──「ズル休み疑惑報道では、当時、党の最高顧問だった橋下徹氏と釈明会見を行ないましたよね。

上西小百合(以下同)  最初にズル休み疑惑報道が出たとき、党からは「隠れとけ」って言われていて。それでなかなか表立って否定できず、逆に拡散していく要因になったんですよ。「撮らないでもらえますか?」と私が記者に凄んでいるシーンが何度も流されたのも、まんまとやられたと思いましたね。

じつは、党関係者から「『撮らないでください』って言ったら報道されへんから、そう対応しろ」と言われていたんです。橋下さんは自分を「危機管理のプロ」とか言うてはりましたけど、私からしたら「どこがやねん!」みたいな。あんたのせいで広がったんや!(笑)

橋下さん、松井さんや党幹部の皆さんは最初、私の立場で話を聞いてくれていたんですけど、急に態度が変わって「これは世間の人たちが納得してないからダメだ」といったことを言い出して。「え…? いいって言っていたやん」「『きちんと診断書もあるし問題ない』ってあんたら言ったやん」みたいな。

2015年4月、記者会見する橋下氏(右)と上西氏(写真/共同通信社)

2015年4月、記者会見する橋下氏(右)と上西氏(写真/共同通信社)
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──当時の維新には、どんな意図があったのでしょうか?

私があそこで議員を続けていたとしても、たぶん次の選挙には出られなかったんですよ。というのも、国会議員になりたい維新の地方議員や党関係者はいっぱいいて、誰に公認を与えるかはほとんど大阪のほうが決めていましたから、誰か今の衆院議員を降ろしてそういう人たちに公認を出そうという動きがすごく感じられて。その対象は地方議員出身でもなく政界に縁故もない、私たちみたいな存在だったのかもしれませんね。

これは維新が国政進出して最初の、私たち新人が大量に初当選した選挙の影響もあって。当時ほとんどの地方議員の方々は「どうせ無理やろ」と思っていたんですが、蓋を開けたら想定外に当選したので、「嘘!? 俺らも出ればよかった!」となったみたいで。だから、「勝つなら、俺もいかしてや!」「わかった。じゃあ今おるのを降ろそか」というやりとりあったのがもう見え見えで。