっとそう言ってきたのです。集団的自衛権を行使するなら憲法を改正しないと駄目だ、と繰り返し確認されてきた話です。解釈を変えるのは、まっとうな手段とは言えません」
―長谷部さんは「現行憲法に改正すべき点は見当たらない」と著書で述べています。
「今のところはそう。与党の皆さんは『安保法制が通れば日本はより安全になる』とおっしゃるけど、そんな保証は全くない。仮に安全保障環境が以前より危険だと言うなら、日本の限られた防衛力を地球全体に拡大するのは愚の骨頂。サッカーで自陣のゴールが危ないのに選手を敵サイドに分散させるチームがありますか?」
「米国に軍事協力をすれば、日本の安全保障にも参加してくれると希望的観測を抱く人もいるようだけど、それは甘い。米国は自分の国のためにしか軍隊を動かしません。どこの国もそうです。さらに米国は本格的な軍事行動に連邦議会の承認が必要で、大統領制下では議会が政府の言うことを聞くとは限らない。日本の国会承認とは全く違うものです」
―安全保障関連法案が成立すれば、軍拡競争につながるという懸念の声もあります。
「与党の方々は『抑止力を高める』とおっしゃるが、こちらが高めると、向こうはさらに軍備を増強するかもしれない。第1次世界大戦も第2次世界大戦も、抑止力競争の結果として始まりました。『抑止力を高めれば平和になる』というのも希望的観測です」
―歴史を振り返っても抑止力競争の行き着く先は、戦争ということでしょうか。
「抑止力を高めても安全になる可能性はない、とは申しません。より危険になる可能性も少なくとも同じ程度あるということです。日本周辺の安全保障環境はそんなに変わっていないはずですがね」
【大森4要素】 自衛隊の海外派遣に際しては、他国軍の武力行使と一体化するのではないか、との懸念がある。その一体化に関する政府の判断基準を示したもので、1997年に大森政輔・内閣法制局長官が国会で答弁した。「大森4要件」とも呼び、①自衛隊と他国軍の地理的関係②自衛隊の活動の具体的内容③他国の武力行使に当たる者との密接性④協力相手の活動の現況―の四つを総合勘案し、個別に判断するとの内容。憲法9条の下で、海外へ自衛隊を派遣する場合に用いる、とした。
▼平和主義 憲法の根幹変わる
―憲法改正をめぐっては、いかに適正な手続きを踏んでも、改正できないものがある、との考えがあります。例えば、人類が積み上げてきた基本的人権の尊重などです。
「それはそうだと思います。(どんな改正があるにせよ)平和主義の原則は入るべきでしょうね」
―集団的自衛権の行使を可能にする憲法改正は。
「それはできます。集団的自衛権はアメリカもイギリスもフランスも行使していますしね。極めて限定的なものなら、集団的自衛権も平和主義の大原則と両立する、と言う人もいるかもしれません。国民投票で承認を得ようとするなら、過去の戦争の歴史も含めて一生懸命説明し、それで集団的自衛権を行使しようとなれば、憲法学者がどうこう言う話ではありません」
―現状はその過程を飛ばし、解釈で事実上の改正をしようとしています。
「憲法とは、そのときたまたま首相になった人の考えで、やたら動かしてはいけない。そのための憲法です。だから、なかなか変えにくくしているのです。安倍首相は今のサミット(先進7カ国首脳会議、ドイツ)で『人権、民主主義、法の支配を守る』とおっしゃったけど、法の支配を守るなら、今の憲法を守るべきです。自分で破っておいて『守る』とは。言ってることと、やってることが違います」
―長谷部さんは「戦争とは憲法と憲法の戦い」だと述べています。
「憲法が違うと、最悪の場合、戦争が起きるのでね。どの国と仲良くするかを決めているのは憲法なのです。かつて、憲法の違いから(日本は)アメリカと戦争をして、ポツダム宣言で『戦争を終結したいなら憲法を根本的に変えろ』と言われたわけです。憲法が再び根本的に変われば、大戦争が起きる可能性は常にあります」
―一方、私たちは日常生活で、そこまで憲法を深く意識していません。
