Four Season Colors

現代詩と映画、読書、ゲーム、スポーツなど雑文を掲載
詩集4冊(各110円)をAmazon「Kindleストア」で販売中

パリオリンピック

2024-08-12 | 雑文
平和の祭典ことオリンピックの、2024年
パリ大会が閉幕した。

遠い昔、学生の頃は無意味にスポーツ大会の
観戦をガチっていたが、就職してからは年を
経るごとに観戦時間も減り。

加えて、近年は採点競技への興味が激減して
おり、基本、ながら見のまま終わってしまっ
た感がある。

毎回それなりに競技外で色々起きるし、誰か
はなんかやらかすから、個別のあれこれにつ
いては触れない。

判定の疑義も別に毎度のことであるし、公正
公平の実現が不可能な時点で、それに荒ぶる
ほど子供でもない。

それよりも驚きは、それも理解したうえで、
ここまで自分が採点競技への興味を失ってし
まったこと。

オリンピックの時だけ競技を観ても、優劣が
分からないというのは根本ではあるが、それ
にしても、である。

そもそもオリンピックでしか観ないのは、こ
れまでも同じことであり。

感性の低下であり、関心の低下であり、新し
いものへの対応という意味では、まあ、老化
もあるのだろう。

しかしながら、ウェイトとしてあるのは、観
戦の目的のようなものも、一つあるのかもし
れない。

身近な人だったり、どこかの誰かだったりか
は様々であるが、そうして誰かと観戦を共有
する。

そうしたことが希薄になった時に、はたして
自分は何に重点を置いて観戦をしているのか。

ルールが分からなくても、採点基準や優劣が
分からなくても、観戦を楽しめる人の重点は
どこにあるのか。

競技そのものにあったり、アスリートその人
にあったりするのだろうが、どちらかなどと
単純なことでもないだろう。

納得のできる答えは未だないが、そうした自
分の興味、スタンスの変化を感じる大会だっ
た。

さて、4年後は、(無事であれば)どういっ
たスタンスで、どれくらいの興味で観戦する
のだろうか。

どどん

2024-08-08 | 
まだまだ暑い夜に

次々に上がる尺玉

遅れてようやくに

咲音に被さる呼声

火花においどどん

づらづら長い列に

段々に狭まる歩幅

隠れておもむろに

逆手に絡まる両手

花火においどどん

読書のよもやま(2024.08.05)

2024-08-05 | 雑文
「ザ・ロード アメリカ放浪記」ジャック・
ロンドン/川本三郎[訳](ちくま文庫)

翻訳系ノンフィクションは、翻訳の価値のあ
るものという前提を信頼しているので、著者
については全く無知であるが購入。

アメリカの短編の名手(らしい)であるジャ
ック・ロンドンの、主に列車放浪の旅を振り
返ったノンフィクション。

1900年直前の、ホーボー(放浪者)とし
て(無銭で)列車を乗り継ぎ旅をした思い出
が、全編にわたり続く。

基本はお金を持た(て)ずに、食料や衣服を
一般家庭にもらい、乗務員と駆け引きをしな
がら列車を乗り継いでいく。

まだ地上に冒険があふれていた時代、放浪せ
ずにはいられない、生命エネルギーに満ちた
若者たち。

マイルドな表現をしているが、まあまあダー
ティというか、やっていることは結構なワル
である。

読みようによっては、若者の、若者に特有の
ただの武勇伝ひとり語りであるが、今の時代
に、ここから何を読むか。

今の時代に照らせば、犯罪だらけでどこを読
んでも同じような、変わり映えのない違法な
ワルさ自慢である。

しかし、同じ時代を生きた、時代を共有した
世代には、当事者としての共感に満ちた文学
かもしれない。

それが100年の後であれば、それは貴重な
歴史の文学かもしれない。

自分たちが現代の旅文学から憧れを覚えるよ
うに、当時の若者は、やはりここから憧れを
感じたのだろうか。

地上から冒険のにおいが消え、特にこの国で
はダーティな旅など憧れもなく、どちらかと
言えば悪感情ですらある。

だから恐らく、ここから当時の「熱」を本当
の意味で感じることは、残念ながらできない
のだろう。

それでも確かに、間違いなく、この国ではあ
り得ない「アメリカ」は、ここにある。

ニュートラル

2024-08-01 | 
あうとき かける みどりさん

ふらりと よろけ あおいあざ

きったか おさら だいだいに

きづかぬ うちに あかまみれ

きんきん だれも みつからず

ひとりで たてば いろもなく

しろくろ させて まじりあう

ふたつの であい いろをなす