京都五山とは歴史が違いますが、最後の記事にあるように、毎年送り盆の8月16日に開かれている平泉町の伝統行事「平泉大文字送り火」で、今年は東日本大震災によって倒壊した家屋の木材などを火床にして燃やされることになったそうです。
主催する平泉観光協会の担当者は「心を込めて燃やし、震災犠牲者の御霊(みたま)を供養したい」と話しておられます。
平泉も世界遺産になる古都。冒頭の写真のように美しい送り火。少しほっとしました。
京都の五山送り火で、陸前高田市の薪を使おうという話がご破算になったのことで、多くの方々の心が傷つきました。
「五山の送り火」は、先祖供養や無病息災を祈願し、薪を燃やす、お盆の伝統行事です。今年は、薪に津波で流された岩手県陸前高田市の松が使われることになり、被災者らが犠牲者の名前や復興への願いを書き込みました。
しかし、放射能汚染を心配する声が相次いだことから、薪から放射性物質は検出されなかったものの、保存会はいったん使用中止を決定。すでに用意されていた薪は、陸前高田市で迎え火として焚かれました。
ところが、中止の判断に全国から批判や抗議が寄せられたため、京都市などは一転、使用することを決定。11日、再び陸前高田市から薪およそ500本を取り寄せたばかりでした。
それが一転、薪の表皮から放射性物質が検出されたと言うことで、12日の中止。
話が二転三転する中で翻弄された陸前高田の方々、京都五山の方々。
後から考えればいろいろ打てる手はあったのですが、結局、誰が悪いわけでもなく、原発事故を起こした者どもが悪い。
京都五山の送り火も行ったことがないんですが、この平泉では花火が上がるんですね(京都でも上がるの?)。天に昇った方々からもよく見えることでしょう。
ただ気になるのは、放射性物質に対する過剰反応です。それは、このブログへのコメントにもあった、郡山ナンバーの車に嫌がらせをする醜い行動にも通じるものです。
HPから相互リンクさせていただき、畏敬する北海道大学法科大学院町村教授のmatimulogの一節を引用してご紹介したいと思います。
「今回のマツの事案に現れた忌み感情は、原子力災害を受けた地域の住民に対する就職差別や結婚差別という形で現れることもあるだろう。
誤解のないように付け加えると、京都の人たちがそうだといっているのではなく、そのような忌み感情を共有している可能性があれば、それが差別的な行動になるだろうといっている。
さらに、マツの事案でもそうだったように、集団の多くが差別的な忌み感情にとらわれず、理性的行動しようとしても、集団の中に誰か人が差別的な忌み感情から声を上げる人がいれば、結局はその差別的な忌み感情と対決しない限り、それに引きづられることになる。」
誰が悪いわけではないけれども、陸前高田の薪にセシウムが検出される前から、薪に使用させないという運動が起こっていたのは大問題です。
さらに言えば、後に薪の表皮から検出されたのもたかが1キロ1000ベクレルでしょう。それって、野菜や肉で検出されても基準値とたいして変わらない量ですよ。薪を食べるわけでもないでしょうに。全部の薪を燃やして飛び散る放射性物質なんて、すでに京都に降り注いでいる放射性物質に比べれば微量ですよ、微量。
何度、被災者は傷つけばいいのか。
京都の方々が気になるのなら、私なら表皮を削って薪を使いますが、聖なる儀式に一点の曇りも許さないお気持ちが強かったのでしょう。。。。
かたや過剰な穢れ意識。かたや自分たちがすでにヒバクシャであるということへの認識欠如。
結局、事実をありのままに見つめない過剰と過小が今回の事件の原因の一つであるということは言えると思います。
お盆は遠く東に向かって手を合わせます。
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京都に送られなかった薪は、陸前高田で迎え火となり、その役目を終えました。
京都新聞 2011年8月13日
京都市は12日、五山送り火で燃やす計画だった岩手県陸前高田市の被災マツの薪(まき)から放射性セシウムが検出されたため、計画中止を決めたと発表した。門川大作市長は緊急会見し「計画の前提が崩れたので市の責任において判断した。断腸の思いだが、断念せざるを得ない」と述べた。
会見の冒頭、門川市長は「陸前高田市のみなさんをはじめ、多くの市民、国民に心からおわび申し上げる」と頭を下げた。陸前高田市を訪れて市長に謝罪する意向も示した。
市によると、運び込まれた薪500本すべての表皮と芯の部分を中京区の検査会社で測定した結果、表皮の検体から1キログラム当たり1130ベクレルの放射性セシウムを検出した。「大丈夫だと責任を持った見解は出せないと、専門家から言われた」(市長)という。
