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テレビ界ではほとんど絶滅寸前の硬派ジャーナリストのお一人、金平茂紀さんがTBSの執行役員を退任するという記事が、朝日新聞にごくひっそりと載っていました。
しかも、TBSと同資本系列の毎日新聞ほかどこをどう探しても、この件の記事を見つけることができません。
金平キャスター、TBS執行役員退任へ
2016年3月10日18時55分 朝日新聞
TBSテレビは10日、TBS系「報道特集」でキャスターを務める金平茂紀氏が31日付で同局の執行役員を退任すると発表した。同番組のキャスターは続けるという。
記事が短い!
写真付きだからベタ記事とは言わないのかもしれませんが、これでは事情も何も全く分かりません。
金平さんと言えば、高市総務大臣が放送内容が公平でなかったら電波を停止する可能性があると発言したことに対して、「私たちは怒っています」という記者会見を開いた一人。
記者会見に臨んだ6人の中で、ただ一人TBSの社員という、いわば宮仕えで立場で、しかも、この記者会見を取り仕切る司会進行役をされていたので、その勇気が絶賛されるとともに、TBS社内での立場は大丈夫なのかと危ぶまれていた中での、今回の「降格」人事です。
なにか関係があるんじゃないかと思わない方が無理です。
「私たちは怒っています」。テレビジャーナリスト6人の「高市発言」に対する抗議記者会見全文と動画。
金平さんのお名前の文字が間違っていてすみません。正確には金平茂紀さんです。
金平さんはこの記者会見で
「自主規制とかそんたくとか、あるいは過剰な同調圧力みたいなものが、それによって生じる萎縮みたいなものが、今ぐらい蔓延してることはないんじゃないかというふうに私は自分の記者経験の中から思います。」
「考えてみますとテレビのキャスターとか、コメンテーターっていう人たちがこうやって一堂に局を越えて何かするというのは、2001年の4月に個人情報保護法に異議をするキャスター声明っていうのがあってだいたい同じ顔ぶれだったんですよね。そのときは実はテレビの各チャンネルのキャスターたちがみんな勢ぞろいしました。筑紫さんがまだ存命だったですね、安藤優子さんとか、日テレからもテレビ東京からもフジテレビからも来ました。それが今、できなくなっています。」
「僕らの呼び掛けみたいなものが横に広がっていない、縦に広がっていないということを認めざるを得ません。皆さんは取材という形でここにお集まりいただいているんですけども、今日のアピール文の呼び掛けの対象のかなりの部分っていうのは、もしかすると僕は取材されている皆さんじゃないかというふうに思っている次第です。」
とおっしゃっています。
TBSの幹部、現場の記者はこの声をなんと聞く。
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![]() |
メディアの法と倫理 |
嵯峨野書院 |
マス・メディアやジャーナリストによる取材・報道活動を「法」と「倫理」という2つの社会的ルールの観点から分析し、批判する学問分野である「メディア倫理法制」の概説書。
金平さんって顔が怖いでしょ?そこがものすごく信用できる。こういうのがジャーナリストの顔なのでは?
