これは、新日本プロレスファンのわたくしが見つけてきた、上田馬之助とタイガージェット・シンの入場シーンですから、誤解なきよう。
2015年10月13日、馳文部科学大臣が、自分が教諭だった時期の体罰について追い詰められ、記者会見で謝罪しました。
私は、馳文科相が義家文科副大臣と2008年に雑誌「正論」の対談で語った
「では殴ったことがなかったかと言えば、必ずしもそういうわけでもない。
私は高校のレスリング部の監督を務め、石川県で強化委員会をやってましたけど、私の高校はそう強いチームではなかったのです。
ですから一週間に一本ぐらいは竹刀が折れていましたよ」
という発言に対して、まさか、生身の人間を竹刀で殴ったりしていないのではないかと思いました(少なくとも雑誌では言わないと)。
そこで、私は
『生徒指導の際に、竹刀で床や壁で殴りつけるのであれば、これも脅迫や、場合によっては暴行に当たります。
(暴行罪は、必ずしも身体に直接当たらなくても成立しうる)』
と書いたのですが、今日、馳文科相自ら、
「改めて、あの時、私に竹刀で殴られた高校生たちに謝罪したい。」
と言っていますので、馳さん、竹刀で、防具もつけていない生徒を殴ってたんですね。
それも一週間に1本、竹刀が折れるほど。レスリング部のユニフォームって、あんな薄い奴なのに。
ちょっと、言葉になりませんね。
元プロレスラー馳浩文科相と元ヤンキー先生義家弘介副大臣の対談「生徒を4時間監禁。竹刀が折れた。」
1984年のロスオリンピックに出場もした馳氏。しかし、レスリングのユニフォーム、薄いでしょ!?
馳文科相は、この謝罪会見の中で、
「体罰はあってはならないし、してはいけない。形を変えてもだ。」
と反省の弁を述べるのですが、同時に、
「部活動においても本当は体罰は絶対してはいけないのだが、私が未熟だったばかりに高校生の諸君に迷惑をかけたことを反省しているとの意味で、発言したと記憶している。」
と言い訳しています。
しかし、それが本当かどうかは、当時の対談を見ればわかることで、馳文科相から謝罪を引き出す記事を書いたリテラにさらに追い詰められています。
「周囲からはまずいんじゃないかという声も聞こえてきましたが、生徒の親にも積極的に自分の考えを分かってもらうよう努めましたね」
「さきほど私の指導について周囲からまずいんじゃないかという声が聞こえてきたといいましたね。
先生同士の間で齟齬があったり、疑義や互いに批判すること、『こんなやり方は間違っているのではないか』という思いを抱くことは私も含めて珍しいことではないのです。
ただ一点、生徒の前で他の先生の悪口を言わないこと。これは気をつけましたよ」
これ、竹刀が折れるほど体罰している馳先生に、生徒の親や他の先生から疑義や批判が出たけど聞く耳持たなくて、ただ他の先生の悪口は言わないようにしてた、って話ですよね。
これが
「私が未熟だったばかりに高校生の諸君に迷惑をかけたことを反省しているとの意味で、発言した」
という発言でしょうか。
ちなみに、教育評論家?の尾木ママは、この馳文科相の「謝罪」について
「偉いと思います!!」
「さすがに文科大臣ですね 間違いは正直に正す 本当に気持ちいいですよね」
とブログに書いたそうなんですが、私から見ると、元教諭のこのお二人の感覚はほんとに謎です。
黒幕 | |
馳浩 著 | |
きこ書房 |
高校の国語教員を務めながら、五輪に出場。プロレスラーから国会議員に転身。文学や教育についても発言する馳浩。挑んだ勝負にはすべて勝ってきたその生き方から、成功法則の一端を導き出す。プロレス哲学も存分に展開する。
ちゅうか、少なくとも文部科学大臣は辞めさせないといけないでしょう。
こんな人を文科相に選んだ安倍首相の任命責任さえ問われると思います。
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毎日新聞 2015年10月13日 19時07分(最終更新 10月13日 20時30分)
◇高校の教員時のことを告白 「体罰は絶対反対」と
馳浩文部科学相は13日の閣議後の記者会見で、高校の教員だった約30年前に生徒に体罰をしていたことを明らかにし「あの時に私に竹刀で殴られた高校生たちに謝罪したい」と述べた。その上で「体罰は絶対反対。私が未熟であったばかりに迷惑をかけた」と話し、自戒を込めながら体罰を否定する姿勢を強調した。
