かたつむりのように

のんびり、ゆっくり、ゆっくり、・・・歩いていこう
時には アンテナをたてて・・・

「さだまさしのコンサート」 に行ってきました

2018年03月03日 16時05分23秒 | 日記

3月2日 さだまさしのコンサートに行ってきました。

 

チケットは 発売当日(昨年末)パソコン前にスタンバイし 時計とにらめっこで

「それっ」とばかりにネットで申し込みしました。

取れた席は 2階の最後列の一番端っこ。 双眼鏡が必要かと思うような席でした。

 

さだまさしのコンサートは 今回で3回目。

もうかすんでしまいそうな昔 長崎に住んでいた頃、

街が一望できる稲佐山の野外コンサートに行ったのが最初でした。

ばばちゃんの私も当時は若かった なあ~(笑)

記憶も薄らいでいますが 若者の熱気ムンムンであったことは 覚えています。

 

今回は 市の文化会館

若者の姿はなく、さだまさしと一緒に年取ってきたようなシニア層が多く

女性のグループあり、一人参加の女性あり 夫婦連れの姿も多く、denkoも夫と出掛けました。

 

私が一番魅かれる曲は 「精霊流し」 です 

これってグレイプ時代の曲だから もうずいぶん古いですよねぇ

実際の長崎の精霊流しは 曲から想像されるのと違い

爆竹を焚き カネやドラ 掛け声の入り乱れる喧噪の中で行われます。

これを初めて見た時は 歌の世界とのあまりのギャップに驚きましたが 

ある光景を目撃した時

私には忘れられない曲となりました。

 

ご存知でしょうが 長崎の精霊流しは

新盆を迎えた家が故人の霊を弔うため 親族 親戚 皆で精霊船を手造りし、その船を

家紋のついた沢山の提灯でかざり 遺影を乗せ

船を曳きながら街中を練り歩き 故人を極楽浄土に送りだすのです。

その船の長さは3~4メートルあるものや

道の角を曲がるのもたいへんな7~8メートルあるものもあり、

揃いの家紋入りの法被姿で 爆竹をたき カネ ドラを鳴らしながら

船を曳いていくのです。

 

8月15日の長崎の夜は あちこちの辻から大通りに船が流れ込むように出ていき

ドラや爆竹の音に 耳栓なしではいられないほどです。

そのにぎやかさは 哀しみの裏返しなのかもしれません。

遠い昔、

沢山の大きな船が流れる中 若い男性が小さな舟を肩にのせひとり

船の間を縫うように歩いている姿を見ました。

あの船に乗っているのは、いったい誰だろうか?

あの方の妻だろうか 

こどもか   

もしや恋人・・・ 

そんなことを思わせるような歩みでした。

その時 さだまさしの切々としたあの精霊流しの調べと重なりました。

 

かって指揮者で作曲家の山本直純氏が

さだまさしの曲には クラシックを勉強した人でないとかけない旋律があると

絶賛していましたが 曲にも ストーリーのある詞にも惹きつけられます。

 

今日もあのヴァイオリンが会場にむせび泣くように響き 

遠い昔の精霊流しの夜が思い出されました。