もしこの人を食事に呼んだら、安倍首相は物がのどを通らないでしょう。
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「法匪」の時代=金平茂紀
毎日新聞2016年3月11日 東京夕刊
「電波停止」発言で広がる波紋
「法匪(ほうひ)」と聞いても普通の人は何?と首をかしげるだろう。手元の国語辞典には、「ホウヒ」はギョーザの皮の類をさす「包皮」と、それから、おならをすることの「放屁」しか出ていなかった。
「法匪」という言葉を僕が聞いたのは、昨年の安保法制をめぐる国会審議の際、参議院の公聴会に出席した元最高裁判事、浜田邦夫氏の発言だった。浜田氏は、集団的自衛権が合憲だというアクロバティックな解釈をする人々を「法匪」と呼び一刀両断にした。「法匪という言葉がございますが、法文そのものの意図するところとはかけ離れたことを主張するあしき例で、とても法律専門家の検証には堪えられない」
先月初旬の高市早苗総務相の発言が内外に波紋を広げている。政治的公平性を欠くような番組を繰り返して放送した場合、政府がテレビ局に対して「電波停止」を命じる可能性があることに言及したものだ。僕自身、先月末、ニュースキャスターらとともに「私たちは怒っている」という記者会見に参加した一人だが、その後も憲法学者らが抗議の声明を出した。
高市発言への意見はさまざまだろう。日本は民主主義国家なのだから、多様な意見を述べる自由は保障されている。問題の核心は、為政者や役人らの放送法についての理解度だ。
放送法の精神を理解するために、その成立過程を調べると、実に興味深い資料に出会う。たとえば旧逓信省(現総務省)が作成した国会想定問答集。「放送は情報及び教育の手段……として至大な影響があるので、放送をいかなる政党政府、いかなる政府の団体、個人からも支配されない自由独立なものとしなければならない」「憲法には表現の自由を保障しており、また放送番組に政府が干渉すると放送が政府の御用機関となり国民の思想の自由な発展を阻害し戦争中のような恐るべき結果を生ずる」とある。これが当時の役人の考え方だった。それから幾多の歳月が流れた。今、法匪という言葉を連想する事態が起きている。
僕らは、水爆実験やミサイル打ち上げ成功を喜々として報じる北朝鮮の国営テレビのニュースをみて、ああ、あの国には放送や報道の自由なんてないのだろうな、などと感じている。その北朝鮮の憲法にこんな条文がある。「憲法第67条。公民は、言論、出版、集会、示威と結社の自由を有する。国家は、民主的政党、大衆団体の自由な活動条件を保障する」。法の精神を解さず、支配の道具くらいにしか考えていない為政者の国の、冷徹な現実だ。他山の石としよう。
戦時下の「国内放送の基本方策」再来の悪夢 テレビ試練の1年を振り返る=金平茂紀
毎日新聞2015年12月25日 東京夕刊
今年も残すところあと6日。年末回顧モードにある。テレビ報道にとって2015年は試練の年だったと思う。何が起きていたのか。具体例をあえて挙げずに、現象のみを列記してみよう。(1)報道するに際し、自主規制・そんたくが著しくまん延した(2)監視犬としての働きが弱まり、愛玩犬さえ出現した(3)多様性が徐々に失われ、横並びの単色化がみられた(4)少数派の主張を切り捨て、多数派の主張に身を寄せる傾向が顕著になった−−全部が全部そうなっているなどとは言うまい。ただ実感として、テレビ報道をめぐる環境が息苦しさを増している。
歴史はさまざまな教訓を僕らに残してくれる。僕は今1942年ごろの放送史を調べている。といっても、当時はまだテレビはなく、放送といえばラジオ放送だった。NHKの前身の社団法人・日本放送協会が独占的にラジオを放送していた。42年2月、内閣直属の情報局が「戦争下の国内放送の基本方策」を作成し、関係方面に指示した。この内容が、今からみると興味深い。