馳文科相は1984年4月から85年8月まで石川県の私立星稜高校で国語を担当し、レスリング部監督を務めた。2008年に雑誌の対談で教員時代の体罰経験を告白していたことについて、この日の会見で質問された。
馳文科相は会見中に机をたたき「教壇で教員がこうやってたたくだけで、感情にまかせてやるだけで、高校生、特に小中学生は萎縮して、気持ちを先生に伝えようという気すらなくなってしまう」と体罰の問題点を説明。「『ねえ先生』と話がしたくなるような教職員にならなければいけない」と訴えた。【三木陽介】
(過去の月刊誌の対談で体罰経験を語ったことについて聞かれ)体罰は絶対反対です。記事全体を読めばおわかりいただけると思うが自戒・反省・謝罪を込めて発言した。
教員時代、朝の登校時に生徒のカバンを見て、中に何も入っていない生徒のカバンを取り上げて「なんだこれは」と、こういったことがなかったとは言わない。やられた高校生がよく覚えていると思う。しかし、それはダメだ。特に体の大きい声のデカいこのような私がしたことの謝罪と反省を踏まえて申し上げたと記憶している。部活動においても本当は体罰は絶対してはいけないのだが、私が未熟だったばかりに高校生の諸君に迷惑をかけたことを反省をしているとの意味で、発言したと記憶している。改めて、あの時、私に竹刀で殴られた高校生たちに謝罪したい。
体罰はあってはならないし、してはいけない。形を変えてもだ。たとえばこう(「ドンッ」と書類で机をたたく)やって教壇で教員が感情にまかせてやるだけで、児童・生徒は萎縮して本来の自らの気持ちを先生に伝えようという気持ちすらなくしてしまう。星稜高校の教員時代も、授業においては常に気をつけていたつもりだが、部活動でそういうことがあったのは事実であり、改めて申し上げた。(記者会見で)
朝日新聞社
体罰を認めた馳浩文科相が会見で大嘘
体罰を認めた馳浩文科相が会見でついた大ウソ…義家副大臣との対談に「自戒、反省」は一切なく逆に体罰を擁護!
13日に開かれた馳浩文部科学大臣による記者会見の様子(YouTube文部科学省公式チャンネル「mextchannel」より)
新たに文部科学相に就任した馳浩氏が、本日10月13日の記者会見で、教師時代に生徒への体罰をしていたことを認めた。
ことの発端は、リテラが今月9日に「生徒を4時間監禁、竹刀が折れるまで…新文科相の馳浩と副大臣の義家弘介が教師時代の体罰自慢対談」という記事を公開したことだ。
これは、保守系月刊論壇誌「正論」(産経新聞社)2008年6月号にて、馳新文科相と、おなじく第三次安倍改造内閣で文科副大臣に着任した義家弘介氏の対談記事のなかで、ふたりが「一週間に一本くらいは竹刀が折れていましたよ」(馳氏)、「いじめの指導で放課後四時間教室から(生徒を)出さなかった」(義家氏)などと、“体罰自慢”を披露していたことを指摘したもの。
今日の会見で馳文科相は、「部活動においても本当は体罰は絶対してはいけないのだが、私が未熟だったばかりに高校生の諸君に迷惑をかけたことを反省しているとの意味で、発言したと記憶している。改めて、あの時、私に竹刀で殴られた高校生たちに謝罪したい」「授業においては常に気をつけていたつもりだが、部活動でそういうことがあったのは事実であり、改めて申し上げた」などと事実を認め、釈明した。
だが、馳文科相は「体罰は絶対反対です。記事全体を読めばおわかりいただけると思うが自戒・反省・謝罪を込めて発言した」と言っているが、なんど問題の対談を読み返しても、記事のどこにも「自戒」「反省」「謝罪」の文言はひとつも見当たらず、むしろ全体のトーンは明らかに体罰を容認するものだった。
もしかすると馳文科相は「一部を取り上げられただけなんですぅ」と言いたいのかもしれない。であれば、本サイトとしても改めて、くだんの対談記事を検証する必要があるだろう。
まず、問題発言があったのは、全体の中頃、「体当たりの生徒指導〜身体で教えるということ」という小見出しがつけられている箇所。文脈としては、その前のパートで義家氏が、「『型』を軽視し、個性を尊重すると言ってきたのが戦後教育」とし「結局、没個性な大衆が生まれている」と、現代の学校教育を批判した流れを受けたものだ。保守政治家に分類される義家氏らからすれば、個人の自由を尊重する教育方針は集団や組織、あるいは国家の解体に結びつくと考えるみたいなので、こうした意見自体は別段驚くことではない。
