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『安全への逃避』(1965)
沢田教一はベトナムで二組の親子が川に入って戦火を逃れる写真で、1966年ピューリッツァ賞を受賞した。
キャパを敬愛していた沢田は死後の1970年、ロバート・キャパ賞受賞。
1970年10月28日 カンボジア、プノンペンで狙撃されて死亡。享年34歳。
ほかにも海上保安庁の方々など、命の危険を覚悟したうえでその仕事に携わっておられる方々はたくさんいらっしゃいます。
私の高校時代の親友と数十年ぶりに会ったら、彼は関西地域の感染症の対策本部の医者をやっていて、国内の結核などのほか、海外から来るエボラ出血熱やジカ熱などのような強烈な病気の国内蔓延を食い止める最前線にいました。
エボラなんかでも、現場の医師・看護師が感染して亡くなられるという不幸な出来事が続いていますよね。
もともとはお父さんが重い喘息で高校時代に亡くなられ(ご葬儀では涙が止まらなかった)、それもあって彼は京大医学部で気管支内科の専門医になったのですが、いつの間にか今の立場になっていたと。
『戦争の恐怖』(1972)
フィン・コン・ウト(英語:Huynh Cong Út、1951年3月29日 - )またはニック・ウット(Nick Ut)は、ベトナム出身、米国・ロサンゼルス在住でAP通信の報道写真家。1973年、ピューリッツァー賞を受賞している。
ウトはベトナム戦争当時、AP通信サイゴン(現・ホーチミン)支局在籍中に撮影した、ナパーム弾による爆撃から逃れる村人たちを捉えた「戦争の恐怖」という写真は全世界に配信された。
ジャーナリストが外務省に止められてもいるし、以前に武装勢力に捕まったこともあるのに、また性懲りもなくリスクを承知で危険なところに行って、案の定身柄を拘束された。
だから自業自得だと言う人さえいます。
しかし、憲法9条の鬼っ子と言われて警察予備隊ができてから、災害救助のために数千人の殉職者が自衛官から出ていますが、その死を自業自得だという人がどこの世界にいるでしょうか。
確かにリスクはつきものだ。犯罪者と向き合う警察官や海上保安官、火事・災害と向き合う消防官たち。
リスクはあるけれども、誰かがやらねばならない仕事だからしてくださっているのです。
そう、福島原発事故の最前線で踏ん張ってくださった方々がいなかったら、今頃、関東は、日本は世界はどうなっていたと思いますか。
ノルマンディー上陸作戦(1945年)
海岸沖に停まった上陸用舟艇から降りたロバート・キャパが、兵士らと共に腰まで海水につかり陸を目指した際に撮った写真。
キャパはハンガリー生まれのアメリカの写真家。世界でもっとも有名な報道写真家。スペイン内戦、日中戦争、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線、第一次中東戦争、および第一次インドシナ戦争の5つの戦争を取材した20世紀を代表する戦場カメラマン、報道写真家。
1954年5月25日、午前7時にナムディンのホテルを出発、タイビンにあるドアイタンという陣地に向かう。午後2時30分ころドアイタンに到着。午後2時55分にドアイタンから1キロの地点にある小川の堤防で地雷に抵触、爆発に巻き込まれ死亡した。
そんな仕事をしてくださっている人たちに対して、市民の知る権利に奉仕し、主権者としての国民が自己実現・自己統治をしていくために必要不可欠な仕事をしているジャーナリストの仕事に対して、価値観が低すぎるのです。
誰もが我々一般市民と同じ安全地帯にいたら、世界で何が起こっているか、誰にもわからなくなってしまいますよ。
実際に起きていることは何なのか全く知らずに政策決定をすること。それは目を閉ざして何も見ぬまま、未開の地を踏破しようとするのと変わらないくらい危険な行為です。
たとえば、日本では死刑制度の支持者が9割くらいいるのですが、死刑が執行される時、現場はどんな状況か誰も知らずに死刑制度を存続させてしまっています。もし、もっとリアルに死刑囚の生活や死刑執行の実際を知っていたら、意見が変わる人もいるかもしれないと思いませんか。
知ることは力なんです。知ることは生きることそのものです。
その知る権利に命を懸けて奉仕しているジャーナリストやNPOなどのお仕事は、他の命がけの仕事に匹敵するくらい必要で尊いと私は思います。
無名の反逆者(むめいのはんぎゃくしゃ)は、1989年6月4日に中華人民共和国で起こった天安門事件の直後、天安門広場に通ずる長安大街の路上で撮影された、戦車の行く手を遮る映像に登場する男性のこと。
氏名不詳のため、「無名の反逆者」(英: the Unknown Rebel)、「戦車男」(Tank Man)などのニックネームで呼ばれている。
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誰が私を「人質」にしたのか―イラク戦争の現場とメディアの虚構 |
安田 純平 (著) | |
PHP研究所 |
武装勢力に拘束され、「人質」と呼ばれた著者。現場に存在した事実とメディアの虚構が交錯するなかで、彼が見た真実とは何だったのか?
