一方で、この文章を書いている本日29日、TBSの番組で公明党の斉藤鉄夫幹事長代行は、生活保護費の給付水準1割削減について「慎重に対応しないといけない」と述べている。
実際にこれまでも(民主党政権下においても)、生活保護の引き下げ(適正化)については、さまざまな場面で提起されてきた。しかし、その多くは生活保護制度の実態や、生活保護利用者の生活状況などに基づいて、丁寧にかつ慎重に論じられてきたとは言い難い。
では、今回新大臣が言及した「生活保護費の引き下げ」とは何を意味していて、またそれがもたらすものはいったい何なのであろうか。これまでになされてきた議論にも触れつつ、あらためて考えたい。
■生活保護費の「引き下げ」=生活保護基準の「引き下げ」=最低生活費の「引き下げ」
田村大臣が発言した「生活保護の引き下げ」とは、ここでいうところの8つの扶助のうちの「生活扶助費」についての削減を意味する。
生活扶助費とは、食費や被服費、光熱費などの生活全般にかかる費用のことで、憲法25条が保障する「健康で文化的な最低限度の生活=最低生活」を維持するために必要な金額が「生活保護基準」として設定されている。生活扶助の基準額は、年齢や世帯の状況、住んでいる地域によって変動し、単身世帯だと約6万円~8万円前後の額になっていて、これが国で定めた生活扶助に関する「最低生活費(最低限これだけないと生活を維持できないというライン)」をあらわしている。
その削減(引下げ)をおこなうということは、最低生活費の引き下げをおこなうということで、これは、社会全体のボトム(底)が引き下げられるということにつながっていく。
■生活保護基準はそもそもどうやって決まるのか ―― 生活保護基準部会
生活保護基準はこの「基準部会」において、全国消費実態調査(5年に1度実施)の特別集計データなどを用い、審議会委員による専門的かつ客観的な評価・検証を受け、最終的に厚生労働大臣が決定する。「基準部会」は総選挙でその開催が延期されていたものの、年明けから再開される見込みで、「生活保護基準」をどうするのかについては議論されている途中である。この審議会の意見が出てきていないのに決定権を持つ厚生労働大臣が「削減ありき」の発言をするのは完全にフライングで、議論に水を差すものである。
また、国の「最低生活ライン」が、統計データ等に基づく冷静で丁寧で確かな議論ではなく、政局や政治的風潮などの不確かな議論で決定されてしまうとしたら(また結論ありきの議論がなされているのだとすれば)、それは大きな問題である。その意味でも、最後のセーフティネットであり社会保障のボトム(底)に位置する生活保護の基準についてこのような問題提起のあり方がなされることは、由々しき事態であると言える。
■生活保護基準は妥当か
「生活保護の引き下げ」が論点として提起されるのはどうしてだろうか。
一般に、引き下げの理由として語られるのは、生活保護基準が最低賃金や年金よりも高い場合があるということ(他の基準との整合性)と、財政負担の問題があげられる。
また、国民年金(老齢基礎年金)は、満額でも月額7万円に満たず、障がい基礎年金も1級で月額約8万円である。生活保護基準ギリギリ(割り込む場合も)で生活しているワーキングプア層や、年金だけで生活を維持することができずに生活保護を利用している世帯は非常に多い。
実際に、生活保護利用者の世帯類型別の内訳を見てみると平成24年6月の段階で、高齢者世帯43.5%、母子世帯7.4%、傷病者・障害者世帯計30.8%、その他世帯18.3%となっている。
生活保護利用者の大多数は高齢や傷病・障がい世帯で、生活保護を利用する以外に収入を得るすべを持たない場合が多い。これは、本来年金などの社会保険でカバーされるべき人がその給付額が少ないことにより支えられず、結果的に生活保護の守備範囲が拡がらざるを得ない状況があると言える。
同様に、収入がある人もそれこそ最低賃金レベルの収入であれば、生活はかなり厳しい。例えば、今この文章を書くために利用している某ファミリーレストラン(都内)では、アルバイト募集と掲示されているポスターを見てみると、深夜帯であっても時給が1030円(最低賃金は850円)と記載されている。
1030円(しかも夜勤)で仮に月160時間働いたとして(夜勤だけでこの就労時間はあり得ないが)、月給で約16万ちょっとである。そこから国民年金や国民健康保険料等引かれたら、手元に残る金額は生活保護基準ギリギリだ。日中の時給であれば収入はもっと低いであろう。
このように最低賃金に関しても、また年金等の社会保険に関しても、その水準が低すぎることが問題であり、実際に生活保護基準は、消費実態等をもとに算出される「最低生活ライン」であるので、それを度外視して「引き下げ」をおこなっていくということは、社会保障を含めたあらゆる基準の「デフレ化」につながってしまう。
■生活保護が財政を逼迫させるのか
社会保障改革という意味では、医療や年金などの改革のほうが急務であり、生活保護の引き下げをおこなうことは「しぼっても何も出ない雑巾をしぼるようなもの」である。
■生活保護基準の「引き下げ」がもたらすもの ―― 最低生活が下がるとは
