チャールズ・チャップリンの「独裁者」は、アメリカがナチスドイツと戦うより前の1940年に公開された映画です。
この映画が公開された頃には、ナチス・ドイツのオーストリア併合(1938年)や ポーランド侵攻(1939)が起きていたにもかかわらず、世界はヒトラーとナチスの危険性について十分には認識していませんでした。
たとえば、アメリカでもケネディ大統領の父親や、リンドバーグ、ディズニーなど、ヒトラーを擁護する者も多かったのです。
そんな中、その鋭い感受性でナチズムの危険性に気づき、全身全霊でヒトラー批判の映画を作ったのが無声映画の雄、喜劇王チャールズ・チャップリンでした。
この「独裁者」は、彼の初めてのトーキー映画でした。
チャップリンはこの映画のために無声映画を捨てました。
そして、この映画で、チャップリンはまた、飄々とした放浪の紳士チャーリーと訣別することになります。
映画史上に残る名場面。世界征服を夢見て風船の地球儀で遊ぶ独裁者ヒンケル。
ナチスドイツと枢軸国として同盟を結び、世界大戦を引き起こした日本ではこの映画は当然上映禁止とされて公開されず、それどころか、この映画が公開されたのはなんと戦後15年も経った1960年のことでした。
ちなみに、チャップリンはこの後、アメリカから事実上追放されます。
第二次大戦後始まったソ連との冷戦の中で吹き荒れた赤狩り旋風の中、チャップリンは「殺人狂時代」などの風刺映画が容共的であると批判され、何度も「非米委員会」に呼び出しを受けましたがこれを拒否。
とうとう、1952年、ロンドンで『ライムライト』のプレミアのために向かう船の途中、アメリカのトルーマン政権から事実上の国外追放命令を受けたのです。
ドイツのファシズムと戦ったはずの「民主国家」アメリカが、全体主義に転じた事をあらわす象徴的な事件でした。
さて、そんなチャップリンの「独裁者」。
1918年の第一次大戦末期、トメニア(ドイツがモデル)のユダヤ人一兵卒チャーリーは飛行機事故で記憶を失い入院します。
それから数年後のトメニアは独裁者アデノイド・ヒンケル(アドルフ・ヒトラーがモデル)の天下で、ユダヤ人掃討の真っ最中。
そんな折、退院したチャーリーは生まれ育ったユダヤ人街で、元の床屋の職に戻ることになりました。
親衛隊の傍若無人ぶり、特にそれが恋人ハンナに及ぶに至り、彼は勇猛果敢かつ抱腹絶倒のレジスタンスを開始。
そして、どういうわけかヒンケル総統の替え玉を演じさせられることになり……。
ムッソリーニ(らしき独裁者 笑)と並ぶ、実は気の弱いヒンケル。
「独裁者」より笑って泣けるチャップリンの映画はいくつもあると思いますが、「独裁者」はナチズムを徹底的に糾弾したという点で、歴史に残る名作、映画を超えた映画です。
その「独裁者」の中でも、歴史に残る名場面。
床屋チャーリーが全世界に呼びかける6分間の演説をご紹介したいと思います。
「私たちは皆、助け合いたいのだ。 人間とはそういうものなんだ。 私たちは皆、他人の不幸ではなく、お互いの幸福と寄り添って生きたいのだ。 私たちは憎み合ったり、見下し合ったりなどしたくないのだ。」
「私の声が聞こえる人達に言う、「絶望してはいけない」。 私たちに覆いかぶさっている不幸は、単に過ぎ去る欲であり、人間の進歩を恐れる者の嫌悪なのだ。 憎しみは消え去り、独裁者たちは死に絶え、人々から奪いとられた権力は、人々のもとに返されるだろう。 決して人間が永遠には生きることがないように、自由も滅びることもない。」
「獣たちも権力を伸ばしてきたが、奴らを嘘をつく。 約束を果たさない。 これからも果たしはしないだろう。 独裁者たちは自分たちを自由にし、人々を奴隷にする。 」
「今こそ、約束を実現させるために闘おう! 世界を自由にするために、国境のバリアを失くすために、憎しみと耐え切れない苦しみと一緒に貪欲を失くすために闘おう!」
I’m sorry but I don’t want to be an Emperor – that’s not my business – I don’t want to rule or conquer anyone. I should like to help everyone if possible, Jew, gentile, black man, white.