五山の送り火に薪を使用するのに当たり、市は各保存会に対し「放射能が検出された場合、使用しない」と提案していた。中止の決定は五山の各保存会にも伝え、了承を得られたと市は説明した。
今後、信頼回復に向け門川市長は「引き続き市民と心を一つにして、被災地支援に全力を尽くしたい」と述べた。500本の薪は市内の業者倉庫にいったん保管し、処分方法を検討する。
被災地のマツの受け入れをめぐっては、6月中旬に大文字で薪を燃やす計画が持ち上がったが、放射能を不安視する声が上がり、8月上旬に中止が決定。その後、11日までに別の薪500本を五山の送り火で燃やすことが決まっていた。
千ベクレルを超える放射性セシウムを検出したが、野焼きの場合、放射性物質を含む物の安全性を示す国の基準はない。市の中止決定が被災地の風評被害をさらに広げるとの声も上がっている。
送り火の五つの保存会で作る「京都五山送り火連合会」は12日夜に緊急会合を開き、今後の対応を協議した。田中博至会長(74)は「ご先祖の霊をお迎えする時期に世間をお騒がせした。2度も東北の人たちを悲しませる結果になり申し訳なく思っています」と謝罪した。
送り火中止「騒ぎになって欲しくない」 陸前高田市長
朝日新聞 2011年8月13日4時26分 |
「これ以上、騒ぎになって欲しくない。遺憾だ」。京都市の中止会見を受けて、岩手県陸前高田市の戸羽太市長が12日夕、プレハブの仮庁舎前で、怒りをあらわにした。
「京都の独自の判断で中止するというのは風評被害をさらに拡大する」と、明確な基準を示さないまま中止を判断した京都市の対応を強く批判。京都市の門川大作市長側からは電話で謝罪訪問したいとの申し出があったが、断ったという。
さらに、「京都市には陸前高田を心配してくれる人もたくさんいる。京都市は被災者をどう考えているのか。京都市民にも迷惑がかかる話」とも語った。
当初の計画は、大分市の美術家から協力を求められた京都の「大文字保存会」が進めた。「もう勝手にしてくれという気分。現場に足を運ばずに判断しているのは許せない」。薪にそれぞれの思いを書いて京都に送る当初の計画を呼びかけた陸前高田市の鈴木繁治さん(66)は怒った。
当初の薪に鎮魂の祈りを込めて「絆」と書いた佐々木倉雄さん(67)は「お盆の時期にことを荒立ててもらいたくない」と話した。
大文字送り火:取りやめに気持ち複雑 息子亡くした男性
2011年8月13日 11時49分 更新:8月13日 11時50分 毎日新聞
岩手県陸前高田市の高田松原の松を京都の「大文字」に使う計画が二転三転し、結局取りやめとなった一連の騒動。震災後初めてのお盆を前に振り回された陸前高田の人々は、複雑な気持ちで受け止めている。20歳で亡くなった一人息子への思いをまきに刻んだ菅野一剛さん(51)は「残念だが、割り切らなきゃいけない。被災地のためにと考えてくれた人がいる、それだけで十分ありがたい。これからも見守ってほしい」と静かに語る。
菅野さんは5年前の7月、高田松原のすぐそばにコンビニエンスストアを開業した。昨年7月には、高校卒業後2年間、東京で働いていた長男智之さんが帰郷。菅野さんは少しずつ事業を任せようと考えていた。
あの日、菅野さんは仙台市内で開かれた店長会議に出かけていた。昨年まで消防団に所属していた父親に代わり、消防団への入団を考えていた智之さんは祖母を高台へ避難させた後、団員らと避難誘導に当たっていて行方不明となった。遺体が見つかったのは8日後の3月19日。「息子は責任感が強すぎるぐらいでした」
菅野さんの県立高田高校時代の同級生も10人以上命を落とした。息子の名前とともに亡くなった友人の名前を分かる範囲でまきに書き込んだ。「歴史のある大文字の送り火に使ってもらえるなんて、こんなにありがたいことはないと思った」という。
結局、まきが大文字に使われることはなかったが、菅野さんは「逆の立場に立ってみれば、反対する人もいるだろうと思う。納得してもらえない状態で燃やすのは申し訳ない」と、京都市の対応に理解を示す。まきは8日、陸前高田市内で迎え火として燃やされた。
お盆明けの18日、市内でコンビニエンスストアを再開する。「前に進もうとか、そこまではまだ考えられない。ただ、生かされたものとして、何かしなければという思いがあるだけです」【市川明代】
平泉大文字送り火:被災家屋の木材使用 「犠牲者の御霊を供養」--16日 /岩手
