視察研修の午後の部は、宮光園近くのレストランでみんな揃って昼食をとり、
その後、国指定史跡勝沼氏館跡まで戻って整備された館跡をぐるりと見学しました。
勝沼氏館跡は、武田信虎の弟、信友の館として知られていますが、関東から甲府盆地への
入口に当たる交通の要衝でもありますので、おそらくそれ以前から何らかの施設があった
可能性も想定されます。
館は、日川が形成した約20mの高さの河岸段丘上に築かれていまして、大きく内郭・外郭で形成されています。
内郭は、堀や土塁がしっかりと復元整備されていまして、戦国時代の館の姿がよくわかります。
特徴として、領主の館でありながら、内郭の中に金属加工の職人工房を抱えていたことで、
金属の熔融に使用した出土かわらけには、金が付着したものが多数発見されています。
(数点をお借りして、信玄ミュージアムでも展示中)
参加されたボランティアガイドの皆さまも、館跡から見える盆地の景色や、現地で平面表示されている
実際の工房跡などを見学して理解を深めました。
次いで、すぐ近くにあります古刹大善寺へ。
寺伝では養老2年(718)、あるいは天平4年(732)と言われていまして、古代の在庁官人
三枝氏との関わりが知られる寺院でもあります。
古代の有力氏族の三枝氏は、戦国時代には三枝虎吉が活躍していまして、山県昌景の与力でした。
そして、武田氏滅亡直前には勝頼一行も立ち寄り、理慶尼がもてなした記録も『理慶尼記』として伝わっています。
歴史ある大善寺を自由見学で散策しましたが、紅葉が見頃で山門から薬師堂につながる
石段両脇のモミジがキレイでした。
本堂の薬師堂は国宝で、鎌倉時代の建築です。
中には、平安時代前期と伝わる国重要文化財の薬師三尊像が厨子の中に安置されています。
そのほか、かつては丈六(約4.8m)薬師三尊があったようで、現在はその脇侍と考えられます
日光・月光菩薩立像や、十二神将像(いずれも国重要文化財)があります。
ちなみに、県指定文化財の山門は、江戸時代の建築ではありますが、旧武田家臣の
土浦藩土屋家の援助で再建されたとされます。
土屋家といえば、片手千人切りの土屋昌恒の子孫ですので、昌恒が奮戦して亡くなった
田野に近い大善寺に縁を感じ、援助したのかもしれません。
夕方近くなり、空も徐々に夕暮れに向かう中、大善寺からもうひと歩きして柏尾の古戦場へ。
幕末の慶応3年(1867)に幕府より甲州鎮撫を命ぜられた新選組の近藤勇らが江戸から
甲府城に向かったところ、板垣退助率いる官軍に一足先に入城され、柏尾で迎撃戦を展開しました。
その地に立つ、近藤勇像です。
山梨県内では戊辰戦争唯一の戦場ですが、実際には官軍の圧勝で、数時間で勝敗が決まったとされます。
そのまま、日川まで下って行くと、勝沼堰堤があります。
山梨県内には日本で最初にコンクリート製砂防を築いた芦安堰堤に先駆けて、部分的に
コンクリートを使用して構築したのが勝沼堰堤です。
現在、登録有形文化財となっていまして、堰堤脇は公園化されていますので、気軽に見学可能です。
夏場でしたら、水しぶきがあって涼しげですが、この日はもう日暮れ時で寒さが優先しました。
朝から夕方4時過ぎまでかかってしまい、予定を大幅に超過してしまいましたが、
ガイドの皆さまに怪我もなく、無事に初の試みとなりました視察研修を終了しました。
こうした研修もしながらより良いガイドを目指してまいりますので、信玄ミュージアムに来館予定の際は、
ぜひお声がけいただいてご利用ください。
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