「日々の生活との関係は薄いし、もっと大事なことだってあるでしょう。『夕飯の献立の方が大事だ』と。私もそう思います。実は、憲法のことを日々考えなくて済むのは大変ハッピーな国民なんですよ。ただ、安保法制は憲法の根幹を変えるという話。いずれ、憲法のことを日々考えることになるかもしれない。今は夕食の献立が大事だけど、5年後はそんなこと考えていられない、となるかもしれません」
―選挙で政治家を選ぶ際の基準も、憲法は上位ではありません。
「まず経済。どこの国もそうです」
―経済に引っ張られて最終的に憲法が変わり、国が変わったという例はありますか。
「まさにヒトラーがそう。政権を取って景気が良くなりました。大規模な公共工事をやって、失業率はどんどん下がった。でも、日本では国民1人当たりの所得はここまで上がっているので、再び独裁制になるとは思いません」
―それでも、ふと気付くと、深刻な変化に気付くことはあり得るのでしょうか。
「ああ、あのときだったか、とね。今回は一つのポイントだと思います」
―憲法の事実上の改正を解釈変更によって行うことが、なぜ駄目なのか。あらためて聞かせてください。
「要するに『変な国』になっちゃう、ということ。憲法は他国と交渉する際の、最後のよりどころです。『憲法にこうあるから無理だ』と言えてきたのを『いや、それは自己都合で変えられる』って天下に示したわけですから。今後は『じゃあ解釈を変えればいい』と言われますよ」
―憲法のありようは私たちの内面と関わっているのでしょうか。
「人の生き方、考え方はそれぞれだから、それを公平に認めようというのが今の日本国憲法です。しかし残念ながら、与党にはその考え方自体が気に入らないという方々がいらっしゃるようです。だから憲法を変えて、人々に同じ考えをしてもらおうとするのは困ります。また戦争をしないといけなくなるので」
―人の心を縛るような改正もあり得るということですか。
「人の内面を縛るのは一種の革命信仰です。制度を変えれば人民の精神を革新できる、皆が『正しい人』になるという信仰は、実はどの時代にもどの国にもあります。マルクス主義もフランス革命時のジャコバン独裁も、ナチズムもファシズムもそうでした。そんなに珍しくなくて、特にエリートの中に結構いるんですよ」
―憲法審査会で参考人が全員「違憲だ」と主張し、自民党委員が党幹部に「人選ミスだ」と怒られたとか。
「かわいそうに。『だったら、あなたが探してきてくださいよ』という話でしょう? そう簡単には見つからないはずです。立憲主義について語る素養があって、かつ合憲と言える人って、どこにいるのか、という感じですから」
―そんな法案が国会で審議され、与党側はなお「合憲」と主張しています。
「末期的ですね。何の末期かは分かりませんが」
▼審査会参考人 学者の99%「違憲」
―衆院憲法審査会の後、政府・与党側から参考人の「人選ミス」との声が出てきました。安全保障関連法案を合憲という憲法学者もたくさんいる、と。実際、いるんでしょうか。
「圧倒的多数、99%の学者は違憲の立場ですよ。少なくとも集団的自衛権はそう。残る1%はどんな人かと? 私の口からは申し上げられない。あまり付き合いもないし、学会でも会わない…。かなり偏った立場です」
―国会議員や閣僚には憲法99条で憲法の尊重擁護義務があります。その人たちが自らその枠をはみ出そうとしています。
「異常です。憲法の枠を外そうとして、それがどこまで広がるかも分からない。枠自体をなくす法案の審議は今までにないことです。例えば、集団的自衛権が認められれば、自衛隊はホルムズ海峡で機雷掃海ができると言う。しかし、それ以上のことはできないかというと、その保証は全くない。安倍首相は『イスラム国の掃討作戦には参加しない』とおっしゃったけど、今の首相が今そう言っただけ、という話になります」
―ホルムズ海峡の機雷掃海は個別的自衛権で対処できる、という主張もあります。