毎年送り盆の8月16日に開かれている平泉町の伝統行事「平泉大文字送り火」で、今年は東日本大震災によって倒壊した家屋の木材などを火床にして燃やされることになった。主催する平泉観光協会の担当者は「心を込めて燃やし、震災犠牲者の御霊(みたま)を供養したい」と話している。
大文字送り火は、終戦20周年にあたる1965年に、戦没者の供養と中尊寺金色堂の新覆堂完成を記念して始まった。束稲山(たばしねやま)に連なる駒形峰の山肌が「大」の文字で赤く染められ、亡き人を慰霊する。
6月に毛越寺の檀家(だんか)が「被災家屋の木材を使って犠牲者を鎮魂してはどうか」と提案したのがきっかけ。観光協会の職員らが7月下旬に、洋野町から宮城県南三陸町までの14市町村を訪ね、津波で一部流された家屋の柱などの提供を受けた。量にして軽トラック1台分になるという。
今月6日には平泉中学校の生徒ら約110人が山まで運び、約3200本のまきとあわせて64基の火床を組んだ。16日は午後8時に卒塔婆と一緒に点火される。【湯浅聖一】
毎日新聞 2011年8月13日 地方版
また、中尊寺平泉の送り火に被災家屋の木材を使用するなど、被災地の木材を焚き木に用いる問題が、新たな汚染と放射能罹災の危険性に、付け加えられている。
最近になって、被災地瓦礫の放射性物質処理、また特に、福島市内の水道水浄化施設で、放射性物質を含む汚泥処理が、そろそろ飽和点に達して、「国の一時的な処理基準」では、どうにもならない現実を突きつけられている。
地方公共団体の都道府県と市町村らは、その本格的な処理方法を国の政府、関係各省大臣へ要請している。
しかし、芳しい回答がない膠着状態となって来た。
これらの問題は、所詮、東北大地震被災地における福島原発事故被曝問題の一環であって、一言で言うと福島原発事故被曝の原因物質が、放射性物質なので、地方自治体の取扱い措置方法を求められて、その処理の重要さと深刻さを如実に示す、バロメ-ターとなっている。
こうして、東北、その他の関東、静岡などで、放射性物質が福島原発事故の被曝と疎開を齎して、生命財産、人格性の人権保障を侵害している実態が、本格的テーマとなった経緯である。
この点で、政府、地方自治体らが、思考停止の現況は、なぜ生じたのかについて、検証することが唯一の解決策であって、このままに放置すれば永遠に原発危機の影響から、国民、市民、住民らが逃れることができなくなる。
核の呪縛とは、このことであって、正面から取り組む以外に方法はない。
この課題を難しいと思わないで、時の施政者は労を厭わず、第一番目の優先順位に位する重要テーマとして、自ら率先して取り組むことを切に望む。
ちなみに、藤沢氏のブログに興味深いことが書かれてありますが、
(http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51849049.html#comments)
特に、コメント欄を熟読してください。私ら京都市民のいやらしさが、にじみ出ていますから(苦笑)。
ものすごくデータは細かいのですが、普段から放射線の影響を過小評価しているので、京都の人にとっては説得力無いと思いますよ。
むしろ私のような脱原発ブロガーの方が。。。。(笑)
しかし、すごいコメントの数!
そこが一番印象的でした(悔)
確かに、大文字保存会が、陸前高田市の善意による東北大震災地域の災害死亡者供養を併せて、地元産の樹木を薪に燃やす、全国の供養を演出するもので、東北の初供養申出も人情物語として、美しい話であった。
したがって、この申し出を大文字保存会宗教団体の役員らが、世紀を画した大震災罹災者死亡の初供養にと、一応の受け止め方は、人情味豊かで好ましい報道でした。
これを、全国供養の宗派を越えた扱いで、無碍に断りきらなかったのも、止むを得ない仕儀でしょう。
いかにも、この仏の慈悲ある心を送り火行事の中で具現化した話が、なぜに”可笑しくなってしまった”のかは、簡単な行き違いとして、単純に無視できるものではない。
勿論、所詮は京都の仏教会関係者らが、宗教上の一種宣伝効果を持って、東北被災地死亡者らを全国的な盆の祭礼に、取り込む意図として、解釈することもできる。
また、純粋な宗教精神から、東北一円の今は亡き命を送り火に含め、全国民の合同例祭にする観光名物で、少しくらいの放射性物質炎上くらいは東北の市街、山野で日常だ、と言って、済ますこともできる。
今更、何を言うのかと東北の住民らが、鼻をを曲げるのも、無理からぬのでしょう。
しかしながら、この課題は、実は単純な問題に過ぎないで、済ませられないところに、その放射性の原因物質が持つ、重要性を秘めている。
この大文字送りの拝火は、京都は言うまでもなく、近畿一円、そして風向きによっては、全国そして海外へと、拡散される可能性があった。
