「国境なき医師団」をもっと見に行く」いと
うせいこう(講談社文庫)
作家である著者が、非営利の医療・人道援助
団体である「国境なき医師団」の活動実地を
取材し、伝えるルポルタージュ。
「もっと」がつかない著書が既刊であるのだ
が、読んではおらず、著者の作品自体、これ
が1冊目。
正直なところ、かつて、とある人物との共著
の背表紙をちらっと本屋で目にして、それは
あまり興味のひかれる作品ではなかった。
だから、「もっと」のつかない既刊も知って
はいたが、要は食わず嫌いな感じで、読まず
にここまで来ていた。
それがどうしたことか、特にきっかけがあっ
たワケではないが、それこそなんとなく、本
作を購入して読み始めてみれば。
一人称は「俺」であるし、文体は多少特徴の
ある文体で、慣れるのに少し時間がかかった
が。
そこに慣れてさえしまえば、そのルポの内容
から、無力な人間から見た、とても正直な人
道援助の現場を知ることができる。
著者が本書で述べるように、人道主義は、少
なくとも現在の日本では、広く一般に適切に
理解、支援されているとは言い難い。
無論、個人においては、実際に活動するしな
いは別として、主流の自己責任主義、自己利
益主義によらない人たちはたくさんいる。
しかし多くの現代日本人は、それを偽善、自
己満足などと言って、決して裏側のないこと
を信じない。
自己とは別の世界だと無自覚に悲しみ涙して、
それでも寄付の一つでもすれば上等だろうけ
れども。
さきほど無力な人間から見たと書いたが、そ
れは医師団で活動できないという意味で、本
当に無力なのは読むだけの自分である。
現地活動には向き不向きがあり、精神的にも、
肉体的にも、経済的にも、つまりすべてにお
いて自分には不可能だろう。
著者は、寄付もして、現地にも行き、こうし
てより無力な者に現実を知らせてくれる。
それでも知って、考えることは、それ自体は
無駄ではない(と信じている)し、問題はそ
こからどうするか、だろう。
うせいこう(講談社文庫)
作家である著者が、非営利の医療・人道援助
団体である「国境なき医師団」の活動実地を
取材し、伝えるルポルタージュ。
「もっと」がつかない著書が既刊であるのだ
が、読んではおらず、著者の作品自体、これ
が1冊目。
正直なところ、かつて、とある人物との共著
の背表紙をちらっと本屋で目にして、それは
あまり興味のひかれる作品ではなかった。
だから、「もっと」のつかない既刊も知って
はいたが、要は食わず嫌いな感じで、読まず
にここまで来ていた。
それがどうしたことか、特にきっかけがあっ
たワケではないが、それこそなんとなく、本
作を購入して読み始めてみれば。
一人称は「俺」であるし、文体は多少特徴の
ある文体で、慣れるのに少し時間がかかった
が。
そこに慣れてさえしまえば、そのルポの内容
から、無力な人間から見た、とても正直な人
道援助の現場を知ることができる。
著者が本書で述べるように、人道主義は、少
なくとも現在の日本では、広く一般に適切に
理解、支援されているとは言い難い。
無論、個人においては、実際に活動するしな
いは別として、主流の自己責任主義、自己利
益主義によらない人たちはたくさんいる。
しかし多くの現代日本人は、それを偽善、自
己満足などと言って、決して裏側のないこと
を信じない。
自己とは別の世界だと無自覚に悲しみ涙して、
それでも寄付の一つでもすれば上等だろうけ
れども。
さきほど無力な人間から見たと書いたが、そ
れは医師団で活動できないという意味で、本
当に無力なのは読むだけの自分である。
現地活動には向き不向きがあり、精神的にも、
肉体的にも、経済的にも、つまりすべてにお
いて自分には不可能だろう。
著者は、寄付もして、現地にも行き、こうし
てより無力な者に現実を知らせてくれる。
それでも知って、考えることは、それ自体は
無駄ではない(と信じている)し、問題はそ
こからどうするか、だろう。
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