「あり得ます。(4日の衆院憲法)審査会でそう発言した小林節先生(慶応大名誉教授)に対し、北側一雄さん(公明党副代表)が『国際法はそういう使い方はしない』とおっしゃっていたけど、これは日本国憲法の問題です。日本の憲法で個別的自衛権だと考えられているものだけが認められる、という話。日本を防衛している米国艦船が外国から襲撃を受け、日本が反撃するのは当然ありですが、それを『集団的自衛権だ』と言う人が『だから使えるように』という議論は全く説得力がありません」
―ホルムズ海峡の一部はイランなどの領海です。他国内に置かれた機雷を、自国の個別的自衛権によって除去する行為は無理ではないのですか。
「両論あり得ると思います。ただ、イランが機雷を敷設する可能性はない。イラクで『イスラム国』掃討の力になっているのはイランの革命防衛隊です。今後、アメリカはイランと協力することはあってもけんかは考えられない。『日本に原油が来なくなったら?』なんて、全く非現実的なファンタジーです」
【写真】「合憲という学者、どこにいるのか」と強調する長谷部恭男・早稲田大学教授(東京都新宿区の早稲田大学)
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日本国憲法第九条を改正すべきか否か、私たち一人ひとりが決断を迫られる時代が近づきつつある。だが、これまでの改正論議では、改憲・護憲派ともども、致命的に見落としてきた視点があった。立憲主義、つまり、そもそも何のための憲法かを問う視点である。本書は、立憲主義の核心にある問い―さまざまな価値観を抱く人々が平和に共存するための枠組みをどう築くか―にたちかえり、憲法と平和の関係を根底からとらえなおす試みだ。情緒論に陥りがちなこの難問を冷静に考え抜くための手がかりを鮮やかに示す。
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憲法入門 長谷部恭男 羽鳥書店
読んだだけではよく意味が分からない条文、普通のことばの意味とは違った意味で受け取るべき条文を大胆かつ軽やかに分かりやすく解説する。第一線研究者による日本国憲法の入門書決定版。
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憲法とは何か (岩波新書) 長谷部恭男著 岩波書店
憲法は何のためにあるのか。立憲主義とはどういう考えなのか。憲法はわれわれに明るい未来を保障するどころか、ときに人々の生活や生命をも左右する「危険」な存在になりうる。改憲論議が高まりつつある現在、憲法にまつわる様々な誤解や幻想を指摘しながら、その本質についての冷静な考察をうながす「憲法再入門」。
やっぱ、現在の憲法学の第一人者と言われるだけあるわ。
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その国民の意思を無理矢理変えるべく、正々堂々と議論すること無しに、実態に憲法を合わさせようと着々と準備してきた改悪改憲派である安倍政権がやはり一番悪いのではないでしょうか。
同じ「改憲」でも小林節氏の論は「改善」だと思いますし、前提条件として議論を尽くすことを揚げていますね。護憲派はそうした考え方も取り入れて幅広く議論してきたならもっと支持が広がったのではとは思いますが、問題の根本と言う程の責任は無いのではないかと。
○日本国憲法は占領下の昭和21年11月3日に公布、翌年5月3日に施行されましたが、これはあくまでも暫定憲法です。
○戦力を保持し、交戦権を有する事は国家としての最低限の条件です。これを放棄しては最早国家とは言えません。
○ですから、講和条約が発効した時点で少なくとも2項は削除されるべきだったのです。
9条の条文は美しくて好きなのですが、曖昧だから解釈改憲されてしまい、憲法改悪論者政権によって最悪の事態に至る可能性が出てきてしまいました。
護憲論者もこの事態を招いた責任は確かに免れませんが、最終的に判断するのは国民です。長谷部教授がその「国民の都合」を読んでの筋の曲げ方をするのであれば、それを批判する国民は少ないでしょう。