申し訳ないが、私は皇帝などなりたくない。 それは私には関わりのないことだ。 誰も支配も征服もしたくない。できることなら皆を助けたい、ユダヤ人も、ユダヤ人以外も、黒人も、白人も。
We all want to help one another, human beings are like that. We all want to live by each other’s happiness, not by each other’s misery. We don’t want to hate and despise one another.
私たちは皆、助け合いたいのだ。 人間とはそういうものなんだ。 私たちは皆、他人の不幸ではなく、お互いの幸福と寄り添って生きたいのだ。 私たちは憎み合ったり、見下し合ったりなどしたくないのだ。
In this world there is room for everyone and the earth is rich and can provide for everyone. The way of life can be free and beautiful. But we have lost the way. Greed has poisoned men’s souls – has barricaded the world with hate; has goose-stepped us into misery and bloodshed.
この世界には、全人類が暮らせるだけの場所があり、大地は豊かで、皆に恵みを与えてくれる。 人生の生き方は自由で美しい。 しかし、私たちは生き方を見失ってしまったのだ。 欲が人の魂を毒し、憎しみと共に世界を閉鎖し、不幸、惨劇へと私たちを行進させた。
We have developed speed but we have shut ourselves in: machinery that gives abundance has left us in want.
私たちはスピードを開発したが、それによって自分自身を孤立させた。 ゆとりを与えてくれる機械により、貧困を作り上げた。
Our knowledge has made us cynical, our cleverness hard and unkind. We think too much and feel too little: More than machinery we need humanity; More than cleverness we need kindness and gentleness. Without these qualities, life will be violent and all will be lost.
知識は私たちを皮肉にし、知恵は私たちを冷たく、薄情にした。 私たちは考え過ぎで、感じなさ過ぎる。 機械よりも、私たちには人類愛が必要なのだ。 賢さよりも、優しさや思いやりが必要なのだ。 そういう感情なしには、世の中は暴力で満ち、全てが失われてしまう。
The aeroplane and the radio have brought us closer together. The very nature of these inventions cries out for the goodness in men, cries out for universal brotherhood for the unity of us all.
飛行機やラジオが私たちの距離を縮めてくれた。 そんな発明の本質は人間の良心に呼びかけ、世界がひとつになることを呼びかける。
Even now my voice is reaching millions throughout the world, millions of despairing men, women and little children, victims of a system that makes men torture and imprison innocent people.
今も、私の声は世界中の何百万人もの人々のもとに、絶望した男性達、女性達、子供達、罪のない人達を拷問し、投獄する組織の犠牲者のもとに届いている。
To those who can hear me I say “Do not despair”. The misery that is now upon us is but the passing of greed, the bitterness of men who fear the way of human progress: the hate of men will pass and dictators die and the power they took from the people, will return to the people and so long as men die [now] liberty will never perish…
私の声が聞こえる人達に言う、「絶望してはいけない」。 私たちに覆いかぶさっている不幸は、単に過ぎ去る欲であり、人間の進歩を恐れる者の嫌悪なのだ。 憎しみは消え去り、独裁者たちは死に絶え、人々から奪いとられた権力は、人々のもとに返されるだろう。 決して人間が永遠には生きることがないように、自由も滅びることもない。
Soldiers – don’t give yourselves to brutes, men who despise you and enslave you – who regiment your lives, tell you what to do, what to think and what to feel, who drill you, diet you, treat you as cattle, as cannon fodder.
兵士たちよ。 獣たちに身を託してはいけない。 君たちを見下し、奴隷にし、人生を操る者たちは、君たちが何をし、何を考え、何を感じるかを指図し、そして、君たちを仕込み、食べ物を制限する者たちは、君たちを家畜として、単なるコマとして扱うのだ。
Don’t give yourselves to these unnatural men, machine men, with machine minds and machine hearts. You are not machines. You are not cattle. You are men. You have the love of humanity in your hearts. You don’t hate – only the unloved hate. Only the unloved and the unnatural.
