最近、久しぶりに兄に会うと、ちょっとにやにやしてしまう私。
それは会う度に兄の髪の毛が薄くなって来ているからで。
来年は70歳を迎える兄ですから、髪の毛くらい薄くなるのは当然です、
かくいう妹の私も、最近、薄くなって来て、ちょっと不安なくらいですし。
抗がん剤の影響? それとも年齢のせい? なんて。
ま、私のことは置いておいて。
大体、顔のビジュについては興味が薄い人間なので、頭部についてなにやかやと
申しているわけではございません。
にやにやしているのは、年齢相応になって来てくれて、「うれしい」のです。
何しろ、年齢よりも相当、若く見られて来た兄。40代のときでさえ、学生さんと
間違えられることもあったくらい。年を取らなかったのです。
小さい時からいつも会っていた叔父、叔母でさえ、私が姉だと思っていて、
兄と私の共通の知り合いはみんながみんな、私のことを「お姉さん」と呼び。
なんだかなあと思っていたわけで。
もちろん、みなさんが私のことを「姉」だと思うのは見かけだけではないことも
わかっているのですが。あまりにも「お姉さん」扱いされると、ちょっとね。
兄も被害を受けることもあるようですし。
「被害」とは、母の介護や田舎の法事、お墓やお仏壇のお世話、親せきとの
お付き合いなどなど、一応、「長男がやるべきこと」と思われていることを
私が全部ひとりで、やって来ていたので、兄は気楽な反面、周囲から
「頼りない兄」扱いされていることがあるらしいのです(笑)
私は基本的に人前に立つのは苦手。母が「あなたが人前に出るのは恥」と
ものすごい勢いで罵られていたし、性格的にも人の上に立つことは
したくない人間なので、やってくださる方がいらっしゃれば、とことん、
気配を消して、従う方の人間。目立たないようにしたいのです。
ただ、小さいころから、「自分のことは自分でやりなさい」と厳しくしつけられて
いて、親が助けてくれることが少なく、感情の起伏の激しい母の顔色を読んで、
「今、やるべきことはすぐにやる」というスタンスをとっていたせいで、
結構に気が利く人間に育ってしまい、言われなくても最大限のことをやってしまう。
そのため、兄は何でも私任せになってしまい、ひとりできびきび働く私のことを
見ている人たちは、どうしても私が姉だと思ってしまう。
そして、兄は私の言うことを弟のようにとっても素直に聞いてくれるので、
私たちはとっても平和な兄妹関係というわけです。けんかした記憶もありません。
まだ、母が認知症の症状が出ていないころ、母が「お兄ちゃんは、(私)さんのことは
言うことをきくのに、私の言うことをきかない」と怒っていたことがありました。
母が感情的になって、言うことがいちいち違うことに理系頭でクールな兄は
辟易していたので、いつも感情的にならず、理論的に「やるべきこと」を説明して
齟齬がない私のことは、「納得できるから、間違いない」とのことでした。
母の病院への付き添いなどをしていた私と母を見ている人は「ここは親子が逆転
しているね」と、母がわがままを言って、言うことを全くきかず、私がなだめて、
なんとか言い聞かせている姿を見て笑っていました。
妹なのに姉と言われ、娘なのに母親みたいと言われ、いろいろ逆転家族でしたけれど、
私も年を取って来て、病気にもなって、いろいろとできないことも多くなって来ましたので、
これからは兄にお世話をかけることも多くあるかと思いますが、これまで通り、
つかず離れず、いい距離感でいい関係を続けていけたらと願っています。
あ。そうそう。父との関係はどうだったのかと言えば、母ががんになった父の
面倒をみることを放棄したため、私が常に父をサポートしていたおかげで、
私は父の妻扱い! 父の葬儀のときでさえ、父の知人の方が、私のところに来て、
「奥様、この度は・・」と挨拶されて、私はほんとに焦りました。