目的は「放送の全機能を挙げて大東亜戦完遂に邁進(まいしん)す」(第1条)とされ、具体的な実施項目(第3条)が列挙されている。<(1)放送番組をすべて国家目的に即応せしむること(イ)国策の動向と緊密なる連携を保つこと(ロ)国家的行事と密接なる関連を有すること(ハ)政府重大発表に当たりては放送を以(もっ)て之(これ)が徹底を図ること>とある。今ふうに言えば、放送がすっかり国策のプロパガンダになり果てていた。
だが、この「基本方策」の文面をつらつら眺めてみると、(イ)(ロ)(ハ)とも今の世の中ですでに実施されてしまっているのではないか。(イ)で言えば、安全保障関連法制や環太平洋パートナーシップ協定(TPP)、アベノミクスをめぐる報道ぶりはどうだったか。(ロ)でいえば、オリンピックのエンブレムやスタジアム選定をめぐる大混乱ぶりをしっかりと批判し得たか。(ハ)でいえば、政府重大発表は、集団的自衛権行使容認の閣議決定や戦後70年談話などは夕方のテレビニュース時間帯に会見が設定され、まさしく<放送を以て之が徹底を図ること>が実に効果的に実行されていたのでないか。
NHK放送文化研究所が出版した「20世紀放送史」は資料価値のある大著だ。前記の「基本方策」はそこに記されていた。僕も42年に生きていて放送に携わっていれば、抵抗などはできなかっただろうと恐怖を覚えた。空気というのはそのように一気に醸成される。これこそが教訓だ。
【金平茂紀の新・ワジワジー通信(13)】「和解案」信用できるか 法匪跋扈の今、裁判所問う
![](http://www.okinawatimes.co.jp/cross/images/20150109_0225_s45GLbES_s.jpg)
- 金平茂紀(かねひらしげのり)
- TBS報道記者、キャスター、ディレクター
1953年北海道生まれ。TBS報道記者、キャスター、ディレクター。2004年ボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に「ホワイトハウスから徒歩5分」ほか。
和解。愛用している新明解国語辞典によれば「仲直りして争いをやめること」とあった。米軍普天間飛行場移設に伴う名護市辺野古の新基地建設をめぐって、今月4日、にわかに生じた事態。あれは本当に「和解」なのだろうか。
沖縄県はお人良(よ)しにもほどがあるよ。僕は直感的にそう思ってしまった人間だ。そもそも裁判所の異例の和解案にそんなに簡単に乗っていいものだったのか。日本の裁判所が、司法=法を司(つかさど)る、ものごとの理非を法に基づいて判断するという機能を著しく衰退させてしまった現実を嫌というほど見てきたからか。
僕は、とても残念なことだが、裁判所をあまり信用していない。とりわけ近年の裁判所が示す判断は、行政追随、現状追認の様相が色濃く、官尊民卑=お上に優しく民に冷たい傾向が強まっているように思う。裁判所と言っても生身の人間たちの集合体だ。
生身の人間だから、裁判官としての立身出世だの、家族の教育環境だの、給与だの僕らとあまり変わらない欲望を持っている人々から成り立つ。だから当たり前だが、司法府の組織としての自己防衛本能のような原理が働き、その時々の政治状況に敏感に反応するし、強い政治権力への忖度(そんたく)も存在する。
福島第1原発事故の起こる前に提訴されたほとんどの原発関連訴訟は、丸めて言えば「原発は安全です。電力会社の主張は妥当です」と日本の裁判所は判断し続けてきた。原発推進という国策を追認どころか推し進めてきたともいえる。原発の危険性を訴えた民の声を押しつぶす機能を担ってきたのだから。
僕自身も原告の末端に名を連ねた「沖縄密約情報開示訴訟」の最高裁判決と言ったら、これ以上ひどい中身はないというほど無残な内容だった。密約文書は外務省内で探したけれどもないものはないんだから、あんたら提訴した人間が自分たちで、あったことを証明しなさい、とばかりのひどいもの言いだった。密約文書の存在の立証責任を原告側に丸投げしたのだ。