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ルポ 戦場出稼ぎ労働者 (集英社新書) |
安田 純平 (著) | |
集英社 |
現代の民営化が進む戦争では、世界中の貧しい人々が集められ、基地や建設現場などの危険地帯に派遣され、労働者として働いている。こうした出稼ぎ労働者なしでは、もはや軍事的なオペレーションは、成立し得ないのだ。著者は自ら出稼ぎ労働者となり、イラク軍基地訓練施設に単独で潜入した。グローバル化世界における、世界の貧困を前提にした戦争ビジネス、その実態に迫った貴重なルポルタージュ。
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囚われのイラク―混迷の「戦後復興」 |
安田 純平 (著) | |
現代人文社 |
イラクで武装グループに拘束されたジャーナリスト・安田純平は、拘束の3日間に何を体験したのか。つぶさな現地取材をもとに「戦場イラク」の現実を報告する。
ベトナム戦争で超大国アメリカはなぜ小国ベトナムに敗れたか。
理由の一つに、キャパや沢田のようなジャーナリストによる報道写真が世界に配信され、アメリカ国内外で厭戦・反戦の機運が高まったことが挙げられます。
その教訓をもとに湾岸戦争以降、アメリカは徹底した報道管制を敷いています。
だからこそ、世界の現実を我々に突きつけるジャーナリストの仕事はますます重要になっているのです。
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iAsiaより
![]() 「戦争と報道」シンポジウムの会場でジャーナリストの発言を熱心に聴く参加者。メモを取る参加者も多くいた。左から石川文洋さん、小林正典さん、高尾具成、玉本英子さん、石丸次郎さん=大阪中央区
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「イスラム国(IS)」が後藤健二氏と湯川遥菜氏を殺害した事件をきっかけに、取材であっても退避勧告地域へは行くべきでないという世論が高まっている。危険地帯の取材の意義とあり方について考えるシンポジウム「戦争と報道-なぜ危険地域を取材するのか」が4月12日、約130人が参加して大阪で開かれた。ベトナム戦争から今年のシリア・イラク内戦まで、長年にわたって危険地帯を取材した5人の気鋭のジャーナリストが意見を交わした。(中川波佳)
●危険地帯に入るからこそ見える
シンポジウムで登壇したのは石川文洋(フリーランス)、玉本英子(アジアプレス)、小林正典(フリーランス)、高尾具成(毎日新聞)、石丸次郎((アジアプレス)の5人。いずれも危険地帯を駆け巡ってきたベテランジャーナリストだ。
1960年代にベトナム戦争を従軍撮影した石川氏は、終戦40年後の今もベトナム戦争を語る理由について「戦争は全部殺し合い。そして、犠牲になるのは民間人。軍隊は民間人を助けない。ベトナム戦争の写真を理解すれば全ての戦争の分かるのではないかと思う」と話した。
![]() 石川文洋氏
戦場・報道カメラマン。ベトナム戦争での従軍取材をはじめ、世界各地の戦争を取材。 |
それは、15年以上シリア、イラクを取材している玉本氏の発言と重なる。昨年12月に自身が撮影した「イスラム国」とクルド人勢力の戦闘地域の映像を見せながら「戦争では市民の水や食料がなくなる。ガスも電気もない。一般生活が全くできなくなる」と述べたうえで、「現地の人たちのことを知ってほしいと願いながら現場に出ている」と訴えた。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の契約フォトジャーナリストだった小林氏は、20年以上世界各地の難民を撮り続けた理由を「なぜ子供が銃を持たないといけないのという不条理を見てしまったから」と語った。
●政府と異なる視点が必要
![]() 小林正典氏 フォトジャーナリスト。国連難民高等弁務官事務所と契約し難民を取材、国連写真家賞受賞。 笑顔で手にしている本は小林さんが48年前に購入した石川文洋さんの著書「ベトナム最前線」。
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また、北朝鮮を取材している石丸氏は、「国家は紛争があると嘘をついてきた。あるいは隠し事をしてきた。だから国家と違う眼が、戦争、紛争地には必要だ」と述べた。
(下)へ続く
●危険地帯取材はどこまで可能か。基準は何か。