父も兄同様、年齢よりも若く見られるため、妻と勘違いされるのは、妹なのに
姉扱いされるよりも、かなり複雑。そして、父はにやにや。
うれしかったみたいですね。若い妻を持っていると思われて。
そういえば、妻ならまだしも、私は愛人と間違えられたことがありました。
東京に大学進学をする直前、父が「地元の歴史について、再度、知識を深め、
人に聞かれたときに説明できるようにしなさい」と言われ、父と一緒に、
地元の歴史散策に出かけたことがありました。
まあ、観光名所的な場所でもありましたから、観光客がたくさんいたのですが、
なぜか父と私のあとを観光客がぞろぞろついて歩きます。
「なんだろうなあ」と思っていたら、その中の女性が、私が怪訝な顔をして
いるのに気がついて、「あら。いやだわ。私たち、新婚さんのあとをついて
来ちゃってー」とおっしゃって、私は目をシロクロ。父はにやにや。
そして、その日は父は夜勤。勤務が終わって、報告書かなにかを書いていたら、
部下の方がおひとり、すごくうれしそうに近寄って来られたそうです。
「今日は楽しい時間を過ごされていたようで・・」
父は報告書に気が取られながらも、新婚さんに間違えられてご機嫌でしたから、
父もうれしそうに答えたそうです。
「おう。今日は娘が東京に大学進学するから、地元の歴史の見聞を
広めさせようと思ってな。××に行ったんだよー。いい時間だったよ」
すると、その方は急に鼻白んだ顔をして、「む。娘さんでしたか」と言って
去って行かれたそうです。
父は「なんだ?」と思ったそうですが、そのあと、「あ。愛人と一緒に
デートしていたと勘違いしたんだな」と気がついたそうで、大笑いしていました。
いえ、お父さん、まだ、高校生の私にはうれしくありませんからーっと
思ったというエピソードがございます。
部下の方、父の弱みを握ったと思ったのではないかと。
うかつなことはできませんねー(笑)
それは会う度に兄の髪の毛が薄くなって来ているからで。
来年は70歳を迎える兄ですから、髪の毛くらい薄くなるのは当然です、
かくいう妹の私も、最近、薄くなって来て、ちょっと不安なくらいですし。
抗がん剤の影響? それとも年齢のせい? なんて。
ま、私のことは置いておいて。
大体、顔のビジュについては興味が薄い人間なので、頭部についてなにやかやと
申しているわけではございません。
にやにやしているのは、年齢相応になって来てくれて、「うれしい」のです。
何しろ、年齢よりも相当、若く見られて来た兄。40代のときでさえ、学生さんと
間違えられることもあったくらい。年を取らなかったのです。
小さい時からいつも会っていた叔父、叔母でさえ、私が姉だと思っていて、
兄と私の共通の知り合いはみんながみんな、私のことを「お姉さん」と呼び。
なんだかなあと思っていたわけで。
もちろん、みなさんが私のことを「姉」だと思うのは見かけだけではないことも
わかっているのですが。あまりにも「お姉さん」扱いされると、ちょっとね。
兄も被害を受けることもあるようですし。
「被害」とは、母の介護や田舎の法事、お墓やお仏壇のお世話、親せきとの
お付き合いなどなど、一応、「長男がやるべきこと」と思われていることを
私が全部ひとりで、やって来ていたので、兄は気楽な反面、周囲から
「頼りない兄」扱いされていることがあるらしいのです(笑)
私は基本的に人前に立つのは苦手。母が「あなたが人前に出るのは恥」と
ものすごい勢いで罵られていたし、性格的にも人の上に立つことは
したくない人間なので、やってくださる方がいらっしゃれば、とことん、
気配を消して、従う方の人間。目立たないようにしたいのです。
ただ、小さいころから、「自分のことは自分でやりなさい」と厳しくしつけられて
いて、親が助けてくれることが少なく、感情の起伏の激しい母の顔色を読んで、
