稲敷資料館日々抄

稲敷市立歴史民俗資料館の活動を広く周知し、文化財保護や資料館活動への理解を深めてもらうことを目的にしています。

小林恒岳先生宅で資料調査をさせていただきました。

2012年05月30日 | 日記
5月29日。

この日は、先日、当館までお越しいただいた
日本画家の小林恒岳先生のアトリエにお邪魔
いたしました。

先生のお住まいは、旧八郷町で笠間市に
隣接した山の中腹にあります。



先生のお宅は、資料館から車を走らせておよそ2時間弱。

先日はこの道のりを先生が自ら運転なさって
資料館まで来て下さったことを考えると、
再び頭の下がる思いがしました。

今回、恒岳先生をお尋ねした目的は、先生の
父君である故小林巣居人先生の若き日の作品の
調査のためでした。

先日、恒岳先生とお話した際、小林巣居人先生が
26歳頃、江戸崎辺りを描いたと思われる作品が
ありますとのお話をいただきましたので、今回は
その作品を実見するための訪問です。



この作品は「白鷺」という題で、大正11年、
日本橋三越で開催された第3回中央美術社展に
小林巣居人先生が出品されたとされているもので、
当時の巣居人先生の行動範囲を考えると
霞ヶ浦の南岸、江戸崎付近の風景だろうと
恒岳先生は考えておられるようでした。

ちょうど江戸崎の「吹上」から榎ヶ浦、対岸の
古渡を見渡した景観は、茨城百景や江戸崎八景に
選ばれてもいますし、この絵のイメージとも
矛盾しません。

当時は「吹上の松」という巨大な松の名木が
あったことも知られており、その周辺も今と
違って松林が広がっていたことも考えられます。


この作品は、今年度の企画展で展示する予定
ですので、是非実物をご覧になって、これが
どこの景観なのか皆さんも想像してみてください。



この日はお忙しい中、当館の調査を快く迎えてくださり、
恒岳先生と奥様、誠にありがとうございました。










古文書類の陰干し

2012年05月25日 | 日記
5月24日。

この日は、先日地元の方がお持ちになられた
古文書や古本類の陰干しをしました。



今回、お預かりした資料は、蔵の解体時に
発見されたもので、雨に濡れて腐っていたり、
腐らないまでも湿気を吸って虫に喰われていたり、
埃で汚れていたり、状態はあまり良くありません。


この状態では、整理するにも、保存するにも
どうにもなりませんので、取り合えず陰干しと
軽く汚れ落としをしました。




この後、文書、図書類の目録を作成して
「資料」から「史料」へと使える状態へ
整理していきます。


とても地味で大変な作業ですが、
こうした一つ一つの作業を積み上げていくことで
地域の歴史の一断面が浮かび上がってくるのです。。



史跡神宮寺城跡と十三塚

2012年05月19日 | 日記
5月19日。

稲敷市内にはいくつかの城跡がありますが、
茨城県指定史跡になっている神宮寺城跡も
その一つです。

時は南北朝の騒乱の時代、
伊勢の大湊を出港した南朝方の重臣である
北畠親房(きたばたけ・ちかふさ)らが、途中
暴風雨に遭難して流されて
現在の稲敷市四箇、阿波、甘田、阿波崎といった
地区が取り囲む入り江の辺りに漂着し、
最初に入城したのが神宮寺城でした。

その際に地元の人々は親房らに協力して働きました。
けれども親房ら南朝方の立てこもる神宮寺城は攻め落とされ、
親房らは続いて阿波崎城へと移って戦いますが、
ここも程なく落城し、親房らは現在のつくば市にある
小田城へと落ちのびていきました。

親房らが去った後、北朝方が神宮寺や阿波崎など
この地域一帯を制圧すると南朝方に協力したということで
地元の人々が処罰されることになると、
各村々の代表者である13人の名主等が責任を問われる
ことになりました。

