稲敷資料館日々抄

稲敷市立歴史民俗資料館の活動を広く周知し、文化財保護や資料館活動への理解を深めてもらうことを目的にしています。

万年筆画体験教室開催のご案内。

2013年06月27日 | 日記


夏季企画展にあわせて、

万年筆画体験教室を開催いたします。

講師は、古山浩一さん



▽期日:8月4日(日)、9月15日(日)
▽時間:午後1時30分~
▽会場:図書館2階会議室

▽対象:小学生以上(小学生は保護者同伴)
▽定員:15名程度
▽教材費:万年筆代(1,000円程度)と紙代(100円程度)。
▽申込方法:電話または来館にて申し込み



■申込・問合せ先
稲敷市立歴史民俗資料館
℡0299-79-3211


是非、奮ってご参加ください!

夏季企画展の予告です!

2013年06月27日 | 日記
平成25年度夏季企画展のお知らせです!

「古山浩一 万年筆画の世界 ~稲敷市を描く~」

を平成25年7月26日(金)~9月15日(日)まで
稲敷市立歴史民俗資料館の企画展示室にて開催いたします。


古山浩一さんは、1955年10月1日東京生まれ。
現在、稲敷市月出里にお住まいの画家、絵本作家、
エッセイストです。

古山さんは、多彩な趣味をお持ちですが、
特に「万年筆」につきましては、一家言をお持ちの方です。

万年筆と言いますと、一定以上の年齢の方は、進学や就職の
お祝いにプレゼントされた記憶と、胸のポケットからのぞいた
黒いキャップと金色に光るクリップが、大人へと近付いたこと
を実感させてくれる小道具だったなど、様々な想い出があるの
ではないでしょうか?

近年では、往年に比べ万年筆を使う方も減って来ているようで
すが、古山さんは、古くから日本人が紙と墨が触れ合うことを
楽しんできた軟筆文化の長い伝統の延長線上、これを正統に
継承する現代の筆記具として万年筆を考えています。

万年筆メーカーが、耐水・耐光性のあるカーボンインクを開発し、
万年筆が絵画作品作りの道具として使えるようになると、古山さん
は絵を描くための特殊な万年筆を作ってくれる職人さん達を訪ね
歩いて、自分だけのオリジナル万年筆を制作してもらいます。

すると、あまりの描き易さと万年筆の豊かな表現力に驚き、
「万年筆は決して過去のものでなく、まだまだ可能性のある筆記
具であると確信した」といいます。

以来、古山さんは、万年筆に携わる人達の元へ取材に歩き、
日本の万年筆文化を記録し続けて10年余り、それまでの集大成を
2006年3月に『万年筆の達人』という360ページを超える一冊の本
にまとめられました。



その後、それらの事績が評価されて、2009年12月5日、
国立歴史民俗博物館(佐倉市)における
[歴博映像フォーラム4 「筆記の近代誌-万年筆をめぐる人びと-」]
において基調講演を依頼されています。

本職の絵画の方でも、毛筆のように線の幅、強弱を自在に表現
できる万年筆による作画を手掛け、万年筆とアクリル絵の具など
の混合技法も試みて制作をおこなっています。

今回の展示では、万年筆で描いた稲敷市内の風景画20点のほか、
日本国内・ヨーロッパのスケッチ20点、万年筆とアクリル絵の具
などの混合技法作品5点とアクリル画3点などの絵画作品や、
古山さんが挿絵を担当された絵本やその原画2点、カバン・
万年筆・カリカチュア10点、愛用の万年筆なども展示いたします。
是非、ご覧ください。
 


江戸崎 五百羅漢



富士山と三保松原と松本楓湖

2013年06月23日 | 日記
6月22日(土)。

この日、カンボジアの首都・プノンペンで開かれた世界遺産委員会は、
日本人にとっては忘れられないものとなるかもしれません。

当初、ユネスコの諮問機関は、
「富士山は登録することがふさわしい。ただし三保松原を除外すべきだ」
という勧告をおこなっていたそうです。

富士山と三保松原。

この両者は、日本画やその他、日本の工芸品などでよく使われる
題材です。

両者の一括登録は厳しいものと思われていたのですが、この状況を
逆転させたのが、審議における19人の各国代表の発言だったそうです。

最初に意見を述べたのは、ドイツの代表の方だそうで、
「富士山の登録を支持したい。三保松原を題材にした美術品も多く、
登録から除外すべきでない」と述べ、日本の風情として、
富士山と三保松原は分けることの出来ないものだ、ということに
理解を示し、一括登録を支持したそうです。

マレーシアの代表も、
「富士山以外の構成資産の知名度は高くないが、文化や歴史的な
背景から見て三保松原も不可分な要素だ」と発言されたそうです。


そして、フランス、インドなど多くの国の代表が支持を表明し、
当初は10分程度と予定されていた審議時間も50分に達する
異例の展開となったそうです。

そして、議長のハンマーが鳴り、諮問機関の勧告を覆し、
富士山と三保松原の登録が決定されると拍手と歓声が沸き上がり
喜びにつつまれた、ということです。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

さて、タイトルにもあります富士山と三保松原と松本楓湖ですが、
松本楓湖は、稲敷市寺内出身の日本画家で幕末から明治・大正に
かけて活躍した人物です。

歴史画を得意とし、戦前の日本史の教科書などに挿絵を描いていた
ことで有名な画家ですが、主宰した安雅堂画塾では沢山のお弟子を
育てたことでも知られ、今村紫紅・速水御舟など日本美術院の
綺羅星とも言える画家たちを輩出しています。

稲敷市内で松本楓湖の作品といいますと、逢善寺本堂の天井に
若かりし日の楓湖が描いた「飛天」の図があります。
この作品を描いた時の楓湖はまだ16才で、最初の師・沖一峨が
亡くなり、里帰りした時に描いています。

松本楓湖の母親は、逢善寺の裏手、小野川沿いの姫宮集落の生れです。
姫宮というのは、平安時代、この地で亡くなったと伝えられる
淳和天皇の第三皇女を祀った姫宮神社にちなんだ地名ですが、
幼い楓湖も母に連れられその姫宮の地で遊んだことでしょう。

その「姫宮」というところにある松本楓湖の母の実家に、
楓湖が描いた扁額が一点ありました。その辺額は、結婚式や
出産祝いなど、当家の「ハレの日」に飾られたものでした。

下の「富士三保松原図」(当館蔵)がそれです。




この扁額は傷みが激しいのですが、三保松原の松を前景に
遥かな富士の雄姿を描いています。

母の生家のために楓湖が描いたのは、日本第一の吉祥図案
とも言える富士山と三保松原の松だったのですが、もう一つ
うがった見方をすると興味深いお話があります。

三保松原に天女の羽衣伝説があることをご存じの方は多い
かと思いますが、楓湖が描いた扁額の松は、実は逢善寺本堂の
飛天(天女)が降りて来ることを願って描いたのではないか、
という説があります。

それは母の生家の繁栄を願った楓湖の寓意であり、彼一流の
「粋」だったのではないでしょうか。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 

今回の富士山と三保松原の世界遺産への一括登録のニュースに接し、
郷土の画家が描いた古い一枚の扁額と、そこに籠められた画家の想い
に心を巡らせました。

富士山・三保松原・羽衣伝説といった日本人に古くから愛された
ものを、世界の人々が価値を共有することになった記念すべき
日に、そんな郷土の画家のエピソードを一つ、知っていただけ
たならば幸いです。