米軍が沖縄に返還した土地に、枯れ葉剤を埋めて捨て、隠していたことを元米軍兵士が証言しました。
枯れ葉剤と言えば、米軍がベトナム戦争でジャングルで戦うゲリラに手を焼き、これに対抗するために使用した化学兵器です。ジャングル自体とその中に作られている田畑を枯らしてしまおうとして大量に使用されたのですが、枯れ葉剤は猛毒のダイオキシンを主成分にしており、多くの市民の命を奪い、ベトちゃんドクちゃんを象徴とする多数の奇形児を産みました。
原爆にしても、枯れ葉剤にしても、決して欧米人同士の戦闘では使用されることがありません。
戦争を有利に運ぶために、ジャングルや田畑を枯らしてしまおうという軍の発想。それによって非戦闘員にいくら犠牲が出てもかまわないというアメリカの思想。
そして、いらなくなった化学兵器を、後のことなど考えもせずに、人の住む土地に埋めてしまうという行動。これは中国で旧日本軍がしたのと同じです。
とことん、ベトナム人や沖縄県民というアジア人を蔑視した精神と行動には吐き気がします。
海兵隊のヘリコプターが宜野湾市の沖縄国際大学に墜落して8月13日で7年が経過しました。危険な訓練は今も続き、来秋にはこれまで全世界で7回も墜落した「未亡人製造機」=パイロット殺し、垂直離着陸機MV22オスプレイを配備する予定になっています。
大学にいきなり軍用機が墜落する理不尽な環境を、いつまで放置し続けるのでしょうか。
事故直後、消火作業が終わった後にアメリカ軍が現場を封鎖し、軍事機密だとして事故を起こした機体を搬出するまで日本の警察・行政・大学関係者が現場に一切立ち入れなかったことも反発を招いた。さらに当該機のローターの氷結による亀裂・劣化の検出に安全装置として、ストロンチウム90という放射性物質が6個のステンレス容器に納められており、今回の事故で一つが機体の燃焼により損壊し、識別不可能になった。
米本国の海兵隊基地キャンプ・ペンドルトンで、民間地上空を軍用機が飛ぶことは全くないのだそうです(当たり前!)。
そもそもアメリカ本国では新型機配備の際は環境影響評価を実施し、自然環境に与える影響などを詳細に分析しています。滑走路両端の一定区域には一切の構築物を建ててはならないクリアゾーンをもつことが米軍の安全基準となっていますが、普天間はその基準さえ満たさないのです。
普天間では、その米軍の基準では建物があってはならないクリアゾーンに18の公共施設があり、4千人が暮らしています。
世界で最も危険な飛行場、といわれる所以です。普天間基地はオスプレイ配備どころでなく、本国では存在が認められない飛行場なのです。
また、たとえば、イタリアの基地では夏場の昼寝の時間帯には一切米軍機が飛びません。ところが、沖縄では、夜間の発着を原則禁止とする協定を結んでも平然と破り、明け方まで爆音をまき散らすのです。
これが差別でなくて何が差別でしょうか。欧米人に比べて日本人の命と健康は軽いと言わんばかりです。
2000年には海兵隊員19名が死亡する事故を起こした未亡人製造機オスプレイ。こんな見るからに不安定な垂直離発着ヘリが来年沖縄に配備される。こんな強襲用の軍用機は日本にいらない!
日本政府のやり方もとことん沖縄を馬鹿にし、また差別しています。
米側からはオスプレイ配備の情報がこれまでさんざん出ていたのですが、政府が認めることはありませんでした。それなのに米国が発表するや、何の異議を挟むのでもなく沖縄県や宜野湾市などに伝達しました。
沖縄の基地と原発建設と決定的に違うのは原発はまがりなりにも立地自治体の了承を取り付けている点です。また、事故後は、政府が不十分とはいえ脱原発も含めたエネルギー政策転換に踏み込んでいます。これに対し基地問題は地元沖縄がとことん拒否し続けても政府は普天間県内移設にこだわっているのです。
沖縄国際大学に墜落した世界最大級の輸送用ヘリコプター。こんなものがなぜ沖縄に必要なのか。
沖縄は、大日本帝国により、本土決戦を遅らせるための捨て石として使われました。その結果、日本で唯一地上戦の行われた沖縄では20万人が犠牲となったのです。
戦後は沖縄の地主の意思に反し広大な土地が接収され、次々と米軍基地が建設されました。今も沖縄県全体の1割余、人口が集中する沖縄本島の2割弱が米軍施設・区域なのです。
沖縄国際大学でヘリが炎上した当時の小泉純一郎首相は事故後、観劇を楽しむ一方、沖縄県知事との面談は拒否しました。東京で大阪で同じ事故が起こっていたら、石原都知事や橋下府知事との面会を断れるでしょうか。
一時は普天間移設を明言した鳩山由紀夫前首相は今年2月、首相当時の昨年5月に米軍普天間飛行場の沖縄県外移設断念の理由に米海兵隊の「抑止力」を挙げたことについて「後付けの理屈」、つまり、方便だったと言い放ちました。
この元首相達の無残な差別意識を批判することが出来るのか。
青森の六ヶ所村には放射性廃棄物再処理施設。沖縄には米軍基地。日本列島の端っこに置いて、目の当たりにすることがなければ、ないことにしてしまうのか。
今、我々自身の高潔さが問われていると思います。
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「枯れ葉剤 北谷に埋めた」 元米軍人証言
琉球新報 8月14日(日)10時10分配信
1969年に米軍が北谷町内に枯れ葉剤を埋めたと地図を描いて説明する元米軍人男性。地図上には嘉手納飛行場や普天間飛行場、那覇軍港と北谷町ハンビー地区が示されている(ジャパンタイムズに寄稿したジョン・ミッチェル氏提供) |