そんな自然に反する者たち、機械のマインド、機械の心を持った機械人間たちに、身を託してはいけない。 君たちは機械じゃない。 君たちは家畜じゃない。 君たちは人間だ。 君たちは心に人類愛を持った人間だ。 憎んではいけない。 愛されない者だけが憎むのだ。 愛されず、自然に反する者だけだ。
Soldiers – don’t fight for slavery, fight for liberty.
In the seventeenth chapter of Saint Luke it is written ” the kingdom of God is within man ” – not one man, nor a group of men – but in all men – in you.
兵士よ。 奴隷を作るために闘うな。 自由のために闘え。 『ルカによる福音書』の17章に、「神の国は人間の中にある」と書かれている。 一人の人間ではなく、一部の人間でもなく、全ての人間の中なのだ。 君たちの中になんだ。
You, the people have the power, the power to create machines, the power to create happiness. You the people have the power to make life free and beautiful, to make this life a wonderful adventure.
君たち、人々は、機械を作り上げる力、幸福を作り上げる力があるんだ。 君たち、人々は人生を自由に、美しいものに、この人生を素晴らしい冒険にする力を持っているんだ。
Then in the name of democracy let’s use that power – let us all unite. Let us fight for a new world, a decent world that will give men a chance to work, that will give you the future and old age and security.
だから、民主国家の名のもとに、その力を使おうではないか。 皆でひとつになろう。 新しい世界のために、皆が雇用の機会を与えられる、君たちが未来を与えられる、老後に安定を与えてくれる、常識のある世界のために闘おう。
By the promise of these things, brutes have risen to power, but they lie. They do not fulfil their promise, they never will. Dictators free themselves but they enslave the people.
そんな約束をしながら獣たちも権力を伸ばしてきたが、奴らを嘘をつく。 約束を果たさない。 これからも果たしはしないだろう。 独裁者たちは自分たちを自由し、人々を奴隷にする。
Now let us fight to fulfil that promise. Let us fight to free the world, to do away with national barriers, do away with greed, with hate and intolerance.
今こそ、約束を実現させるために闘おう。 世界を自由にするために、国境のバリアを失くすために、憎しみと耐え切れない苦しみと一緒に貪欲を失くすために闘おう。
Let us fight for a world of reason, a world where science and progress will lead to all men’s happiness. Soldiers – in the name of democracy, let us all unite!
理性のある世界のために、科学と進歩が全人類の幸福へと導いてくれる世界のために闘おう。 兵士たちよ。 民主国家の名のもとに、皆でひとつになろう。
Hannah, can you hear me?
Wherever you are, look up Hannah.
ハンナ 聞こえるかい
元気をお出し
The clouds are lifting, the sun is breaking through.
We are coming out of the darkness into the light.
We are coming into a new world.
A kind new world where men will rise above their hate, their greed and their brutality.
ご覧 暗い雲が消え去った 太陽が輝いてる
明るい光がさし始めた
新しい世界が開けてきた
人類は貧欲と憎悪と暴力を克服したのだ
Look up Hannah.
The soul of man has been given wings - and at last he is beginning to fly.
He is flying into the rainbow - into the light of hope, into the future,
the glorious future that belongs to you, to me, and to all of us.
Look up hunna. Look up.
人間の魂は翼を与えられていた やっと飛び始めた
虹の中に飛び始めた 希望に輝く未来に向かって
輝かしい未来が君にも私にもやって来る 我々すべてに!
ハンナ 元気をお出し!