問題はその後である。進行役から「型の話が出ました。ルールを教えるという意味での生徒指導にはどう臨まれましたか」と振られたふたりは、まず義家氏から、「生徒指導で大切なこと。これはいったんひいた線は絶対死守することに尽きる」としたうえで、過去の体罰経験を開陳し始める。
「困るのは高校の場合、生徒が教師を殴るとほぼ一〇〇%退学となることです。だから生徒が殴り掛かってくるときに『受け止めてあげるよ』なんて甘いことは言ってはいけない。それではそのまま殴らせてしまい、結局その生徒は退学です。そうならないためにどうするか。これはこちらから掴みかかってでも倒してしまうのが正しいと僕は思います。とにかく私には毎日体当たりするしかなかった。それは生徒を守らないといけないからですよ。そのために筋トレは一日も欠かせませんでした。指導方法を云々なんて余裕は全然なかったのです」
ようするに、「生徒を退学にさせないため」などといって「こちらから掴みかかってでも倒してしまうのが正しい」と主張しているのだが、当然ながら、こうした義家教諭のやりかたは学校で問題視された。なかでも「いじめの指導で放課後四時間教室から出なかった時は他の教職員がハラハラしながら私の教室の外で見守っていて後で散々言われました」という“生徒監禁エピソード”を持ち出して、こう持論を打つ。
「口で『いじめはダメですよ』と説くのは誰でもできる。でもこれはそんな次元で済ましてはダメで態度で示す以外ない。教室の用具はボコボコになり、最後は加害生徒が泣いて詫びながら二度といじめないことを誓ったので終わりにしましたけど、これは仲間内の教職員から散々に言われました」
つまり、義家氏は、いじめをした生徒を放課後の教室で4時間監禁したあげく、「教室の用具はボコボコに」というのである。本当に「ボコボコに」なったのは教室の用具だけか?と聞いてみたいものだが、この義家氏の発言の直後、馳氏はこう返しているのだ。
「私は朝七時前には必ず学校に行き、職員会議が始まるまでの時間を校門に立って口うるさくやりました。爪、スカートの丈、髪型など。私の場合は終始怒鳴らなくても済んだんですね。というのは私が教員になってすぐに五輪の代表に選ばれましたし、私の身体を見れば生徒は『馳は怒らせると怖い』と分かるのです。生徒は逆らったら怖いとビビっているから、むしろ『怒らせると怖いけれども、そうでなければ普通に話せる』と思わせるよう、授業の始まりにいろいろな話をして気をつかっていましたね」
おそらくこの部分が、馳文科相が会見で「教員時代、朝の登校時に生徒のカバンを見て、中に何も入っていない生徒のカバンを取り上げ『なんだこれは』と、こういったことがなかったとは言わない。やられた高校生がよく覚えていると思う。しかし、それはダメだ。特に体の大きい声のデカいこのような私がしたことの謝罪と反省を踏まえて申し上げたと記憶している」と釈明した部分なのだろう。問題はこれに続く“竹刀が折れるほどの体罰”だ。
「では殴ったことがなかったかと言えば、必ずしもそういうわけでもない。私は高校のレスリング部の監督を務め、石川県で強化委員会をやってましたけど、私の高校はそう強いチームではなかったのです。ですから一週間に一本ぐらいは竹刀が折れていましたよ。これは理由はハッキリしている。短期間でチームをまとめ、強くするには基礎体力をつける以外にない。私は、できるのに、できないふりをする生徒には一貫して厳しく臨んだのです」
ようするに、弱小レスリング部を強くするために、「一週間に一本ぐらいは竹刀が折れ」るほどの強烈なしごき・体罰指導を行ったというのである。では当時、この馳氏の“教育”が評価されたのかといえば、どうやらそうではないらしい。馳氏はこう続ける。
「周囲からはまずいんじゃないかという声も聞こえてきましたが、生徒の親にも積極的に自分の考えを分かってもらうよう努めましたね」
つまるところ、こういうことではないのか。レスリング部生徒の異常な様子、あるいは身体にいくつも刻まれた竹刀での殴打の痕を見た保護者が、学校側に連絡し、事情を聞いた。しかし、当の馳氏は「短期間でチームをまとめ、強くするには基礎体力をつける以外にない」などと保護者に言って、その後もその“教育方針”を曲げなかった──。
