12月15日土曜日、
午後からちょっと雨に降られてしまいましたが、
市内の文化財巡りをしました。
最初の見学は、平成12年5月に国の重要文化財に
指定されている横利根閘門です。
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かつて利根川増水時には、横利根川筋や
霞ヶ浦沿岸が氾濫し、そのために海から
利根川をさかのぼって来た塩水が、横利根川や
霞ヶ浦沿岸地域に塩害をもたらしていました。
このため利根川と霞ヶ浦を分断し、なお且つ
増水時にも舟運に支障をきたさないようにと、
この閘門が建設されました。
大正3年(1914)に着工し、大正10年(1921)に完成した
横利根閘門は、当時霞ヶ浦や北浦から利根川を経由して、
江戸へ向かう舟運の重要なルートでした。
見学の出席者の中からは…
「横利根閘門を通って日本橋まで行こう!」
そんな声もありました。楽しそうですね。
桜の季節も良いですが、冬枯れの横利根閘門も味がありましたよ。
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次に向かったのは、鳩崎の関口家です。
本家関口家は宝暦9年(1759)頃、豪農の関口八兵衛が醤油醸造
を始めました。
その後、明治24年(1891)上菱醤油醸造会社なり、12代関口
八兵衛の時代(明治期)には、醤油の外にソース(鳩ソース)、
ビール(上菱ビール)、茶園経営、レンガ製造など事業拡大を図ります。
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その頃のレンガでしょうか、
レンガ造りの長屋門と蔵が新宅に残っています。
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昨年の震災で一部崩壊しましたが、今は修復されて
見事な長屋門と蔵を見せていただくことができました。
霞ヶ浦の永代施餓鬼を行い、地域の人々に尽くした
智豊尼 はこの関口家、関口八兵衛東岑の妻だったんです。
智豊尼は古渡の堂崎鼻と大山新田(美浦村)に供養塔を造立しています。
ランチは江戸崎の吉田家さんです。
外が寒かったので、あったかいお座敷がとってもうれしかったです。
午後からは、まず大日苑に向かいます。
その昔、榎ヶ浦と呼ばれた江戸崎入りを干拓した植竹庄兵衛さんが、
昭和14年(1939)に自らの居宅を目的として建てた、洋風建築と和風建築
を折衷した木造2階建ての住宅です。
平屋の欄間に嵌められていた、鳳凰を模ったステンドグラスが
とてもきれいで印象的でした。
平成19年(2007)10月に、国の登録有形文化財になっています。
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最後の見学は、柴崎の平井家住宅です。
江戸時代の寛文年間(1661~1672)に建てられたと考えられています。
茅葺の平井家は、平成13~15年に解体修復工事が行われ、その時
小野の逢善寺の茅場で採れるしま茅が一部使われているそうです。
昭和51年(1976)に国の重要文化財に指定されています。
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参加された皆さんのおかげで、何事もなく予定通り午後4時に資料館に
戻ってくることができました。
ご協力ありがとうございました。
参加された方からアンケートを書いていただきましたので、
いくつかご紹介させていただきます。
・市内に文化財があることがわかり、うれしく思います。
・近くなのに行けなかった場所で、今回はありがたいと思っています。
次回も楽しみです。
・名前(建物)は知っていたが、歴史的なことは恥ずかしながら知りませんでした。
くわしく説明していただき、驚いています。勉強になりました。
この様な機会をまた計画して下さい。
・大変興味深いお話で、稲敷が大好きになりました。
舟で横利根閘門から旅ができたら最高です。
等々ありがとうございました。
次回は、暖かくなった頃にお寺や神社巡りを予定しています。
今回参加できなかった方も、ぜひ次回はご参加ください。