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いつの世にも独裁者になりたい人はいます。
安倍首相は、今日の長崎原爆の日で何を誤魔化し、来週の戦後70年談話で何を騙るのでしょうか。
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「利口ぶってチャップリンの「独裁者」を陳腐だと嘲笑ったのと同じ種類の人間は、いつの世にもいる。
でも、歴史に残るのはチャップリンのほうなのだ。」
2004-08-14
TomoMachi2004-08-14
「華氏911」に対する(特に日本での)批判を見ていると、それは「チャップリンの独裁者」に対する当時のアメリカでの批判とよく似ていると思う。
チャップリンの『独裁者』もプロパガンダ映画だ。
当時アメリカとまだ敵対していなかったヒットラーをはっきり「人類の敵だ!」と指弾ししてユダヤ人虐待を一刻も早く止めさせることを目的に作られた映画なのだ。
この映画が公開された1940年、ヒットラーはすでにポーランドを侵攻していたにもかかわらず、
アメリカ人はまだヒットラーの危険性を身近に感じていなかった。
ケネディの親父やリンドバーグ、ディズニーなど、ヒットラーを擁護する者も多かった。
だからチャップリンが『独裁者』でヒットラーを誇張し、おちょくり、しつこいまでに笑い飛ばそうとするのを見て、「何をこの男はそんなに怒ってるんだ?」と冷たく反応した。
(チャップリンはニュース映画でヒットラーを研究して細かい動作や癖を徹底的にマネしているが、これは『華氏911』でムーアがフッテージを使ってブッシュをおちょくったのと似ている)。
そして『独裁者』のラストで、チャップリンはヒットラーのプロパガンダ演説の手法をパロって、
延々と6分間も反ファシズムのプロパガンダ大演説をする。
これを見たとき、多くの批評家やインテリが拒否反応を示し、こう批判した。
「ヒットラーが悪い奴だってことくらい知ってるよ。何を今さら」
「この映画は故意に事実を誇張して、一方的な政治的主張を押し付けるものだ」
「これはもはやコメディにもなっていない。プロパガンダ映画だ」
「安易に客を泣かせようとして、陳腐だ」
「こんなものにはダマされない」
「メッセージが直接的過ぎる」
「何、熱くなってんだ。必死でカッコ悪い」
正確ではないが、まあ、こんな感じだ。
もちろん、チャップリンはそんなことは全部承知で、あえて直接的なプロパガンダを選んだのだ。
それほどに彼は切迫した危機感を抱いていた。
しかし、アメリカはチャップリンの情熱をただ冷ややかに笑い、無視した。
翌年、ヒットラーはユダヤ人に対する「最終的解決」を始めた。
戦争が終わり、ヒットラーのために何千万人という犠牲者が出たことを知った時、「独裁者」を「陳腐だ」「プロパガンダだ」と批判した連中は何を思っただろうか?
チャップリンは、たとえ映画としての完成度やギャグを放棄し、陳腐な「俗情」をあえて刺激してでも、
どんな手段を使ってでも、ヒットラーの悪に世間を気づかせなければならなかったのだ。
(この映画がきっかけでチャップリンはアカ呼ばわりされ、ついにはアメリカを追い出される)
「独裁者」も「華氏911」もインテリに向けて作られた映画ではない。
アメリカの大半を占める、新聞や本なんか読まない人々のために作られた映画だ。
残念なことにその人口比は60年経ってもあまり変わっていない。
アメリカにはもう大都市にしか書店はないが、そこに行けば大量のブッシュ批判の本が並んでいる。
いや、政治に関する本の8割がブッシュ叩きだと言ってもそんなに誇張ではない。
でも、これを読むのはインテリだけ。
普通の人はテレビとラジオでしか政治を知らない。
それは何度も書いたように共和党を支持するコングロマリットに寡占支配されている。
だから、ムーアも言っているように、アメリカの人口の4割がいまだに「イラクが911テロの犯人」「イラクは大量破壊兵器を持っていた」と信じている。
そんな人々に見せるために作られたのが「華氏911」なのだ。
だから、「『華氏911』はムーアの著作と内容が同じだ」と批判してもまったく無意味だ。
この映画は、ムーアの本どころか新聞すら読まないアメリカ人をどれだけ動かすかで価値が計られる映画だからだ。
現在、ハリス・ポール社の調査によるデータを元に「『華氏911』を共和党員は観ないから選挙には影響はない」と日本のマスコミも言っているが、
アメリカにおける「大統領選に関する世論調査」は「有権者登録した人だけ」を対象にしていることを忘れてはならない。