なぜなら、このような放射性物質被曝ケースで、全世界にも例を見ないもので、このように原因物質を公衆の面前で、宗教礼拝の一種、仏教宗派の送り火一大行事となれば、空中と地面、地中の地下水へと、拡散する可能性を否めない。
日本国の政府、公共団体らが、この度は菅首相を初め、福島原発事故被曝の溶融メルトダウンを、約2ヶ月にわたり完全に隠蔽工作とした結果、東北一円、関東地域、静岡などの被曝となった。
このような事態は、国際的に例を見ない非人間的なものでして、牛肉の稲わら汚染被害も全国的に広がって、義務教育学校の児童らにも内部被曝被害の事実が、明らかす。
こんなことを、人道に外れてやらかした内閣、各省大臣、地方自治体らは、全世界を隈なく探しても一例さえない。
全世界の人々は、驚き呆れたので、観光客も外国から来ないし、外国元首ら外交筋さえも、皆んな日本を素通りです。
ことの真相をみるのは、足元に目を注視することです。
次の原発被曝事故を防止するためには、この大文字送り火の東北産樹木、薪併用祭祀ケースも、決して軽く考えるべきではないでしょう。
大きな問題を解決するためには、必ず小さな日常の課題にも細かな視点で、配慮する必要性を、欠かせませんから、、、
標準型の原子力発電所は、万が一の爆発時に軍事用核兵器の水爆一発投下に、匹敵しますから、慎重に重厚な物事の考え方、見方を要します。
成田山、ありがとう!
陸前高田市の松の木 新勝寺へ
8月14日 14時32分 NHK
津波で倒された岩手県陸前高田市の松の木が、震災で亡くなった人たちの供養のために、千葉県にある成田山新勝寺に送られ、9月に護摩の木と一緒にたかれることになりました。
陸前高田市の国の名勝「高田松原」では、およそ7万本あった松が津波で1本を残してなぎ倒されました。震災で亡くなった人たちの供養にと、8月はじめに成田山新勝寺から提案を受け、陸前高田市の金剛寺が倒れた松の木の一部を送ることになりました。高田松原の松を巡っては、8月16日に京都市で行われる送り火で、燃やすことが計画されていましたが、陸前高田市から取り寄せたまきを検査した結果、皮の部分から放射性セシウムが検出されたとして、京都市が送り火の保存会と協議し、計画を断念したと8月12日に発表しています。これについて、新勝寺は、陸前高田市から発送する前に、松の皮を削れば心配はないとして、予定どおり9月に護摩の木と一緒にたくことになりました。金剛寺の小林信雄住職は「本当にありがたいです。震災で亡くなった人の供養はもちろん、生き残った人たちの心の癒やしにもなると思います」と話しています。
意味で焼きます、今年は「東日本大震災」の鎮魂も込めて、被災地の薪で大文字を焼くそうです。
8月16日は京都の「五山の送り火」と言い、「大文字焼き」と言うと怒りを買います。
いつも思うのですが、京都人の器の狭さと品格を下げているのがわからないのでしょうか!?
同じ日本人として恥ずかしい行為です。
福島から避難してきた子どもが学校でいじめられた事件もありました。
そして、郡山ナンバーの車がいたずらされた事件もあるわけです。
原発や基地を田舎に押しつけてきた、日本列島に住むすべての人間が反省すべき問題ではないでしょうか。
サンガさんたちだけを責めたら可哀想じゃないでしょうか。
花火が上がる例だと、箱根強羅夏まつり大文字焼があります。関東の方はこちらのイメージが強いようです。
お盆の行事にどこまで観光的要素を取り入れるのかというところでしょうか。
五山送り火は所詮町内会のイベントに過ぎないので、話が大きくなるとややこしくなります。
京都も奈良も箱根も成田山も行ってみたいものです。
京都の夏の伝統行事「五山送り火」が16日夜、市街地を囲む山々で営まれた。今年は東日本大震災の津波で流された岩手県陸前高田市の名勝「高田松原」の松の使用をめぐって混乱。これらの松から、被災者らのメッセージを書き写した京都産ヒノキの護摩木が燃やされた。
五山の一つ「大文字」では、高田松原の松のまきを使用する予定だったが、放射能汚染を懸念する声が寄せられ中止したところ、批判が殺到。いったんは五山全てでまきの受け入れを決めたが、京都市が取り寄せたまきから放射性セシウムが検出され、再度中止された。
このため大文字では、被災者らのメッセージを書き写した護摩木約1000本が燃やされたほか、市民や観光客らが被災地の犠牲者慰霊や復興祈願を記した京都産松の割り木など約500本にも各山で火が付けられた。
各山では点火前、関係者が黙とう。犠牲者らの鎮魂を祈った。(時事通信 2011/08/16-20:43)