実際に生活保護基準が引き下げられるとどうなるのであろうか。
先述のように、生活保護利用者の多くは高齢や傷病・障がい世帯で、生活保護を利用する以外に収入を得るすべを持たない。こういった方々の生活が圧迫され、その生活水準を(ただでさえ最低生活基準でギリギリであるのに)引き下げざるを得ない状況になる。
また、現在生活保護基準ギリギリで生活保護を利用している層の方が生活保護を利用できなくなる。これはすなわち生活保護で支えられず自力で頑張らなくてはならない低所得者層が増えるということである。
生活保護の手前のセーフティネットである健康保険でさえ、今はすでに制度疲労を起こしていて低所得者層を支えられなくなってきている。こういった状況が続くと、生活が苦しくて保険料負担ができずに、重篤な状況に陥ってから病院に担ぎ込まれる、といった方が増える事態も予測される。
また、生活保護基準は他の社会保障施策の基準にもなっている。これまで非課税であった方が課税対象になるなど、同じく低所得者層を圧迫する可能性が高い。
このように社会保険の拡充など、代替の社会保障施策がないままに「生活保護の引き下げ」をおこなっても、現状の生活保護利用者や低所得者層全体の生活を圧迫し、かつ、さらなる低所得者層の増加・拡大を招き、結果的に社会全体としてのボトム(底)を引き下げてしまう可能性が高い。
■インフレターゲットと最低生活ラインの引き下げ
私は経済学に詳しくないので以下については正確さを欠くかもしれないが、自民党が掲げるインフレターゲットについて触れたい。もし、インフレになって物価が上がると、それは直接的に生活保護利用者や低所得者層の生活に影響するのではないかという危惧を持っている。
もちろん、景気が良くなることは大歓迎だ。経済状況が改善すれば、雇用機会の拡大や、賃金のアップにつながるかもしれない。しかし、先述のように高齢や傷病・障がいなどでもともと雇用につながりづらい方は、これまで通りに社会保障で支えるしかない。また、景気が良くなってもそれがすぐさま賃金の上昇につながっていくとは限らない。タイムラグが出る場合もあれば、反映されない場合もあるかもしれない。
本来の意味での「所得再分配」という視点が失われていると、デフレから脱却しても結果的には物価が上がっただけで生活が苦しくなるというリスクが伴う。物価を上げるなら、生活保護利用者や低所得者層へきちんとサポートをしないといけない。
このように、一方で「インフレ=物価の上昇」を目指すと言いつつ、もう一方で「生活保護の引き下げ」という話が出ているのは、矛盾しているのではないかと感じる。
■いま議論すべきこと
私は都内(主に新宿)で行われている越年・越冬の取り組みに参加している。昨夜の夜回りでも、体調を崩されている方や女性の野宿をされている方など、早急にサポートが必要な方とつながることができた。しかし一方で、私たちがつながることができる方、SOSの声を届けてくれる方はごく少数である。私たちがつながれていない「貧困状態」にある方はたくさんいる。
生活困窮に陥る方は、ただ「雇用」からこぼれてしまっただけではなく、「家族」や「地域」などの「支え」を失って(弱くなって)しまっている方も多い。病気や障がいを抱えて地域で孤立していたり、大切な人からDVや虐待を受けて安心できる居場所がなかったりと、私たちの身近なところでも(見えないだけで)、多くの方がさまざまな要因が重なって生活困窮に陥っている。
そんな彼ら・彼女らを支えるのは「自助」ではない。また、家族や地域、絆など「共助」と称されるものは、時と場合によって支える力を持たない「不確かなもの」に変わってしまう。困難さを抱えた一人ひとりの生活を支えるためには、「確かなもの」としての「公助=社会保障」が必要である。
もちろん、財源の問題等、社会保障は持続性も含めて話し合うべき課題が多い。だからこそ、今すべきことは、個別の制度について削減ありきで議論することではなく、年金や医療なども含めた「社会保障=セーフティネット」全体をどう構築していくかという話のはずである。
先述したが、報道によると新大臣は「1割カットが自民党の公約にあった。個々の家庭でみれば1割ぐらいが最大上限ではないか。そのあたりを検討したうえで適切に判断したい」との見方を示したとのことである。生活保護を利用されている方は現在約213万人。低・無年金、ワーキングプアなど、低所得者層は拡大を続けている。そんななかで、「個々の家庭でみれば1割ぐらい……」とは、何とも軽すぎはしないだろうか。
私たちに必要なことは、一人ひとりの困難さによりそい、そこから見えてくるさまざまな要因を可視化し、その社会的な解決を目指していくことである。新政権には「引き下げ」や「削減」ありきの議論ではなく、社会全体として「貧困」とどう向き合っていくのかについて、冷静に、そして丁寧に議論していくことが求められている。
もし仮に、生活扶助費を1割引き下げると、国庫負担分で考えたとき約1000億円の削減になる。しかし、その1000億円をカットして得られるもの、そして失われるものは何であろうか。
私たちはその1000億円の「重さ」について考えなければならない。
大西連(おおにし・れん)
