関連寺院に残されたもの(3)
今回も満願寺に関するご紹介です。
満願寺は、その創建が法相宗であり、かつ現在は天台宗寺院
で、そのご本尊は、薬師如来立像(№118)です。
このお薬師さまは、素地の一木造りで、横から見ると肉身
の厚みがそれ程ありません。衣のひだの表現なども、彫り
が薄く、全体にあっさりとして、お顔の表情も穏やかに
見えます。
平安時代の終わり頃の作とされており、稲敷市内では最古
のお薬師さまで、稲敷市指定文化財です。
このお薬師さまの背面には、墨書があります。虫食いと
退色で判読が難しいのですが…
但馬国あった、何れかの本願堂のご本尊を、
慶長11年(1606)6月8日に、何者かが寄進した…
と見えます。
但馬国は、現在の兵庫県です。ここにあった本願堂が
何なのか、寄進した人物はが誰なのか、が不明なのですが…
当時の江戸崎は、徳川家康の側近・青山忠成の支配なの
ですが…はっきりしたことは、分かりません…。
満願寺の寺伝では、満願寺が天正18年の戦乱で焼かれた
際、満願寺復興のため、比叡山延暦寺の根本中堂から
このお像を譲られ、檀家さんたちが担いで運んできた…
と伝えられています。
いずれにしましても、このお薬師さまは、地域の人たち
に、とても大切にされていたことが分かるエピソードです。
今回も満願寺に関するご紹介です。
満願寺は、その創建が法相宗であり、かつ現在は天台宗寺院
で、そのご本尊は、薬師如来立像(№118)です。
このお薬師さまは、素地の一木造りで、横から見ると肉身
の厚みがそれ程ありません。衣のひだの表現なども、彫り
が薄く、全体にあっさりとして、お顔の表情も穏やかに
見えます。
平安時代の終わり頃の作とされており、稲敷市内では最古
のお薬師さまで、稲敷市指定文化財です。
このお薬師さまの背面には、墨書があります。虫食いと
退色で判読が難しいのですが…
但馬国あった、何れかの本願堂のご本尊を、
慶長11年(1606)6月8日に、何者かが寄進した…
と見えます。
但馬国は、現在の兵庫県です。ここにあった本願堂が
何なのか、寄進した人物はが誰なのか、が不明なのですが…
当時の江戸崎は、徳川家康の側近・青山忠成の支配なの
ですが…はっきりしたことは、分かりません…。
満願寺の寺伝では、満願寺が天正18年の戦乱で焼かれた
際、満願寺復興のため、比叡山延暦寺の根本中堂から
このお像を譲られ、檀家さんたちが担いで運んできた…
と伝えられています。
いずれにしましても、このお薬師さまは、地域の人たち
に、とても大切にされていたことが分かるエピソードです。