そうであれば立憲主義の主旨には反してないので、ギリギリセーフなのだと思うのです。
例えが適切かどうかは解りませんが、警察官が10キロオーバーは見逃すが、100キロオーバーは絶対に見逃さないという感覚ですよね。違法は違法だけど、常識で危険性を鑑みた場合、法定内速度の方が危険と感じる人が多いから見逃しても批判されることは無いという。
曖昧は良くない事も有りますが、何で判断するかといった場合、やはり議論を深めた上での国民の「意思」という風を読み、基準にするのが正しい立憲政治の在り方ではないかと。
「自分の都合」で「数じゃない」だの「考えてきた長さ」を持ち出す政権は完全アウトです。
○勿論、湾岸戦争にも、イラク戦争にも。
○そしてIS掃討作戦にも。
○国会でぐだぐだ言ってられる日本はいい。その方が文句なしにいい。
私の説明不足で真意が伝わらず残念です。
では逆の言い方で説明しましょう。
もし個別的自衛権が憲法に明記してあれば、安倍政権は現在の様な強引なやり方を出来たでしょうか?
少なくとも私は集団的自衛権を憲法解釈で、合憲とは言えなかっただろうと考えています。
「憲法を改正しなければ集団的自衛権は認められない!」
この一言で全ては終わったと考えます。
自衛権を世界基準で言えば個別的・集団的と分けて考えている国は、私の知る限り日本だけだと思います。だから安倍政権は世界各国が行っている基準通り、自衛権に個別も集団もないとの考えで法案成立を進めます。
これは改憲論者の立場から言えば、当たり前だと考えます。護憲論者が憲法をいじりたくないのは分かりますが、個別的自衛権を認め憲法に明記することを進めて来なかったことが、今の状況を作り出してしまったと私は考えています。
私は安倍政権を擁護する気は全くありません。
現在の憲法上、憲法解釈で集団的自衛権を進めるのも違憲だと思っています。
しかしこの様な状況を作ってまった根本は、改憲論者ではなく護憲論者だと考えています。
長々と説明しましたが、ご理解いただければ幸いです。
それでは失礼致します。
ありがとうございます。
すみません、ごく手短に返答させていただきます。
あなたが「根本を正す」ことを望まれるならば、それは憲法学者に言うべきことではなくて何より現在の安倍政権に言うべきだと考えます。
安倍政権は、個別的自衛権が合憲であるとの歴代政権の見解を前提とした上で更に集団的自衛権も合憲であるとして今回の法案を出しております。
従って、あなたの立場からすれば当然先ずは安倍政権に対して9条を改正した上で安保法制を提出せよと言うべきだと思います。
言われてることは内容の話ですね。
●急迫不正の侵害、すなわち日本が直接攻撃を受けた場合と、現行周辺事態法にいう、放置すれば日本が攻撃を受ける可能性があるなどの日本の安全が脅かされる場合、この2つに限って日本は自衛権を行使できると言うことは理解できます。
ただ私が思うのは
長谷部氏が「九条を素直に読めば個別的自衛権があるかどうかすら疑わしい」と言いながら、「結果的に個別的自衛権を前提として認める」と言うなら、憲法解釈ではなく「憲法九条に個別的自衛権を認めると明記(改正)せよ」と言わない憲法学者が、自衛権・自衛隊を違憲状態にしている。
この根本を正さないから個別的・集団的などという不毛な論議になる。
どの様な理由にせよ憲法学者が個別的自衛権を認めた以上、憲法に明記することを訴えることが先決です。根っこの部分を曖昧な状態にしているのが問題。
○然し個別的自衛権については最高裁も認めているからそれは今の法体系を前提とすれば否定できないとH.KAWAIは言っている訳です。
○abe さんの直近の投稿はH.KAWAIの投稿のコピペです。
○H.KAWAIは砂川事件最高裁判決が集団的自衛権を認めているとは思っていません。
このコメント内容は私に誰かさんが書いたものを張り付けましたので、誤解のないようにお願い致します。
