日本の社寺建築は、木造であることを基軸とし、その時代時代ごとの文化や思想、生活様式などを反映し、実に多様で豊かな特徴を備え、それでいて日本的な美を表しています。
今回は、日本建築史がご専門の国立歴史民俗博物館名誉教授の濵島正士先生と一緒に、逢󠄀善寺(本堂・仁王門(県指定文化財)・手水舎(市指定))や大杉神社(市指定文化財 社殿)などを巡る寺社建築の見どころを学ぶ講座で、令和5年度稲敷市立歴史民俗資料館秋季講座として、11月18日(土)にバスで巡りました。
当日の参加者は、晴れたり、曇ったり、また急に寒くなるなど気象状況がいろいろと変わった一日でしたが、28名の参加者の皆様には気象変動にも負けず、また、濵島正士先生による稲敷市内の社寺建築や日本国内の社寺建築の魅力と、みどころについて実際に現地で実物を目の当たりにパワフルにご講座を行っていただきました。
参加者の皆さんは稲敷市歴史民俗資料館に集合後、張り切って10時にバスで市内巡りにスタート!
濵島先生は12月9日に開催を予定しております「シンポジウム 稲敷市に花開いた近代仏教芸術の諸相」でもお話をいただく予定の内容を実際に現地に赴き、社寺建築を見ながらの説明となりました。
まず初めに、訪問したのは小野・逢󠄀善寺となります。その際、逢󠄀善寺の坂本学頭よりごあいさつをいただきました。
逢󠄀善寺は千手觀音を本尊とする天台宗寺院であり、天長3年(826)逢󠄀善道人の開基と伝えています。天文8年(1549)に焼失してしまいましたが、江戸崎城主土岐治英(ときはるふさ)が再建し、現在の本堂は天保13年(1842)の上棟しています。
特徴としては、本堂の規模が五間堂で、各柱に懸鼻(かけはな)を付け随所に彫刻を入れて装飾性を高めています。とくに、向拝廻り(こうはいまわり)は本舎より大きな部材を用い、水引虹梁(みずひきこうりょう)に松・竹・梅の浮彫を付け、斗栱(とます)間を竜の彫刻で埋めるなど、豪華で勇壮な造りとしており、参拝者に強い印象を与えるねらいがあったものと思われています。
その後、昼食を挟み、阿波・大杉神社へ、その際市川宮司より大杉神社についてのご説明をいただきました。
大杉神社は、通称あんば様。社伝によると、神護景雲元年(767)の創祀、延暦15年(796)に快賢阿闍梨(かいけんあじゃり)が安穏寺境内に社殿を造営、大杉大明神とよばれました。現在の社殿は、寛政年間(1789〜1801)に焼失したあと文化10年(1813)に建立されましたが、屋根は仮葺のままで文政7年(1824)になって瓦葺が完成しています。また、平成14年から18年にかけて、屋根葺替・塗装彩色工事が行われました。
特徴としては、本殿・幣殿(へいでん)・拝殿を一体化した複合社殿であり、この様式は平安時代に京都の北野天満宮で始まり、近世には大崎八幡宮や日光東照宮など各社で見られるようになりました。これらは本殿が入母屋造ですが、近世には本殿をやや簡単な流造とするものも現われ、本社殿もその一つであります。本社殿では本殿を流造(ながれづくり)としながらも細部手法はきわめて複雑で、装飾彫刻を多用しています。
また、拝殿は桁行(けたゆき)七間の規模でありながら、正面側は内法虹梁(うちのりこうりょう)を架け柱を抜いて三間とし(組物は七間分備える)、向拝も広い一間としています。
さらに、向拝廻りは柱・虹梁・木鼻(きばな)などを主舎よりも大きな部材を用い、装飾彫刻も多用して正面廻りを広大かつ豪華な造りとなっています。
今回見学しました逢󠄀善寺本堂も大杉神社本殿の向拝廻りも、どちらも参拝者へ与える印象を強める意図の感じられる建築物でした。このことを知り、実物を見上げますと「なるほど!」と納得できるのではないでしょうか。
ご協力いただきました神社や社寺の関係者の皆様には、感謝申し上げます。
16時に歴史民俗資料館に戻ってきました。今回参加された皆様には、地域の歴史や文化に触れていただき,市民としての誇りやかけがえのない郷土文化財の継承に関心をもっていただけたと思います。お疲れさまでした。
また、12月9日(土)には「シンポジウム 稲敷市に花開いた近代仏教芸術の諸相」の開催を予定していますので、ご興味のある方がいらっしゃいましたら、飛び入り参加も可能ですので、ご来場いただければ幸いです。
#稲敷市 #稲敷市立歴史民俗資料館 #大杉神社 #逢󠄀善寺
今回は、日本建築史がご専門の国立歴史民俗博物館名誉教授の濵島正士先生と一緒に、逢󠄀善寺(本堂・仁王門(県指定文化財)・手水舎(市指定))や大杉神社(市指定文化財 社殿)などを巡る寺社建築の見どころを学ぶ講座で、令和5年度稲敷市立歴史民俗資料館秋季講座として、11月18日(土)にバスで巡りました。
当日の参加者は、晴れたり、曇ったり、また急に寒くなるなど気象状況がいろいろと変わった一日でしたが、28名の参加者の皆様には気象変動にも負けず、また、濵島正士先生による稲敷市内の社寺建築や日本国内の社寺建築の魅力と、みどころについて実際に現地で実物を目の当たりにパワフルにご講座を行っていただきました。
参加者の皆さんは稲敷市歴史民俗資料館に集合後、張り切って10時にバスで市内巡りにスタート!