1987年東京生まれ。新宿での炊き出しと夜回りの活動から始まり、現在はNPO法人自立生活サポートセンター・もやいにて、主に生活困窮された方への相談に携わる。関心領域は「貧困」「自殺」「社会的包摂」など。twitter:
@ohnishiren
憲法改悪派が多用する「安全保障」より、余っ程正確な使い方だと思いますが。
遅ればせながら、今年も宜しく。本ブログが有名政治ブログと化してから、おちゃらけコメントの出番はありませんが。
生活保護者の大半は実質的に身体・あるいは精神面で社会からのリタイア状態を余儀なくされた現在の生活保護の趣旨と規定を正当に権利として保有している方々が多いのが実情でしょう。
身体のご不便や精神的な御病傷を回復させる事もないいわゆる[パチンコ通いの人]や実際に働く事がかったるいと、言い訳をして不正に生活保護費用を受給する[暴力団詐欺]または[不正受給者]の割合は全体を遥かに下回る数値なのです。
生活保護を心身の病気や傷で対人面・社会参加面で強いトラウマや抵抗や疾患の再発を感じてしまったり、シングル・マザーファザーで子供を食べさせて自分も生きていく方々をはじめ、孤立した老人の生活等、実際には外出さえままならない方が多いのが実情でしょうか。
インターネットでは暴力的で弱者パージに拍車を掛けようとする無責任な書き込みが増加しています。
実際、どの様な人でも一旦トラブルや、何かしらの問題が本人達を襲った時、それが致命的になるダメージを与え得るものなら、やはりそれは他人事にはならない生活保護は自分もなりかねない現状・可能性としての現実なのです。
また、自民党が政権奪還の為にマニフェストに盛り込んだ、生活保護費を一割差し引く・現物支給・調査権の拡大は非情な物に感じました。
実際に生活保護者が社会復帰できない幾つかの理由として生活がぎりぎりでお金が無い事を理由に社会への参加はおろか外出さえ引きこもりに陥ったりする状況を更に悪化させ、慢性化を促すのが生活保護費用の一割削減だと感じました。
また、生活保護者が社会復帰出来ない足枷としての理由になっている、お金がぎりぎりで生きていくのがやっとだから外出はしないが連鎖し、人との繋がりが持てない、更に連鎖して傷病が悪化して、楽しみや希望の無い精神状態に陥ります。
現物の支給にしても人それぞれ必要な物も変わってきますし、それを全て個々に対し現物支給として各自地体が購入・用意・配給するのは効率的では無いです。
またその費用対効果的に、CWの人員不足による不正受給者に対し、更正且つ厳正な監視の目に限界が増加します。
また食事クーポン券等、精神的にまた身体的に外出が出来ない状態の生活保護者達には、飯が食いたいならさっさと外出しろ、と言わんばかりでしょう。
外出すら出来ない程、あるいは外出に補助が必要とされる状態で食事券の発案を含めて、これらの立案は政治家として知性の幅へ反論・クエスチョンが向けられます。
これは逆に費用面でマイナスでしょう。
実質的にマニフェストを実行し、水面下で増加した出費を公表するとは疑わしい。
また支持率の面でも、増加する生活保護者を敵に廻すのは得策ではないのですから。
このような状況下に置かれる生活保護者は現段階で、死が希望になっている方々が多いのが実情でしょう。
この様な非人間的弱者パージ、とも考えれる策は年間三万人を超える自殺者数の増加へ、いっそうの拍車を与えるのは分かりきっている事です。
政治家の方々は、こう言った生活保護者の人生に末永く一人ひとりに付き添って観察している訳では在りません。
そして、生活保護だと身分を明かせない弱者・貧困層・
反論できない心身障害者へ、死ねと遠まわしに導いている様にも感じました。
まるで、匿名だからと相手の一切を知りもしないのに、生活保護者=税金の堕落的搾取者と自分の憶測と、生活保護者になった事がない人の主観で決め付けている様なもので、死ねと書き込みをしている様な発言を政策に具現化している痛みの理解が不可能な政治家の暴走にも思えます。
しかしどの様な人間にも災いは降りかかる事が在る様に
どの様な国民もいつ生活保護に陥るか分からないものです。
、困った時には適切な福祉サービスを受ける権利は整った形で用意しておくべきでしょうか。
インターネットの書き込みにも生活保護者への暴言的発言をしている人達でも実際に生活保護者の実態を見れば救いの手を差し伸べる人も居ましたが政治家の方々には現実の最下層の苦痛を見る意識が足りないです。
大変感服しました。
生活保護の人達は一概に全てとは言いませんけど、実際話してみると苦労人で控えめな方が多かったです。
彼等が税金を無駄使いしているとは私は思えません。
生活保護の状態ではお金が無く、関わりすら控えてしまうのが現状、と大きな問題があります。
そういう人々のコミュニティーセンターがあってもよさそうですね。
今の保護に対する政策は違憲になりかねないのでは@
医療水準も日本の方が上、そもそも社会保障給付といっても、企業にどんどん負担をかけ、企業が自社の健保組合なのに、健康診断から出産補助まで削減して、高齢者給付金に回して、莫大な支出をしている現実もあるのにね。
ちょっと数字の出し方が安易です。