![]() 高尾具成氏
毎日新聞記者。アフリカやアフガニスタンを取材。ジンバブエの取材でボーン・上田記念国際記者賞を受賞。 |
また、シリア渡航を計画していたフリージャーナリストの杉本祐一氏に対する旅券返納命令について読売新聞と産経新聞が社説で政府の対応を支持した点に疑問を投げかけ、「妥当であるという社説を読売と産経が書いた。これも、取材をするかどうかという物差しを国家に委ねているような主張。危険であるかどうか、そこにいって取材する値打ちがあるかどうかは、ジャーナリズムが独立的に自主的に判断する問題である」と述べた。
![]() 玉本英子氏
ジャーナリスト、アジアプレス所属。イラク、シリアなどを20 年取材。 |
その一方で、石丸氏は、後藤氏の他、シリアで政府軍の銃撃により殺害された山本美香氏、ビルマで軍兵士に射殺された長井健司氏など、イラク戦争から後藤氏殺害までの10余年間に6名のジャーナリストが紛争地取材中に亡くなった事実を指摘し、「後藤さんの事件で、フリーランスの連中は鉄砲玉のようにどこへでも行って勝手をやってすごく迷惑をかけているという意見が社会に強いということが露わになった。やはり、ジャーナリストは生きて帰らなければならない。現場で死亡事故にあうというのは、ジャーナリスト側に多くの場合ミスがあったからだと思う。後藤さんの件はよく分からないけれど、やはりなぜイスラム国支配地域に行ったのか謎だ。ジャーナリストだって悲しむ家族がいる。無鉄砲をやってはダメ。なぜジャーナリストの死亡事件が立て続けに起こったのか、私たちジャーナリストがちゃんと検証しなければいけないと考えている」と語った。
小林氏も、「(後藤さんが拉致された当時)『イスラム国』では欧米のジャーナリストとかNGOが5人も殺されている。また市民の虐殺が続いている。多くの国の拘束された人たちがいる。そういう3つの条件を見ただけで、これはヤバいなということ。そして、現場取材でコーディネーターとドライバーが行くなと言ったら私はいかない。彼はなぜ判断を誤ったのか。やっぱり生きて帰ってこなければいけない」と安全の確保に最大の注意を払うべきだと指摘した。
他の登壇者からは、異なる意見も聞かれた。石川氏は、後藤氏の一連の取材に対して「非常に尊敬している」と語った。また、「(1970年代に仲間のジャーナリストが)カンボジアの解放戦線を撮ると言った時、(カンボジアはベトナムと違って)危ないよと注意したけど、二人は(カンボジアに行って)帰ってこなかった。私はそれをミスとか無謀とは考えない。信念を持って入っていった」と安全確保ができない危険地帯での取材についても尊重する考えを示した。
そして、「ベトナム戦争では14人の日本人ジャーナリストが亡くなった。最前線まで行くことができたから危険も多い。(ベトナム戦争で従軍取材をした)我々カメラマンは、現場の危険性をよく知っているから、そこで撮った写真を報道して第三者が見る価値も分かっている」と語った。また、自身も取材場所に制限を設けなかった結果として、「ベトナムの戦争証跡博物館で私の写真150点が永久保存版(として展示されている)」と語った。
●政府に屈せず権力追及
毎日新聞記者の高尾具成氏は、米軍普天間基地の移設をめぐる取材で沖縄に入った際の、あるエピソードについて語った。それは今年2月、米軍キャンプ・シュワブの入口前で沖縄平和センター議長の山城博治氏が米軍側の警備員に拘束された事件のことだった。「辺野古で抗議行動の調整に入った山城さんが黄色い線を越えたというだけで、(米軍側に)引きずり込まれた事件があって、どうしてもその黄色い線が見たくてそこへ行った。その日は別に大きな抗議集会とかをやっていたわけではなく、おじいさんやおばあさんが、手前のテントに座っているだけ。時々何人かが、抗議の旗を持って黄色い線の前を行ったり来たりしていた。それを横から見ていると、陰が黄色い線を超える。今までであれば恐らく私は平気でその黄色い線の内側に入ってその人の写真を撮ったと思う。ところが、待てよと思った。俺、引きずり込まれないかなとその時思った。物凄い威圧感があった」。
高尾氏の意見に石川氏は別の視点を加えた。
「(黄色い線を越えたことで)逮捕するなら、私は逮捕してもらって一向に構わない。政府からみれば我々は国賊。ジャーナリストというのは反権力・反国家だと思う。海上保安官の辺野古の人に対する暴力はものすごい。それを琉球新報が撮って、国会でも追及していた。そういう権力を追及する写真を撮らなくてはいけない」。