濵島先生は12月9日に開催を予定しております「シンポジウム 稲敷市に花開いた近代仏教芸術の諸相」でもお話をいただく予定の内容を実際に現地に赴き、社寺建築を見ながらの説明となりました。
まず初めに、訪問したのは小野・逢󠄀善寺となります。その際、逢󠄀善寺の坂本学頭よりごあいさつをいただきました。
逢󠄀善寺は千手觀音を本尊とする天台宗寺院であり、天長3年(826)逢󠄀善道人の開基と伝えています。天文8年(1549)に焼失してしまいましたが、江戸崎城主土岐治英(ときはるふさ)が再建し、現在の本堂は天保13年(1842)の上棟しています。
特徴としては、本堂の規模が五間堂で、各柱に懸鼻(かけはな)を付け随所に彫刻を入れて装飾性を高めています。とくに、向拝廻り(こうはいまわり)は本舎より大きな部材を用い、水引虹梁(みずひきこうりょう)に松・竹・梅の浮彫を付け、斗栱(とます)間を竜の彫刻で埋めるなど、豪華で勇壮な造りとしており、参拝者に強い印象を与えるねらいがあったものと思われています。
その後、昼食を挟み、阿波・大杉神社へ、その際市川宮司より大杉神社についてのご説明をいただきました。
大杉神社は、通称あんば様。社伝によると、神護景雲元年(767)の創祀、延暦15年(796)に快賢阿闍梨(かいけんあじゃり)が安穏寺境内に社殿を造営、大杉大明神とよばれました。現在の社殿は、寛政年間(1789〜1801)に焼失したあと文化10年(1813)に建立されましたが、屋根は仮葺のままで文政7年(1824)になって瓦葺が完成しています。また、平成14年から18年にかけて、屋根葺替・塗装彩色工事が行われました。
特徴としては、本殿・幣殿(へいでん)・拝殿を一体化した複合社殿であり、この様式は平安時代に京都の北野天満宮で始まり、近世には大崎八幡宮や日光東照宮など各社で見られるようになりました。これらは本殿が入母屋造ですが、近世には本殿をやや簡単な流造とするものも現われ、本社殿もその一つであります。本社殿では本殿を流造(ながれづくり)としながらも細部手法はきわめて複雑で、装飾彫刻を多用しています。
また、拝殿は桁行(けたゆき)七間の規模でありながら、正面側は内法虹梁(うちのりこうりょう)を架け柱を抜いて三間とし(組物は七間分備える)、向拝も広い一間としています。
さらに、向拝廻りは柱・虹梁・木鼻(きばな)などを主舎よりも大きな部材を用い、装飾彫刻も多用して正面廻りを広大かつ豪華な造りとなっています。
今回見学しました逢󠄀善寺本堂も大杉神社本殿の向拝廻りも、どちらも参拝者へ与える印象を強める意図の感じられる建築物でした。このことを知り、実物を見上げますと「なるほど!」と納得できるのではないでしょうか。
ご協力いただきました神社や社寺の関係者の皆様には、感謝申し上げます。
16時に歴史民俗資料館に戻ってきました。今回参加された皆様には、地域の歴史や文化に触れていただき,市民としての誇りやかけがえのない郷土文化財の継承に関心をもっていただけたと思います。お疲れさまでした。
また、12月9日(土)には「シンポジウム 稲敷市に花開いた近代仏教芸術の諸相」の開催を予定していますので、ご興味のある方がいらっしゃいましたら、飛び入り参加も可能ですので、ご来場いただければ幸いです。
#稲敷市 #稲敷市立歴史民俗資料館 #大杉神社 #逢󠄀善寺