悪魔がイエスさまを試そうと荒野につれて行った時、イエスさまはこんなことをおっしゃったニャン
「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」
(マタイによる福音書4:4)
イエスさまは旧約聖書からこの言葉を仰ったのニャン。
ユダヤ教の人もイスラム教の人も旧約聖書の神さまを信じていますニャン。
でも、イエス様が『わたしが神である」と言っても信じなかったニャン。
今は信じてクリスチャンになっている方も多いニャンけど、当時は信じないで神さまを十字架につけてしまったのにゃ。
神さまを人間たちが殺してしまったのニャン。
とんでもニャイこと!!
「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」
イエスさまは祈られましたニャン。
イエス様は死んで3日目に復活されましたニャン。
神さまだからなんでもおできになるのニャン。
お弟子さんたちの前に現れた時、誰一人責められませんでしたニャン。
ただ、「安かれ Shalom」とおっしゃったニャン。
イエス様を十字架につけたすべての人は主を裏切ったことや、知らなと言ったことで自分を責め、苦しく思っていたのに、この言葉を聞いて心に光が灯りましたにゃん。
大いなる喜びを感謝しまくりましたにゃん。
(マルコの福音書には信じなかった弟子たちはイエス様から責められましたと書かれていますニャン)
マルコの福音書の最後にイエスさまがおっしゃった宣教命令によって、弟子たちは全世界に福音を伝えていくことになりましたニャン。
人間は目に見えるものを信じやすく、簡単に自分中心の宗教をつくり、偶像を拝む存在なのニャン。
神さまは偶像を悲しまれます。
人によっては、像、お金、名誉、地位、健力、自我・・・あらゆるものが偶像になるのニャン。
人間は神さまが悲しまれることばかりする存在ニャン。
それでも神さまは人を愛されていますニャン。にゃので、もうこの方法しかないと、クリスマスに人間の赤ちゃんになって地上に降りてこられたのニャン。しかも、その時、十字架にかけられて死ぬことも計画されたのニャン。
神さまは目には見えない存在。
けれど、神さまがつくられたものは目に見えますニャン。
太陽や星や月や光、自然界のすべてニャン。
イエスさまは過去にも現在にも未来にもたった一回だけ、見える人間の存在となってくださった神さまの唯一の姿ニャン。
イエスさまが仰った言葉は、
大切ないのちの糧となるパン以上のもの、神の言葉に生きること、いのちの糧なのニャン。
何を食べよう・・・何を着よう・・・
明日のことも心配しないで
重荷を全部イエスさまにお預けして生きることは、
そう、ネコの生き方なのニャン。
大切な方を第一として、気ままに生きる(委ねる)ことなのニャン。
野の花を見よ!の信仰ニャン
冬の薔薇さんが
ゆっくりゆっくりベランダで開花中ですニャン。
急がなくていいんだよ。あなたらしく開花してくれれば。
天からの声が聴こえますニャン。
ニャーメン