●「旅券返納命令は妥当」に疑問の声を
2月、杉本氏に旅券返納命令が下され、憲法で保障された「渡航の自由」が制限されたとの批判が出た一方で、「政府に迷惑をかけるな」という声が上がり、当時ネットや新聞の世論調査では6~7割の人が「旅券返納命令は妥当」と答えた。杉本氏は、シリア北部の「イスラム国」から解放されたコバニでの攻防戦取材やクルド人部隊によるプレスツアーの参加を予定していたという。杉本氏の現地での取材によって日本政府が自己に都合の悪い事実が暴かれると恐れて規制したとは考えにくい。しかし、旅券返納命令を認めてしまうと、今後政府の恣意的な判断によって取材の自由が制限されることになりかねない。
![]() 「戦争と報道」シンポジウムの会場でジャーナリストの発言を熱心に聴く参加者。メモを取る参加者も多くいた。
左から石川文洋さん、小林正典さん、高尾具成、玉本英子さん、石丸次郎さん=大阪中央区 |
戦後70年間、日本は終戦直後に抱いた、二度と戦争を起こさないという共通の思いを胸に歩んできた。シンポジウムで石川氏は、「戦争が終わった時はみんな憲法第9条など当然という気持ちだった」と語った。しかし、安倍政権によって9条の解釈や9条そのものが変えられれば、自衛隊が海外で武力行使をする事態も考えられる。現地で行われているさまざまな事実を知らなければ、国民は政治に有効に参加することはできない。
シンポジウムに登壇した5人のジャーナリストの口から、旅券返納命令に反対する意見が出たことはその深刻さをあらためて世に問うものとなった。
ジャーナリストを自己責任だと切り捨てることは、自分の生を切り捨てること。
生きることを捨てないで。
しかし長期的に見れば、勇敢なジャーナリストが殺害されてしまうことは「不利益」になるとも思うんです。
私たちは、もう二度と後藤さんのニュースを見ることが出来ないのですから。
議論ではなく、論争?
私は、安田さんの「命」は助けるべきと言いましたし、また汲むべき事情がある人には罰則は与えず、そうでない人に与えるべきと主張してきましたが、どこを論破されたのですか?
土木・建築関連では、当然のことですが、非常災害時には、夜間であろうとも職務命令で外勤します。
河川の決壊があれば大変ですから、工事中の箇所には、細心の注意が要りますし、山地でも道路崩壊の恐れのある箇所には注意が要りますので、場合に依れば、調査に行きます。
採用後未だ数年の折に、遭遇した台風時には、河川の堤防決壊寸前の箇所で、最悪の場合には、洪水に飲まれるところでした。 何しろ、監視していた警察車両は、危険なので、退避しましたからね。 でも、こちらは、逃げる訳にはまいりません。 直接の工事担当部門の職員でしたから。
工営所のトラックが資材を搬入し決壊予防措置をして、堤防を補強したので、幸いにも決壊はせずに済みました。
自分では、命の危険は感じませんでしたが、職場からは、緊急車両で同僚が来てくれました。 職場へ帰れるのか、と思ったのですが、現場事務所へ、夜食を運んで来ただけでした。 結局、徹夜でしたね。
後になり、河川に流されたら、余り泳ぎが得意では無いので、溺れるな、と、阿保なことを考えて、職場で同僚に言ったところ、台風時の濁流になった河川で泳げる者が居るのか、と逆に訊かれました。
危険を承知の上なら自己責任と言われますが、承知で無くても危険なことはいくらでもあります。
私の知人で、税務部門で滞納整理をしていた者が居ますが、彼は、長年の間、或る反社会的組織からの徴収を担当していました。 其処の構成員からは、公務員は殺すことも出来るが、その後が面倒や、と言われたことがあったそうです。 それで、税務職員の手当は、危険手当、と言っていました。
このように普通の者でも、場合に依れば危険が自身に迫るのです。
自己責任、自己責任、と云う人が、立場が変わり、己が言われる羽目になった折には、どうされるのかが興味ありますね。
本件ではなく後藤さん事件を受けてのディスカッションのようですが、
「やはり、ジャーナリストは生きて帰らなければならない」
「無鉄砲をやってはダメ」
「コーディネーターとドライバーが行くなと言ったら私はいかない」
の声の一方で、
「危ないよと注意したけど、二人は(カンボジアに行って)帰ってこなかった。私はそれをミスとか無謀とは考えない。信念を持って入っていった」
という声もあり、専門家でも意見が分かれるのでしょう。
ただ、後藤さんの事件を受けての今回の判断を、プロ達がどのように評価するのか、
是非「本人を交えて」もう一度ディスカッションして欲しいものです。
