眺める空に描くもの

高齢者女子のおひとりさま暮らしノート

紅白歌手と同じ舞台に

2024-10-20 19:14:25 | わたし記
♪はーれたそらー そーよぐかぜー

あれ、なぜか「憧れのハワイ航路」が、脳内プレーヤーにかかっているようで(笑)
もちろん、この歌は私の生まれる前の曲ですが、耳コピプレーヤーを持っている私は
ちゃんと歌えますとも!

古い歌が頭の中で流れると、母のうたとも(歌友)さんたちに、カラオケ指南をして
いたころを思い出します。
(お友達のお願いで忘れてしまったという古い曲を歌えるようにお教えしていました)

母をカラオケ教室に行かせようと思ったのは、何がきっかけだったのか。趣味らしい
趣味を持たず、まじめな性格の母に、何かさせてあげたいと思い、歌うことが好きな
母にうたともさんを作ってあげようと思ったことはよく覚えているのですが、直接的な
きっかけはなんだったのでしょう。おそらく、先々の不安だったのだとは思います。

母に提案してみたところ、興味はあるものの、自分から教室には行けそうにない。
そこで、私は大手カルチャー教室に自分も入会するから一緒に行こうと説得しました。
もちろん、母の希望は「私の娘だと言うな!」でしたけど(笑)
言われなくとも、わかっていますよ、おかーさん! 
母は私が娘だとわかると恥と信じている人でしたから。すみません。ビジュゼロで。

行ってみると、想像通り、子育てを終えた主婦の方や退職なさった男性の方たちばかり。
母にとっては近い世代の方ばかりですが、私はひとりだけ、浮いていました(笑)
そりゃあ、そうですよねー。私の年代の人は現役で忙しいわけで。

私はフリーランスで仕事をしていたので、なんとか都合をつけられただけでしたから、
しかも、演歌が主体。もちろん、耳コピできますから、演歌もたくさんの曲を歌えたのですが、
合唱をやっていたので、歌い方は違い、自分でもうまくはないという自覚もありで。

でも、母にとっては私の思惑通り、同世代の方たちのお友達ができて、目的達成。
歌好きな方ばかりでしたから、母にとっては新たな世界の扉を開いた、ということに。

それまでの母の交友関係は、「カラオケ? え? そんな下世話なものなんて」などと、
おっしゃるような方ばかりで、とてもご一緒にカラオケなんてあり得なかったのです。
私ったら、孝行娘ですわー(笑)

もちろん、私は母の言いつけ通り、「他人のふり」をしていたのですが、名字が一緒だと
「もしかして?」と思う方たちはいて、ばれてしまっていましたけど(私はちゃんと席も
遠くに座っていた)、私のビジュに対して何か言ってバカにする人たちはだれもいないので、
母も次第に慣れてくれたようです。よかった、よかった。

指導の先生はたくさんの教室枠を持っていて指導に当たっていらっしゃるので、教え子
さんは60人くらいはいるとうかがいました。また、カラオケが歌えるお店なども経営。
若いころは司会業もなさっていたとかで、芸能界にも顔が利くという男性の先生でした。

そのため、ご自身の教室の生徒さんたちの発表会を大きなホールで開催するときは、
現役歌手の方を呼んで来るという「実力」を見せていらして、なんと、その当時は、
氷川きよしさんと、水森かおりさんがいらしたことをよく覚えています。

すごいですよね。今や紅白出場の人気歌手の方たちが、カラオケ教室の発表会で歌を
披露なさるなんて(笑) ありえないことがあったのです。
その発表会のころは、すでに私は母にうたともさんを作るという目的を達成して
いましたから、カラオケ教室に通いたかったわけではないので、すぐに辞めていて、
続けていた母に頼まれて、水森かおりさんの応援のうちわを作成させていただきました。
水森さんは何度もいらっしゃっていて、演歌の方はこういう地道な苦労がおあり
なんだなとしみじみ思った次第です。

そうそう。氷川さんの方はその後すぐに大ブレークなさったので、その後にいらっしゃる
ことはなかったのですが、水森さんは、メジャー歌手になるまでは少し時間がかかったの
だろうと思います。おかげさまで、生の歌を聴かせていただけてラッキーでした(笑)

そういえば、その先生に、やたらと気に入られて「店を持たせたい」と言われ、
半ば本気で母に「娘さんに店をさせないか?」と持ちかけていました(汗)
「この子なら、絶対に店が流行る」とおっしゃっていたのです。
氷川さんや水森さんからも「先生、先生」と慕われていましたので、もしかすると、
私の能力も見出してくださろうとしていたのでしょうか??(笑)

私はアルバイトでも夜の世界のお仕事を経験したことがないのですが、どういうわけか、
「お店を持たせたい」と本気で言われたことが別にもあって、やっていたら、どんな
人生だったのかなと思うことがあります(笑)

上司や仕事仲間と行きつけのお店に飲みに行っているときに、お店をやっているママと
間違えられたことがあって、「ママのお店はどこ?」と聞かれて、私は目をシロクロ。
仕事仲間の女子がふざけて、「○○ビルの地下の××というお店だよ」と教えてしまい、
本当にいらしたそうですが、もちろん、私はいません。
「マスターだけでママはいないって言われたよ」と言われて、「今はマスターに任せて
いるから」って、言い訳をしたという。どこまでうそをつく気だーっ?と、のりのいい
仕事仲間に驚いてしまったのでした。

もっと昔、東京で大学の先生方と飲みに行っているときに、同じように「ママのお店は
どこ?」と聞かれたときは、先生の方が「四谷だよ」と。みんなふざけ過ぎでしょ。

ママはお母さんの意味での私のニックネームですが、どうもスナックとかそういうお店の
ママと勘違いされることが多かったのです。今やお酒を一滴も飲まない私なのに(笑)

そういえば、氷川きよしさんも「憧れのハワイ航路」をカバーしていましたね。
そんなこんなで思い出したのでした。

生の氷川さん、驚くほどスリムだったなあ。先生に対して、実に低姿勢で感謝されていて
大変、感じのいい青年でいらっしゃいました。生歌はやはり、とても上手い方だなあと
感心しました。声量が半端なく、きもちのいいくらいのびやかで。
ブレーク直前くらいの時期だったと思いますが、先生、有名歌手の方に感謝されるような
何をなさっていらっしゃった方だったんでしょうね。
もっと詳細をお聞きしておけばよかった。

母なんて、紅白歌手の方と同じ舞台で歌ったわけですから、これもなかなかレア体験(笑)
母をカラオケ教室に通わせたいと尽力した私に、虹の橋の向こうで少しは感謝してくれて
いるといいなと思います。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