有権者登録率は全米の成人男女の人口の半分に過ぎないのだ。
そしてムーアはインタビューでも言っているように、その未登録者たち(もちろん未婚の若者に多い)を有権者登録させるのが目的なのだ。
彼らの動きは選挙当日まで調査結果には現れてこない。
ブッシュがたとえ再選されたとしても、いつか彼が何をやったか真実は暴かれるだろう。
その時が、「華氏911」という映画の評価が確定する時だ。
利口ぶってチャップリンの「独裁者」を陳腐だと嘲笑ったのと同じ種類の人間は、いつの世にもいる。
でも、歴史に残るのはチャップリンのほうなのだ。
「父のことを話すことができることはとても嬉しい」―映画『チャップリンからの贈りもの』ユージーン・チャップリン インタビュー
2015年7月17日 (金) 17:11 配信 T-SITEニュース
ユージーン・チャップリン氏
『黄金時代』『街の灯』『モダン・タイムス』『独裁者』『ライムライト』をはじめ数多くの名作を残し、喜劇王として映画史にその名を刻むチャールズ・チャップリン。今年で没後38年になるが、チャップリンが亡くなった直後に遺体が誘拐された事件を知っているだろうか? 映画『チャップリンからの贈りもの』はスイスで実際に起きたチャップリン遺体誘拐事件をもとに、何をやっても上手くいかない2人の男たちの人生を描いたヒューマンドラマだ。
この映画が凄いのはチャップリンの遺族の全面協力によって作られていること。埋葬された墓地や亡くなるまで住んでいた邸宅で撮影しているだけでなく、孫娘のドロレスはチャップリンの娘役を、息子のユージーンはサーカスの支配人役として出演している。来日したユージーンさんは撮影時をこうふり返る。
「私の両親が生活していた村で撮影をしていて、面白かったのは父が亡くなった1977年を再現したことです。父が亡くなり遺体が誘拐されたことは家族にとって悲しい想い出ですが、1977年の風景が現代に再構築されるのは興味深い体験でした」
(C)Marie-Julie Maille / Why Not Productions
クザヴィエ・ボーヴォワ監督は2人の誘拐犯を愛嬌あるキャラクターにすることで遺体誘拐事件をユーモラスでハートフルな物語に作り上げた。ユージーンさんも「主人公の2人の詐欺師は無器用で喜劇映画に出てくるようなキャラクター。とてもユーモアがある」と称え、サーカスの支配人役として出演していることに関しては「私は父と違ってとても内気な性格なので、演じることには向いていないんです」と、ちょっぴり恥ずかしそうに話す。
「最初はためらいの方が大きくて。でも、サーカス団は私がよく知っている仲間なので引き受けることにしました。スクリーンのなかに自分の姿があるのは何だか照れくさくて嫌だなぁと思っていたんですが、何十年か経って子供たちが大きくなったときに“パパが出ているよ!”と言って喜んでくれたら嬉しいですね」
(C)Marie-Julie Maille / Why Not Productions
ユージーンさんが子供想いなのはもちろん父親ゆずり。父チャップリンからは芝居を観る面白さを教えてもらった。「クリスマスの時季には両親がロンドンに連れて行ってくれて、ミュージカルやパントマイムをたくさん観ました。私は芝居小屋のあの何とも言えない夢のような空間が大好き。いつまでもあの場所に居続けたいと思っていました」
世界的な映画人も子供の前では「ごく普通の父親」だったそうだが、亡くなってもなお「父のことを聞かれることや、どんな人だったのか話すことができることはとても嬉しい」とユージーンさん。「私には7歳の双子の娘がいるんですが、娘の同級生が“チャップリンの孫だ!”って言っているのを聞いたりすると、ああ、こんなに若い世代も父のことを知ってくれているのかと嬉しくなります」。もちろん、この映画『チャップリンからの贈りもの』をきっかけにチャップリンの映画を観る人もいるだろう。人から人へ、チャップリンが遺した名作が人々の記憶に刻まれるのは嬉しいことだ。
(C)Marie-Julie Maille / Why Not Productions
また、この映画のストーリーにはチャップリンへのオマージュもあふれている。主人公のエディとオスマンが住んでいる家は『モダン・タイムス』の掘っ建て小屋のようで、エディがサーカスの道化になる展開は『サーカス』を彷彿させ、ラストで映し出される楽屋のシーンは『ライムライト』そのものだ。もちろんそれらを含めたチャップリン作品はユージーンさんにとってすべて「愛すべきもの」ではあるが、敢えてひとつ挙げるとしたら──という問いに「ひとつ選ぶのは難しいですが……」と返ってきたのは『街の灯』だった。その理由は?