真相はその生徒らが名乗り出ないかぎり闇の中だが、少なくとも、馳文科相が会見で言うように「迷惑をかけたことを反省をしているとの意味で、発言した」という調子はつゆほども確認できない。これをどうやったら「自戒・反省・謝罪を込めて発言した」というふうに言えるのか、大いに疑問である。
いや、そもそも、この対談のトーンは一貫して“体罰は教育として肯定される”という流れなのだ。実際、前述の馳氏の発言の後に、義家氏がこんなことを言い出している。
「この機会に申し上げますが、私は正直、体罰という言葉の定義にいつも違和感を抱いてしまうのです。罰を加えるうえで、生徒への悪意、見下した思いに基づくものだったり、生徒を自分の感情のはけ口にするような力の行使は、それは教育ではない。調教か、それですらないと思うのです。許されないことはいうまでもありません。ただ、では教師が力を使えば、全て教育にはなりえないか、教育として否定されてしまうのかといえば、それも違う。敢えて言えば身体を通して教える場面というのはあり得ると思うのです」
もはや、コメントするまでもない。義家氏は明らかに、“体罰は教育として認められる”という自身の考えを明言しているのだ。体罰が“教育になりえる”かどうかは、教師側が決めることではない。義家氏がどういうつもりで体罰を加えたとて、暴力は暴力である。前述の生徒監禁事件によって「最後は加害生徒が泣いて詫びながら二度といじめないことを誓った」のは、本当に教育の成果だと思っているのか。ただ、犯罪的監禁に生徒が屈しただけではないのか。だとしたら、それは教育ではない。“洗脳”である。
では、対する馳氏はどうだったのか。もし「自戒・反省・謝罪を込めて」というのならば、どのような理由があっても体罰を認めてはならないはず。しかし、この義家氏の体罰容認発言にたいする馳氏の答えはこうだった。
「さきほど私の指導について周囲からまずいんじゃないかという声が聞こえてきたといいましたね。先生同士の間で齟齬があったり、疑義や互いに批判すること、『こんなやり方は間違っているのではないか』という思いを抱くことは私も含めて珍しいことではないのです。ただ一点、生徒の前で他の先生の悪口を言わないこと。これは気をつけましたよ」
これ以上引用する必要はないだろう。ようするに、義家氏のあけっぴろげな“体罰には教育的効果があるのでOK”という暴論を見事に“スルー”しているのである。その後、対談は「正常な教育現場をおかしくする勢力」(馳氏)つまり、おきまりの戦後民主主義教育批判へとシフトし、体罰の話題は消えるのだが、やはり、こうして詳細に読んでいっても、当時の馳氏が生徒への強烈な暴力を反省している様子は感じられない。義家氏にいたっては、体罰はさも当然という空気すら漂わせていた。
読者もお分かりいただけただろう。こんなふたりが、文科省のトップに居座っているのだから、本当に恐ろしい限りである。しかし、気になるのは、マスコミは会見での馳氏の言い分を垂れ流すだけで、一切厳しい追及を見せようとしないことだ。しかも、義家副大臣はもっとひどい体罰容認発言をしているのに、今のところ追及の姿勢を見せていない。
この問題を放置し続けることは、体罰を消極的に容認するだけでなく、この国の教育全体を暴力支配に委ねることを意味する。馳氏、義家氏のふたりを、そして彼らを任命した安倍首相の責任を、厳しく追及していかねばならないだろう。
(宮島みつや)
尾木ママ、教員時代の体罰を謝罪した馳文科相に「偉いと思います!!」
馳文科相は大学卒業後、レスラーとして活動する以前に高校教師をしていたが、その当時、生徒に対して体罰を行ったとして、13日の閣議後の記者会見で謝罪したことが報じられた。
報道を受け、尾木氏は「あっぱれ!!言い訳しないでかっての体罰も謝罪する文科大臣!!」とのタイトルでブログを更新。「政治家と言えば自分に不都合は弁解強弁するものですが」と私見を述べつつ、過去のことながらきちんと謝罪した馳文科相の姿勢を「偉いと思います!!」「さすがに文科大臣ですね 間違いは正直に正す 本当に気持ちいいですよね」と称賛した。
よろしかったら大変お手数とは存じますが、上下ともクリックしてくださると大変うれしいです!