日本政府も外務省も、沖縄返還にともなう密約は「ない」「ございません」と長年国民に嘘(うそ)をつき続けていた。それが民主党政権下の有識者委員会の調査で一応「あった」ことになった(もっともあの調査も随分とお粗末な点があったのだが)。
アメリカ国立公文書館では沖縄返還時の日米密約を裏付ける文書が公開されているのに、日本の外務省内にはいまだに「ない」ことになっているのだ。外務省は、沖縄返還に関する佐藤・ニクソン直筆署名入りの密約文書さえ「公文書」扱いしていない始末だ。後世の人々は何と思うだろうか。
今回、裁判所が示した暫定和解案も全文が公開されてはいない。不可解なことに、裁判所は、県と国双方に和解案の内容を公表しないように要請していた。以下のような要旨だけが公表されている。(1)国、県双方の訴訟取り下げ(2)埋め立て関連工事の中止(3)国による埋め立て承認取り消しの是正指示(4)県による是正指示取り消し訴訟の提訴(5)国と県は円満解決に向けた協議を実施(6)国と県は、確定した判決に従い、互いに協力して誠実に対応することを確約。
要するに、全くの仕切り直しである。翁長知事が埋め立て承認取り消しをした時点にまでプレイバックして、そのあとは、国に代執行という強権的な手続きを取らせずにデュープロセスを踏ませるということだ。是正指示取り消し訴訟で県が勝訴する可能性は高いか? 僕はそうは思えない。
1番重要なことは(6)の「判決に従うという確約」だ。もし仮にここで県があくまでも辺野古での新基地建設阻止の態度を貫こうとしたならば、国はかさにかかって「判決に従うという確約」を盾に徹底的な弾圧に出てくる恐れがある。悲しいことに、一部の為政者は、判決とか法律を自分たちの意思を通すための「道具」としてしか考えていないものだ。それを見越して、忖度して、裁判所が乗ってきやすい「和解」案なるものを用意するという構図。そんなふうでなければいいのだが。
去年の安保法制の国会審議の際、参議院の中央公聴会で、集団的自衛権容認が合憲だというアクロバティックな解釈を意図する人々のことを「法匪(ほうひ)」と呼んだ人物がいた。元最高裁判事の濱田邦夫弁護士だ。「法匪という言葉がございますが、法文そのものの意図するところとはかけ離れたことを主張する、悪(あ)しき例である」「とても法律専門家の検証に堪えられない」と断じていた。僕はそれを聞いていて本物の司法官を見たような思いがした。かつては最高裁にもこのような人材がいた。
視界を少し広げてみよう。「放送法」というテレビ局やラジオ局の放送の自由と自律、独立をうたった法律を、いつのまにか「取り締まり法規」のように読み替えて、メディア規制に使おうとしている為政者と役人たちがいる。「法匪」の跋扈(ばっこ)する時代に僕らは生きている。そういう状況のなかで、一体どこまで裁判所を信用できるか。
沖縄在住の友人・知人たちにこの「和解」の件について話を聞いてみたが、「県議選やら参議院選の選挙対策でしょ」「国側が負けそうになったから和解に乗ってきたんじゃないの」「沖縄側の民意の勝利さ」「工事が止まること自体はいいことでしょ」と、なぜか楽観的な声が多く聞こえてきた。でも僕は思う。本当にこれは「和解」なのかと。あとから振り返ってみて、あの時の「和解案」が引き返し不能の地点だったのか、とならないことを祈るばかりだ。
翁長雄志知事が去年末に出版した自伝的著書『戦う民意』にこうあった。「生身の人間である私たちは、これからも場合によっては木の葉のように舞い散るかもしれません。しかし、それでも私たち責任世代は、自分の姿を伝えて、子や孫の世代に勇気と誇りと自信を持ってもらいたいと思います」。ああ、ワジワジーする。無性に沖縄そばが食べたくなった。「和解」はそれを食べた後に、また初めから考えることにしてはどうか。(2016年3月8日付沖縄タイムス文化面から転載)
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昨日から、寒くてたまらない。