●前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
上記、憲法の条文を読む限り、日本は戦争を放棄し全ての戦力保持を否定していると思いますが、どこをどう読めば、個別的自衛権は良くて集団的自衛権は駄目で、自衛隊は合憲などという解釈が出来るのか不思議でなりません。
自衛隊の存在も個別・集団的自衛権も憲法違反であり、最高裁の判断も私は素直に受け入れる事が出来ません。
ひとつ前の記事なんですが。
『砂川事件最高裁判決 高村自民党副総裁の「憲法学者より私の方が考えてきたという自信はある」発言のお笑い』
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/eda5b579e9a56cd4c1f30ca5ca6c880d
そこにリンクされているんですが。
『砂川事件最高裁判決は集団的自衛権の行使が合憲である根拠にはならない。』
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/757fe94d0909caec5963dbe1885df4af
確定判決なんてないですよ。
○それこそ「民主主義の原則を守りましょう。」と言わなきゃならない。
例えば、中世ヨーロッパの都市国家などが専守防衛で城壁を築いていましたけど、これなど攻撃的な性格のものではないですよね。
もちろんのこと、外敵が攻めて来た場合は侵入を防ぐために防戦はしますけどね。
そのためにも、当然城壁は高く頑丈に造営しなきゃならんし防戦のための兵力も充実しとかなくてはならない。
安全のためにはコストがかかるということですが、そういう自分たち自身を守るための備えはよそを攻めるためのものではないし、また何らかの紛争を解決するための手段でもないでしょう。
私は憲法9条はこのような性格の防衛的な軍備は認めていると思うのですけどね。
しかし、今度の集団的自衛権の話というのは、さっきの譬えでいうと他の都市国家が攻められている(実は攻めているのかも知れない)のを助けに行くとかの話になるわけで、これはまたまったく別次元なことになると思いますけどね。
○それこそ「民主主義の原則を守りましょう。」と言わなきゃならない。
確かに日米が連携して中国の脅威に対処しなければならないけれども、長谷部教授が言うように集団的自衛権が必要な事例としてあげられた何類型のほとんどは個別的自衛権の範囲内のもの。
ミサイルが米国領グアムへ飛んでいっているのか日本を狙ったものかどうか判断しようという思えばミサイル防衛システムでもって日米共同で探知と追跡を行うしかなく、その際海自イージス艦が最適な迎撃位置にいた場合に迎撃行為を実行してミサイルを撃墜したとして、これが個別的自衛権発動の範囲内ではないと言えるか?ですね。
個別的自衛権で話がつくことを集団的自衛権の話に置き換えて、だから集団的自衛権という別次元なものが必要だとして新たなリスクは生じないかのように言うのは国民を欺いています。
例えば、実際の裁判において、学者が呼ばれることがよくありますが、その際に弁護士から、その学者の(判例、実務とは違った)自説について尋ねることなく、判例をどう理解すべきか、判例に沿って考えたらどういう帰結に至るか、等について尋ねることは日常茶飯事なのですよ。そこでその学者が、自説とは異なる、判例に沿った見解を述べることについて、それを妥協などと言う人間なんて一人もいませんよ。学者だって、現実世界から離れて自説を構築しているわけではないのでね。当然、判例や実務についてもよく熟知しているのです。長谷部教授は、その実務に則った上でも……と主張しているわけで、こんなの当たり前の話なんですよ。これを妥協とか言う人に初めてお目にかかりましたよw
当然の前提?これが既に妥協です。
長谷部氏は「憲法九条によって日本の武力行使は原則0になっている」と言っている以上、集団的自衛権に附随する話しでしょう。全く関係のない話ではありません。