> 知る権利に奉仕し、国民が自己実現・自己統治をしていくために必要不可欠なジャーナリストの仕事に対して、価値観が低すぎる
> 誰もが同じ安全地帯にいたら、世界で何が起こっているか、わからなくなってしまう
> 実際に起きていることは何なのか全く知らずに政策決定をすることは危険な行為
> 知ることは力。知ることは生きることそのもの
> 知る権利に命を懸けて奉仕しているジャーナリストやNPOなどのお仕事は、他の命がけの仕事に匹敵するくらい必要で尊い
コメント欄、レイ様の言葉で埋めてみました(笑)。
何も付け加えること、ないもん。
ベトナム戦争の写真、子どものころ、よく見ました。もっともっと悲惨な写真が山ほどあった。折り重なって倒れ、ガスで膨れ、腐敗し、溶け、白骨化していく死体の山。処刑直前の縛られた、痩せた、ただギラギラ光る目でカメラを直視することでのみ抵抗の意志を示すベトコン兵。ベトナムの民衆は痩せてやつれて泣き叫んでいた。カメラを見据える黒い目に、激しい怒り。
年代のせいなのか。
ブログ倫理部長も、別視点さんも、ああいう写真を見たことがないのだろうか。
戦争に巻き込まれた人々の悲惨な話を読んだことがないのだろうか。
今の世、楽しいことがたくさんあるし、右傾化が進んでいるから、知らないのだろうか。
それとも、想像力の問題なのだろうか。
参考資料も読み応えがありました。
> 「ベトナム戦争では最前線で取材することができたが、その結果米国で反戦運動が起こり米軍は撤退せざるを得なくなった。だから、米国政府としては自由に取材をさせたことが誤りだったと考えている。政府の考えていることとジャーナリストが報道することは違っていることが多い。これまた、違っていないといけない」
> 国家は紛争があると嘘をついてきた。あるいは隠し事をしてきた。だから国家と違う眼が、戦争、紛争地には必要だ。
ジャーナリズムは、国家と違う視点を持ち、取材し、市民に提供しなければならない。
つまり、大本営発表ではいかんのだ。
そしてジャーナリズムはつねに反権力であるべきで、その取材報告は、しばしば国家の意向の阻害要因になるから制限されたり、妨害されたりするが、それでも使命感のために命を賭して紛争地に乗り込むのが、ジャーナリスト魂というものなのだ。もちろん、生きて帰ってくるのは当然だ。
参考記事中、「朝日の記者が外務省の退避勧告地域(シリア)に取材に入ったことを、産経と読売が取り上げ記事にしたことを批判・・・」云々とあるが、これは知らないことだった。
朝日にもそんな気概のある記者がいたのか。日本の大手メディアは危険地帯に立ち入ることを禁止されている。
よって、危険地帯にはフリージャーナリストしか行かれない。
すると、何かあると「フリー」の肩書きゆえに軽んじられ、バッシングを受ける。大手メディア社員なら、
「気の毒だねえ」
と同情されるだろうに。そして安く買ったフリージャーナリストのネタで記事を書いて高給を貰うのだ。
我が国の民は、とことん国家に洗脳されているなあ。
もっとトイレに紙をつまらせなくては。
ビンボー人のくせに、自主規制してお上の顔色見てばかりで、どうするのだ。
最後にはタマ(魂)まで取られるぞ。
> http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/cmt/1b485c05029a458d30a51978add00bd0
ブログ主は書いているでしょう。
「あまりお答えできませんが」
と。あなたの質問に全て答える義務はないのですよ。
大体、この人は罰するべき、この人は罰するべきでないと誰がどのように峻別するの? その答えはあなたの頭の中にのみあるんですよ。
まあ、世間ではそれを「妄想」と呼ぶのかもしれないけど(笑)。
沙悟浄はんのコメント、もう一回コピペしてあげるから、嚙み締めなさい。
>「お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな」(AA略)
Kさんの仰られている意図をきちんと理解した上で反論、もしくは意見される方が訪れる事を望みます。
あなたが言ってあげればいいじゃない(笑)。
この国は75年前に戻ろうとしている、安倍の目論見どおりに。
多くの人に繰り返し見ていただきたいし
私も繰り返し見なければ。
そんな機会を与えていただき
ありがとうございました、と言いたいです。
撮影者にも宮武先生にも。
一糸まとわぬ姿で逃げ惑う少女が
10年くらい前?AERAの表紙になって
いたことを思い出します。