爬虫類の体をもつわたくし、寒さにより全ての生体機能低下。しかも昨日なんか、雨で一日中暗くて、世情も相まって、悲観的な考えがぼんやりと湧くのみ。今日も回復しない。寂しい。
こんな時は、「花を買いきて、妻と親しむ」のが良かろうと思うものの、孤独だ。せめて、赤ん坊か犬か猫がいればなあ。いないから、妄想の扉でも開けよう。
・・・ドアを開けると、紫煙で室内が煙って見えた。茂紀さんはずいぶん酔っていた。
「もう少しで終わるから、そこ座ってて。」
言われて、ソファに腰掛けて、バッグから取り出した本を読む。読むふりをしながら、ちらちらと観察する。
何か書類を読んでいるのだが、ひっきりなしにタバコを吸い、お酒を飲んでいる。こんな状態で、頭に入るのだろうか。
しばらく静かにしていたけど、とうとう我慢ができなくなり、彼に近づいてタバコとグラスを取り上げた。
「もうやめて。そんな酔った状態で、何が理解できるの? こんなにお酒を飲んでタバコを吸っていたら、闘う前にあなたは死んじゃうよ」
「おまえに、何がわかるんだ!」
茂紀さんの怒声を聞いて、私は反射的にバッグを掴み、部屋を出ようとした。
すると、酔っているとは思えない素早さで私に駆け寄り、後ろから羽交い締めにされた。
「行かないでくれ・・・一人に、しないでくれ・・・」
そのままソファまで引きずられて行き、乱暴に座面の上に投げ出された。私の上にのしかかると、息ができないほどきつく抱き締めてくる。
そして私の額に自分の額を押し当て、声をあげて泣き出した。
「俺に、力が足りないから・・・」
私の顔は、彼の熱い涙でひたひたになった。唇を薄くあけてその涙を舐めとり、少し脂じみた、タバコ臭い髪の毛を指でくしけずり、背中を撫でる。
「あなたにしかできないこと、たくさん・・・。あなただけができること、あなたはやってる。あたしは、ずっと、あなたの味方よ・・・」
ひとしきり嗚咽したあと、彼は私の上で眠ってしまった。彼の体の下から這い出し、仰向けに寝かせ直し、ベッドからブランケットを持ってきて上に掛けた。
しばらく顔をじっと見つめてから、私は部屋を出た。
いつも、こうだ。
私はなぜ呼ばれるのだろう。
でも、こんな優れた彼が、私の前では心を許して、幼児のように声をあげて泣くのだ。彼の重圧感を少しでも和らげてあげられれば、それ以上の喜びはない。
そして、私だけが知っている、茂紀さんとの秘密だ・・・。
〈続・・・かない(笑)〉
威厳ありすぎて、これ以上想像できないw
神聖ニシテ犯サザル金平さん。
TBSに残って、闘ってほしい。
きっと風向きは変わると信じたい。
もちろん規模の小さな同族会社の中には年に数回会社に顔を出すだけで業務にはノータッチという役員(報酬はきっちり得ている)もいますし、同族会社でなくても官庁への影響力を期待されて官僚OBが天下っているようなところもあるわけですが、社員が執行役員になるには社交性も含めての実力がないとなれないと思います。
今回金平氏が執行役員を退くということは、業務執行面での責任者というかキャップ的な位置から外れるということを意味すると思います。
TBSという大手放送局の業務執行の責任者から金平氏が退くということは、報道に圧力をかけ続けて来た安倍政権にとっては歓迎すべき事態でしょうね。
これでまた、報道の自由を守る砦が一つ落ちたということです。
さぞかし、安倍応援団は「ネット世論の勝利!」と凱歌を上げているでしょう。
岸井氏降板の件も、本人が圧力を否定していましたし。
巨大組織に勤めたことが無いので執行役員というのが何なのかさっぱりわかりません。
調べると、法に定められた役職ではないみたいですね。tbsの組織図にも載っていませんし。
tbsの人事を見ても、系列会社の社長が執行役員を兼務していたり、執行役員から取締役になったり、取締役を退任して執行役員になったりしています。
つまり、取締役等のポストからあぶれたお偉いさんに役員報酬を与え続けるバッファーシステムのようなものなんでしょうか?
