レダック コロナ感染に思う

2020-04-01 22:57:09 | 日記
 4月1日である。新しい年度であるとともに、例年ならエイプリルフールで笑い話になりそうなことでも、今年は時には逮捕されかねないような質の悪い言説として捉えられるおそれもある。言うまでもなく、コロナ感染騒ぎである。普段通りの生活をしていたはずが、いまだ人類の知らないウイルスとして立ち現れ猖獗を極めている。死者の数があれよ!あれよ!という間に増えていく。
 もとより私は、この問題について全くの素人であり、論評したり、批判したりして政治的な争点を提供しようとするつもりは全くない。未曾有のことに対し、結果論であげつらうのは、誰でもできるし、卑怯者であろう。ただ、うろたえ不安を抱きながら、ホントにそうかと思うこともあり、日々状況が変わりゆくなかで、この時点での市井の徒としての感想を記しておいてもいいのでは、と思っただけだ。

まずは、私の生活の変化である。このブログ「レダックシリーズ」の読者にも現状報告を兼ねて綴ってみたい。
全くの年金生活者で、拘束も義務的活動もなく自由気ままな極楽とんぼでも生活に大きな変化があった。
2年前の5月、帯状疱疹にかかり、完治せず後神経痛も出て、いまだに右膝が折りたためず(正座できず)膝のあたりが衣服と擦れてストレッサーになっている。このため、以前から通っている公設民営のスポーツジムに5ケ月後からリハビリ兼ねて通っていた。ランニングマシンに掴まりながら、よちよち歩きしてきた。やがて時速6kmくらいまで歩け、ジョギングもできるようになってきた。今年の1、2月には18日ほど通い、それなりに7割程度回復してきた。と思った矢先、休館である。足だけでなく心肺機能も衰えるので、近所や、遺跡・古墳を見て回るべく努めている。
もう一つ、高齢者施設での歌声ボランティア活動がストップしてしまった。1月に30ケ所ほど訪問しており、多い人は20ケ所に行っており、私も月数ヶ所行っていた。しかし、まず感染者が多く、症状が出れば重症になる可能性の高いことから、施設のほうから見合わす中止連絡が増え、結果、3月は1回も行かなかった。長期化の可能性も高いことから、4月は予定は立てても話し合う必要性がある。
結果、息子夫婦との会食、歯医者と常備薬をもらうための医者通いを除いて予定のほとんどが流れてしまった。
おかげで、体重は1kg増えた。巣ごもりのストレスはあまりないが、自粛という言葉に胡散臭さを覚えている。

 しかし、私が納得いかなかったのは、学校閉鎖 休校だ。めちゃだと思った。いろんな社会集団の中でも、学年終了―卒業―入学という通過儀礼の集中する3月とは都合が悪すぎる。現場を知っている「専門家」はどんな意見を持っていたのか。3月19?日だったか、専門家会議副座長の尾身さんという方が、学校閉鎖によって感染を食い止めたという「エビデンスはない」と言明した。今日の報道では諸外国で若い世代の死者がでているということだが、私の認識では外で感染してウイルスを持ち込んだ大人(親、保育士)によって子供が感染することはあっても、子どもの接触によってクラスタ―が発生したというのは3月初旬には考えられない。保育園、学童保育では発生しなかった。慌ただしく指示が実行される中で、塾に行く子、ICT学習できる子と、そうでない子との学習格差が促進されたのではないか。公立の図書館も閉鎖!読書週間をつけるいい機会でもあるのに、何を考えてくれるのか。学校教育が停止した時ほど社会教育が求められると思うのだが・・
 これだけ感染が拡散した段階で、学校再開も地域事情を踏まえてという線で行かざるを得ないだろうが、格差を拡大しない配慮が望まれる。

 そして気がかりなのは「非常事態宣言」の発令だ。野党も過去に自分たちでよく似た法を作ったばっかりに、やむを得ないと考えている節がある。自粛にあき、権力による強制を待ち望む危険はないのか。安倍さんは、自分の時代にこれを1回やりたい、と思っているのではないでしょうね!!!憲法改正のゴールに向かって・・

来月、どんな文章になるのかな??