「川中島の戦い」は、北信濃にクローズアップすれば、2国間の信越国境問題。
でも、それだけのために、戦国を代表する大名お二人が、12年間も費やすでしょうか。
メリットは何だったのかを考えると・・・
川中島という土地は、信玄公にとっては、日本海に、
謙信公にとっては、お膝元を守る最後の「関門」であり、
その先にある関東への「扉」だったかも!?
ドラえもんの「どこでもドア」ではないですが、
信玄公が信濃を北上すれば、越後。眼前は日本海。
海は塩が取れるだけではありません。
港を持つことは、海上交易がもたらす富を得ることであり、
地域の物流も融通しやすく、戦支度もしやすくなります。
港を制することの重要性は、織田信長の財力をみれば明らか。
実際、厳しい結果となった第4次川中島の戦いの後、
信玄公は飛騨を侵攻し、越中国(現在の富山県)を目指しています。
その先にあるのは、やはり海。
謙信公にとってはどうだったのでしょうか。
信越国境を守ることは、越後を守ることだけでなく、
北信濃が味方勢力で安定すれば、関東支配が見えてきます。
逆に言えば、武田軍が北信濃をちょろちょろしていては、安心して関東に向かえない。
それは、信玄公にとっても同じこと。
謙信公に北条氏が追いやられ、関東、そして東国を支配されては、
すでに駿河に目を向けている信玄公としてはとっても困る。
だからこそ、「川中島」をやめることができなかった・・・?
そして、12年もの間、時代の両雄が
川中島=関東支配をめぐって睨み合っている間に、
北条氏によって、関東は統一され、さらに、織田信長と徳川家康が台頭し・・・。
もし、川中島の戦いが1回で決着がついていたら?
もし、もっと早く、二人の武将が停戦していたら?
甲信越の勢力図は変わってたかもしれないし、
信玄公の西上作戦も早まったかもしれません。
もし、もっと早く、二人の武将が停戦していたら?
甲信越の勢力図は変わってたかもしれないし、
信玄公の西上作戦も早まったかもしれません。
「たら・れば」はさておき、
当館常設展示室(無料)で開催中の夏の投票企画!
「決戦! 川中島」にも、奮ってご参加ください。
ちょこっとお知らせしてしまうと、
8月24日現在、両者の得票率は、武田勢57.4%、上杉勢42.6%!
武田ファンの皆さま、辛勝でよいのですか?
上杉ファンの皆さまは、これでよいのでしょうか?
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