ここの写真を見ると、金平氏以外は皆元職。似非とはいえ、ジャーナリストを自称するからにはリスクを取って独立しているわけです。
若手アナでも実力があれば男女問わずリスクをとって独立するのに、一人だけ役員報酬をむさぼるテレビ局社員では説得力ゼロですよね。
金平氏がこういったことを鑑み独立を決意したのであれば、その潔さに敬意を表します。
私も、アベにずっとワジワジーしっぱなし。
ここのコメント欄に投稿するみなさんも、同じくワジワジーしまくっていると思う。( ネトウヨ除く )
管理人さんが挙げてくださった金平氏の三本の記事、氏の姿勢が集約されたものだった。硬派ジャーナリストなのだ。
権力の監視犬から権力の愛玩犬に堕落したテレビ界で、頑固に監視犬を貫こうとした硬骨漢かつ現役テレビ会社員の金平氏。今回の役員降格が、例の記者会見が原因でなかろうはずがない。
「報道特集」には依然として出演するとは言うものの、年齢的な問題もあり、徐々に画面から遠ざかっていくのかもしれない。
やっぱ、我々もネトウヨなみに、" 電凸 " を行なうべき時ですかねえ?
ところで、
> 金平さんって顔が怖いでしょ?そこがものすごく信用できる。こういうのがジャーナリストの顔なのでは?
ひどい www
そんなことを言ったら、青木理氏の立場がないではありませんか!
筑紫哲也氏だって、顔、怖くない!
金平、という姓は沖縄に多くないか?
あと、あの濃いめの顔から、てっきりオキナワンだと思っていたが、北海道出身。もともとハンサムなのだが、権力に立ち向かう姿勢と歳月に洗われたのとで、渋く厳しく危険な魅力を放つ風貌に。
いいですね~。
でも何となく汚ないかんじなのは、酒とタバコのせいでしょうか? ( 私生活については、当然だが知らない )
辺見庸みたいな破滅型ジャーナリストにならないで、節制を保って長く活躍してほしいです。
まあこの歳まで会社員で、しかも役員にまで登りつめるにはジャーナリストとしてだけでなく、世渡りの能力ーーこの方の場合、上に迎合するのではなく、人間的魅力とか平衡感覚とか危険回避能力とか、ポジティブな意味で考えたいーーにも恵まれているのでは、と思う。
あのLさんがどこかのコメントに書いていたが、「厳しい雰囲気で、隣に座っていたが、話しかけられなかった」というから、威厳を備えた方なのでしょう。
もう一度、愛玩犬から監視犬に戻れ、テレビよ・・・
無理か。スズメの涙ほどの電波使用量を支払い、独占的に営業し、政権に協力してプロパガンダ放送を流し、国民を洗脳・白痴化する手先となるのか・・・
カネのために。ジャーナリズムの使命を忘れて。
これが圧力による結果でないと言うことの方が難しいと思います。
一般的に言って政治に限らずあらゆるところで、力ある者が圧力をかけようと思えば容易いし、それに抗うことは不可能に近いと思います。
それを押し止めるものがあるとすれば外部からの眼しかないわけで、外部の眼に晒されているところでは「小権力者」も好き放題は出来ません。
政権による報道の自由への圧力を押し止めるものがあるとすれば、外部たる国民の眼による監視しかないのですが、圧力の事実さえ報道されなければ監視のしようもありませんね。
それと大きいのは権力応援団と言っていいネット上の集団による報道への圧力ですね。
自由な報道を「偏向だ!」と決め付け「反日」なるレッテルを貼り付けて攻撃しています。
権力からの圧力と権力応援団からの圧力の双方に晒されている報道機関がジリジリと後退を余儀なくされていることは仕方ないことだとも言え、こういう不当な圧力を跳ね返すことを報道機関に求めるばかりではなくて国民の側から声を上げて行く必要があると思います。
このタイミングでの執行役員の退任は、やはりおかしいと思います。
報道特集は良い番組で、金平さんはこの番組のキャスターは続けるということですがとてもすっきりしません。
TBS自体が萎縮しないか心配でなりません。
国民の知る権利がおびやかされないことを切に願います。