本日は大雪、そして信玄公の雪中戦☃

2023-02-10 19:52:41 | 紹介
東日本各地で雪が降っています。
みなさまお住まいの地域のお天気はいかがでしょうか。
甲府では、朝から雪☃が降り始め、なかなか降り止む気配がありません。

雪が降る景色は美しく、見ているだけで嬉しくなりますが、
一方で、その中を歩いたり、エンドレスな雪かき、
乱れる交通機関のことを考えると・・・
雪は本当にやっかいです(;´∀`)
2月10日朝の旧堀田古城園の庭 Before and ・・・

After!!! 2時間後、午後11時30分頃の庭 
信玄公が祀られている武田神社も雪景色で参拝者もまばら。
そして、来館者の少ない信玄ミュージアムでは、一日中雪かきに追われました。

実は、信玄公の初陣は、そんなやっかいな雪の中だったと言われています。
『甲陽軍鑑』によれば、それは天文5年(1536)、
父・信虎公が平賀源心(不詳-1537)の海ノ口城(現在の長野県の佐久郡)攻め。
信虎公、8000の兵を率いて、2000の兵で立てこもる海ノ口城を、
36日間包囲するも陥落せず。
いよいよ雪☃が降り始め、そろそろ年越し🎍
家臣の進言もあり、信虎公も悔しさで歯ぎしりしながら(たぶん)兵を引きます。

その時、初陣ながらも、殿(しんがり)を申し出たのが御年15才の信玄公。
兵300を率い、甲斐に戻ったと見せかけて、手薄となった海ノ口城を奇襲。
完全に油断していた平賀源心を滅ぼしてしまいます。
ただ、いかんせん、300の手勢ゆえに、海ノ口城はそのまま、
敵将の首級を持ち帰りますが・・・

『甲陽軍鑑』によれば、信虎公は、嫡男の素晴らしい働きを
褒めるどころか、城をおさえなかったことをなじったとか。

輝かしい成功譚+信虎公”あるある”で、実際には疑問視されている伝承ですが、
信玄公と海ノ口城とのその後の縁も浅くなく、
例えば天文17年(1548)の上田原の戦い後の佐久衆叛乱の鎮圧、
天文19年(1550)の砥石崩れ後の佐久再侵攻などで、
信玄公の陣営として使用されたと記録されています。

縁のある場所って、誰にでもあると思いますが、
信玄公の場合は、北信濃だったのかもしれません。

ひし形の茶室も、すっかり雪にうもれてしまいました☃

ミニかまくらが作れるほど雪が降りまして、久々の積雪20cmでした。
大雪と言っても20cmですので、北日本や北陸の方には笑われるかもしれません。
夜には雨に変わったので、かまくらは朝にはダメかな?
お出かけの皆さま、お足元など、くれぐれも気をつけてお帰りください!

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