「ロマンティックで人類愛も描かれていて本当に素晴らしい作品です。ただ、その時期にトーキー映画が出てきたことでチャップリンのキャリアはここまでだねとキャリアの終焉を告げる人も多くいました。そして、サイレント映画は死なないんだと言って作ったのが『街の灯』。サイレント映画ですが、父が初めて作曲した作品でもあり音楽付きで公開されました。サイレント映画は不滅だということを音楽を付けることで証明した映画でもあります」
(取材・文/新谷里映)
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世界的に悪魔認定されているヒトラーに、むりやり安倍を準えて否定する……
人はなかなか己の卑劣さに気付けないものですね。自己の善性を確信したければ尚更。
しかし、少なくとも論理に対しては謙虚でありたいですね。
尚、チャップリンのこの演説も、アドルフ・ヒトラーの演説も、国会前でデモしてる人の子供を殺すなスローガンも、「聴衆の情と善意に訴える」という一点においては同じです。
勿論三者はそれぞれ全く違う存在ですけどね。
日本やアメリカのことばかり言ってないで、日本の隣国の独裁国家である中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国にも何か言ったらどうなんですかね?貴方にとって日本は、戦争以上に民衆が死んだ殺された中華人民共和国や、朝鮮民主主義人民共和国以上の独裁国家に見えるのでしょうね。貴方が仰るような、日本が独裁国家なら、自由と平和を重んじる貴方はとっくに粛清されるでしょうに。
舛添都知事も武藤議員を批判しました。舛添さんにこの問題についてテレビなどで、強く訴えて欲しいと頼むのもありかもしれません。
わずかな数のコメントでも、そのことが鮮明に表れているのが興味深いです。
http://www.google.co.jp/gwt/x?gl=JP&wsc=tf&source=s&u=http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20150808000125&hl=ja-JP&ei=i8_GVfjuDYSemgWsyIigAg&ct=np&whp=386
「私たちは皆、助け合いたいのだ。 人間とはそういうものなんだ。 私たちは皆、他人の不幸ではなく、お互いの幸福と寄り添って生きたいのだ。 私たちは憎み合ったり、見下し合ったりなどしたくないのだ。」
キューバ危機は米国とソ連のトップ同士の思い込みで生まれたといいます。
憎み合ってもいないのに、己の思い込みが原因で破滅一歩前まで進めてしまうという。
安倍首相が「独裁者」と呼ばれたくないのなら、国民の声を聞いて今回の安保法案は廃案にし、来年の参院選のマニュフェストに掲げて、防衛についての審議を白紙からやり直すべきですね。
京葉様
アベは独裁(または寡頭制)まであと一歩のことをしているのですよ。権力を縛るための立憲主義をないがしろにしたことがそれです。
こんな悪例を許したら、日本が北朝鮮のようになってしまう道筋を開くことになるのです。私は(多分ブログ主さんも)、日本をそういう国にさせたくないのです。
安保法案を全然関係ない火事に喩えた生肉首相のことですね。わかります。
中国や北朝鮮に問題がないとは言わないが、まずは足元の日本の問題からだろう。
このエントリに反論するなら、「安倍は独裁者ではない」ときちんと論証しないとかみ合った議論にならんよ。
この話題には仮想敵国なんか必要ない。「何かを叩く」形式でないと論を組み立てられないわけでもあるまいに。
備考
各国の核配備数
http://kakujoho.net/ndata/nukehds2015.html
突出してる2国は桁違いだ。むろんこれだけが指標にはならんが、米国より中国の方が危険な国家だというのは何を根拠にしてるのか、いつも疑問に思う。