その時に命を絶たれた13人がかわいそうだということで
後の世に地元の人々により建立されたのが
稲敷市指定史跡である十三塚です。

現在は神宮寺城跡も十三塚も神宮寺城跡保存会の有志によって
定期的に清掃などの管理が行われています。

19日にも晴天の下、両史跡の清掃が行われました。


  

両史跡とも郷土の大切な文化財です。
今後とも、地元の人たちの手によって
末永く大切にされていけば良いなと思います。

小林恒岳先生と小林巣居人の「水郷、六月」

2012年05月18日 | 日記
5月16日。

以前、稲敷市四箇出身の日本画家・故根本正さんの
青年時代の作品を中心とする特別展を開催した折に
根本正さんの大親友であり、同じ新興展の重鎮となられた
小林恒岳(こばやし・こうがく)先生ご夫婦が展示をご覧になりに
当館まで足をお運びくださいました。

恒岳先生は実に気さくに、そして懐かしそうに
ご自身の若かった時代の、そして正さんとの想い出を
目を細めながら語ってくださいました。

その際に、先生の御父君であられる小林巣居人(こばやし・そうきょじん)先生の
「水郷、六月」の100号の大作が旧新利根村に所在であることを
覚えておいでで、そのお話を少し致しました。

この作品は、旧新利根中学校の敷地に「財団法人盈科会(えいかかい)」
が建設した図書館の中に飾られていたもので、
図書館もこの絵も、根本村出身の足達締(あだち・あきら)氏が寄贈されたものです。

この図書館が老朽化して取り壊された後は、新利根村中央公民館など
に長い間常設展示されており、経年の傷みがそこここに見られる
状態となっていました。

この巣居人先生の作品が傷んでしまっていることを
恒岳先生にお伝えすると
「もし父の作品を修復するならば、是非、私に相談してください。
 それは子供の務めですから」
 と笑顔でそのようなお言葉をいただくことができました。


それから4、5年という時が過ぎて、
小林巣居人先生の「水郷、六月」が当館所蔵となったということもあり、
今更ながらと思わぬでもありませんでしたが、
「あの時の言葉」を頼りに、
思い切って恒岳先生のご自宅にお電話を掛けてみました。
それが5月16日の午前中のこと。

数年ぶりにお電話でお話しする恒岳先生は、
体調を崩されておいでとのことでした。
けれども、数年前のお言葉を頼りに
お電話を差し上げた旨を伝えましたところ
明日、そちらに伺いますとのお返事を頂くことができました。

翌5月17日。

小林恒岳先生は、病身を押して、傘寿の自らお車を運転されて
奥様と一緒に当館に見えられました。
1週間で5kgも痩せられたというそのお姿を拝見し、
先生のお心使いの有り難さと重さを、ひしひしと感じました。

そして小林巣居人先生の「水郷、六月」を見て頂くと、
「ああ、これ…」と懐かしそうにご覧になられていました。
先生はこの絵が旧新利根村へ納められた経緯もご存じで、
ひとこと、ふたこと当時のお話をして下さいました。

心配していた作品の傷みについても
「これなら展示はできますよ。かえって修復すると作品をダメにすることもありますから」
と仰って頂き、
「ただ傷んだ額は修理した方が良いでしょう」
とのアドバイスも頂くことができました。


また、この日、先生の画集や絵葉書、詩人でもある奥様の詩集など沢山の書籍も
ご寄贈頂きました。


父親である巣居人先生の絵のこととはいえ、わざわざご足労いただいたことの
お礼を申し上げると、
「いえいえ、これも親孝行ですから…」
と恒岳先生は笑って仰っていました。。




小学校の団体見学がありました

2012年05月18日 | 日記
5月17日、江戸崎小学校の3年生が見学にやってきました。
今回は短い時間での見学という事でしたので、
急ぎ足の見学になってしましましたが、
江戸時代の江戸崎の地図や民具など、
普段目にすることのない展示物に興味津々の様子でした。



3年生ではこれから『昔の暮らし』の授業があります。
今回見学にいらした皆さんが、授業でいろいろな勉強をして
もう一度来館した時には、
たくさんの質問をしてくれるのを
楽しみに待っていようと思います。