「今、やるべきことはすぐにやる」というスタンスをとっていたせいで、
結構に気が利く人間に育ってしまい、言われなくても最大限のことをやってしまう。
そのため、兄は何でも私任せになってしまい、ひとりできびきび働く私のことを
見ている人たちは、どうしても私が姉だと思ってしまう。
そして、兄は私の言うことを弟のようにとっても素直に聞いてくれるので、
私たちはとっても平和な兄妹関係というわけです。けんかした記憶もありません。
まだ、母が認知症の症状が出ていないころ、母が「お兄ちゃんは、(私)さんのことは
言うことをきくのに、私の言うことをきかない」と怒っていたことがありました。
母が感情的になって、言うことがいちいち違うことに理系頭でクールな兄は
辟易していたので、いつも感情的にならず、理論的に「やるべきこと」を説明して
齟齬がない私のことは、「納得できるから、間違いない」とのことでした。
母の病院への付き添いなどをしていた私と母を見ている人は「ここは親子が逆転
しているね」と、母がわがままを言って、言うことを全くきかず、私がなだめて、
なんとか言い聞かせている姿を見て笑っていました。
妹なのに姉と言われ、娘なのに母親みたいと言われ、いろいろ逆転家族でしたけれど、
私も年を取って来て、病気にもなって、いろいろとできないことも多くなって来ましたので、
これからは兄にお世話をかけることも多くあるかと思いますが、これまで通り、
つかず離れず、いい距離感でいい関係を続けていけたらと願っています。
あ。そうそう。父との関係はどうだったのかと言えば、母ががんになった父の
面倒をみることを放棄したため、私が常に父をサポートしていたおかげで、
私は父の妻扱い! 父の葬儀のときでさえ、父の知人の方が、私のところに来て、
「奥様、この度は・・」と挨拶されて、私はほんとに焦りました。
父も兄同様、年齢よりも若く見られるため、妻と勘違いされるのは、妹なのに
姉扱いされるよりも、かなり複雑。そして、父はにやにや。
うれしかったみたいですね。若い妻を持っていると思われて。
そういえば、妻ならまだしも、私は愛人と間違えられたことがありました。
東京に大学進学をする直前、父が「地元の歴史について、再度、知識を深め、
人に聞かれたときに説明できるようにしなさい」と言われ、父と一緒に、
地元の歴史散策に出かけたことがありました。
まあ、観光名所的な場所でもありましたから、観光客がたくさんいたのですが、
なぜか父と私のあとを観光客がぞろぞろついて歩きます。
「なんだろうなあ」と思っていたら、その中の女性が、私が怪訝な顔をして
いるのに気がついて、「あら。いやだわ。私たち、新婚さんのあとをついて
来ちゃってー」とおっしゃって、私は目をシロクロ。父はにやにや。
そして、その日は父は夜勤。勤務が終わって、報告書かなにかを書いていたら、
部下の方がおひとり、すごくうれしそうに近寄って来られたそうです。
「今日は楽しい時間を過ごされていたようで・・」
父は報告書に気が取られながらも、新婚さんに間違えられてご機嫌でしたから、
父もうれしそうに答えたそうです。
「おう。今日は娘が東京に大学進学するから、地元の歴史の見聞を
広めさせようと思ってな。××に行ったんだよー。いい時間だったよ」
すると、その方は急に鼻白んだ顔をして、「む。娘さんでしたか」と言って
去って行かれたそうです。
父は「なんだ?」と思ったそうですが、そのあと、「あ。愛人と一緒に
デートしていたと勘違いしたんだな」と気がついたそうで、大笑いしていました。
いえ、お父さん、まだ、高校生の私にはうれしくありませんからーっと
思ったというエピソードがございます。
部下の方、父の弱みを握ったと思ったのではないかと。
うかつなことはできませんねー(笑)