英字紙ジャパンタイムズが同日、68~70年に米陸軍補給部隊で物資の運搬に携わった元軍人が、枯れ葉剤が北谷町内に埋められたと証言したと報じた。
70年に泡瀬通信施設で勤務した際に枯れ葉剤との接触で健康被害を受けたと訴え、沖縄の枯れ葉剤に関する情報を集めている元米空軍所属のジョー・シパラ氏(61)=米ノースカロライナ州=は13日、琉球新報の取材に、今回証言した元米軍人と今年7月に面会し「枯れ葉剤が埋められた場所はハンビー地域」だと地図を描いて説明されたと話した。
シパラ氏が得た証言によると元米軍人は69年、枯れ葉剤を含む物資を運ぶ米軍の貨物船が座礁した際に、船上から積み荷を降ろす作業に従事した。その際、枯れ葉剤が入ったオレンジのしま模様があるドラム缶も取り扱い、その割れ目から漏れた枯れ葉剤を浴びたという。その後、米軍が枯れ葉剤入りのドラム缶数十本を北谷町内に掘った全長46メートルほどの大きな穴にクレーンを使って埋め、土をかぶせたのを目撃したと話している。
北谷町幹部は81年のハンビー地域返還後に土地を再開発した時点では、地中からドラム缶は発見されなかったとしている。2002年には付近にある同町美浜の米軍返還地で油状の物質が入った大量のドラム缶が地中から発見されている。
2011年5月31日 琉球新報社説 米軍普天間飛行場の危険性を増大させる動きが具体化してきた。垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの配備を近くゲーツ米国防長官が北沢俊美防衛相に正式に伝えるというのだ。
オスプレイは開発段階で4回墜落し30人の死者を出している。2007年の実戦配備後も10年4月にアフガニスタン南部で墜落、4人が死亡した。県民の生命を脅かす軍用機の配備は断じて容認できない。
許し難いのは、「開発段階で墜落が相次いだとはいえ、米軍が実戦配備している装備を『危険だ』と拒むのは難しい」として防衛省幹部が早くも受け入れる姿勢を見せていることだ。
日米安全保障条約の実施に関し米軍の装備に重要な変更があるときは事前協議の主題とすることが日米間で合意されている。オスプレイ配備はCH46ヘリからの機種更新で「重要な変更」に当たらず、拒否する法的権限もないというのが日本政府の見解だ。
いずれにしても、ただでさえ危険な普天間飛行場をさらに危ない施設にするのは間違いない。県民にとって死活的な意味を持つ装備変更となる。たとえ権限はなかったとしても国民の安全を守る観点から配備を見合わせるよう主張するのは政府として当然の務めだ。
宜野湾市の真ん中に位置する普天間飛行場は、住宅地の上を飛ばない限り航空機が離着陸できない。04年には同基地を発着する米軍ヘリが沖縄国際大学の構内に墜落、炎上した。民間人に死傷者が出なかったのは奇跡だ。再び事故が起きれば今度こそ大惨事につながりかねない。この上、オスプレイを常駐させるなど論外だ。
この間、普天間基地所属の航空機は訓練などでたびたび国外に派遣され、実質的に飛行場がもぬけの殻に近い状態になることもあった。そのような基地がどうして抑止力として機能するのか。米国が代替施設に固執するのは太平洋戦争の「戦利品」にも等しい米軍基地を失いたくないからだろう。
県外、国外への移設ができないまま、ずるずると危険を放置するのは許されない。普天間飛行場は移設の成否にかかわらず一刻も早く閉鎖状態にすべきだ。
政府、とりわけ外務、防衛両省は米国の要求なら何でも是認する受動的な態度を改め、気概と気迫を持って米国と交渉してほしい。
即時飛行中止求める 沖国大で集会 米軍ヘリ墜落7年2011年8月14日 琉球新報
米軍ヘリ墜落で焼け焦げた木のモニュメントを前に声明を発表する沖縄国際大関係者ら=13日、宜野湾市の同大
宜野湾市の沖縄国際大に米軍ヘリが墜落して7年を迎えた13日、「普天間基地を使用する航空機の飛行中止を求める学内の集い」が同大内で開かれた。2012年に予定されている垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの配備によって普天間飛行場の危険性が高まることが懸念される中、即時飛行中止と飛行場の閉鎖・返還を訴えた。FECの「お笑い米軍基地」特別公演もあった。
富川盛武学長はオスプレイ配備について「普天間基地の危険性がさらに増大することは遺憾だ。大学の静寂・安寧を脅かし、生命すらも脅かす飛行は認められない」と批判し、普天間飛行場を使用する航空機の即時飛行中止を強く求めた。
同大学生で平和学習サークル「スマイライフ」の渕野秀賢副代表は、県外の修学旅行生らと米軍基地や戦跡を回った経験を踏まえ、「私たちと同じ世代が米軍基地のことやヘリ墜落事故に関心を持ち、平和について考える機会としたい」と訴えた。
その他の人間と社会が実験対象となる哲学であって、第二次大戦後に日本でも、その後塵を拝してきた。
沖縄に、アメリカ軍のベトナム軍事作戦無差別兵器が廃棄されていても、日本行政の国内処理はアメリカ軍政を引き継いだ措置となって来たので、当然でしょう。
これは、日本へ琉球を返還する前まで、住民の青年を米国留学でしたから、一朝一夕に改善できるものではない。
日本に根付いた差別意識の原点でもあって、難問題の一つですから、わたしも勉強してみます。
わたしの米国留学時に、琉球から留学の最後の学生が、米空軍輸送機で空輸されていた。
偶々、在沖縄の友人も多く、この間の事情に関心を抱いて来ました。複雑で、一朝一夕の課題ではないのですが、、、
非常に大切な問題です。