「あっぱれ!!言い訳しないでかっての体罰も謝罪する文科大臣!! 」
と、たいそう(???)評価なさってますね、、、、、(苦笑)
http://ameblo.jp/oginaoki/entry-12083795812.html
大阪都構想の住民投票で敗北した橋下徹の記者会見を「橋下徹は民主主義とは何をか理解している」と呆れる文章を載っけてましたが、、、、、
それと同じですね、、、、
馳浩を謝罪を評価するような人間は信用するに足りませんね。。。。。。
残念ながら。。。。。。。。
文科大臣になったから「反省」のフリをしているだけなのに、、、、、、、
それも見抜けないなんて。。。。。。。。。
ただ、感情にまかせて殴るのでは、教師には向いていませんね。 冷静に諭して、指導が出来る能力が無ければ長年の間、教師は出来ないでしょう。
私は、大声も上げず、体罰もせず、冷静に諭してくれた女性教師を今も慕っています。 中学の数学の先生でしたが、生徒には、絶大な人気がありました。 今、思い出しても、凄い美人でしたしね。
音楽の先生も好きでした。 歌うのが嫌いだったのに、譜面を観て歌えるように練習させて、凄く褒めてくれました。 今でもその折の先生の笑顔を覚えています。
こうしてみると、男性よりも、女性の方が教師の適性があるのでしょうか?
暴力教師は、男性のみですしね。
橋下徹が奨めた民間校長は唇ストーカーだったわけで。
まあ、唇ストーカーとヤンキーのまま先生と脳みそ筋肉の三者と比べたら、尾木ママがましです。
教育が、ほんとに心配です。
>残念ながら。。。。。。。。
>文科大臣になったから「反省」のフリをしているだけなのに
これが、歴史問題での日本に対する中・韓の心理って事ですね・・
いくら何言ってもダメだなこりゃ・・
>とら猫イーチさん
>暴力教師は、男性のみ
いえいえ、そうでもないですよ。確かに物理的な暴力は少ないと思いますが、言葉の暴力を振るう女性教師はいました(しかも体育でなく美術担当)。傍若無人で誰彼構わず怒鳴りちらす上、相手の人格を否定する言葉を平気で投げつけるとんでもない教師です。さらに自分ではそういう自分を「デキる女」だと思っているという…。
よってあんまり性別は関係ないような気がします。
そのガタイのよさ、ふてぶてしい顔、野太い声 プラス 竹刀だぞ!
しかもお前は教師で、相手は高校生だ。最初から勝負ついてるじゃないか!
卑怯者! 自分より弱い者を恫喝し、暴力を振るうなんて、犯罪の領域じゃないか! ま、馳浩 プラス 義家でなにをやるか、とくと拝見。すぐに馬脚を現しそう。
ところで、
「 >馳浩を謝罪を評価するような人間は信用するに足りませんね。。。。。。
>残念ながら。。。。。。。。
>文科大臣になったから「反省」のフリをしているだけなのに
これが、歴史問題での日本に対する中・韓の心理って事ですね・・
いくら何言ってもダメだなこりゃ・・」
引用された意見を書き込んだ方は、日本人でしょうが、なぜそれが 「 中韓の心理 」ということになるのでしょうか?
もしかして、ネトウヨ特有の、" 在日決め付け技 " ? www
何を隠そう、我輩も、売国、反日、果ては在日と 褒められたのである、Thanks!
>何を隠そう、我輩も、売国、反日、果ては在日と 褒められたのである、Thanks!
ネトウヨから「売国奴 反日 在日 中国・韓国・朝鮮へ帰れ」と罵倒されるのは、、、、、、
ある意味、「名誉」ですね。。。。。。。
「あなたは真っ当な感覚の持ち主」であると、、、、、、(苦笑)
このコラムとは関係ない、拙い文章で申し訳ありませんでした・・
いずれにせよ、この大臣の過去の行いは確かに悪事です。まぁ、こうやって過去を反省しているところを、現在は見せているのですから、少し様子を見てみては?
突っつきたくなるお気持ちは非常にわかりますけどね。
アンチの意見→ネトウヨ?!→やっつける!!
という思考回路がほぼ出来ております。
ヒューマニズムに回帰せねばと、自省しております。(しかしすぐ忘れて、また2行目の反応をしてしまう w )