相変わらず毎日暑さが続いています。
建物のスロープ下では、母ニャンと子猫がグッタリしながら暑さをしのいでおりました。
かなり接近しても動く気0
警戒しながらも暑さには勝てないらしいです。
熱中症には気をつけてね。
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さて、信玄公没後450年企画展「戦国大名武田信玄の遺産−竜虎相搏つ 武田信玄と上杉謙信」
スタートしています。
今回は、昨年実施しました参加型企画を受けて、川中島の戦いをテーマにした展示です。
信玄公にとって生涯最大のライバルであり、信玄公の戦略に常に影響を与え続けた
上杉謙信をピックアップした展示となっています。
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川中島の戦いは、実に5回の対戦がありましたが、謙信が進軍すれば信玄公は引き、
謙信が引いた後を武田が押し戻すという形を繰り返し、常に正面決戦を避けつつ徐々に
川中島一帯の支配権を獲得する賢い戦略を取ってきました。
しかし、第4次川中島の戦いでは、初の両軍主力同士の決戦となり、武田方は、
武田信繁ら重臣を数多く失うなどの大打撃を蒙りました。
この決戦は後世まで語り継がれ、信玄公を語る上で欠くことができない一戦となっています。
その川中島の戦いにも参加した両雄指揮下の武将らを描いた「武田二十四将図」・
「上杉十八将図」を見比べて、ぜひお目当ての武将を探してみてください。
また、信玄公直筆の書状も展示中です。
第3次川中島の戦いに関連して、上杉軍の動向を探り、地図に書いて報告するよう
家臣に依頼したもので、信玄公の戦略の組み立てがわかる貴重な史料です。
直筆の書状は遺っている数も少なく、それだけでも貴重品です。
ただ、達筆ですが、書き方のクセが凄い!
硯で墨を付けて、かすれるまで文字を書いては墨継ぎをする独特の書き方で、
信玄公の性格がわかるかもしれません。
そして、今回山梨では初公開になるかもしれない、上杉謙信所用の軍配団扇。
軍配といえば信玄公が一騎打ちの際に太刀を軍配で受けた逸話は有名ですが、
今回はその逆で、謙信所用の軍配であります。
軍配は、軍勢を指揮する際に用いたとされ、戦国時代の終わり頃から使用されたようです。
展示品は、黒漆の団扇部分に四天王を始めとする神々の名が朱書きされた、いかにも
神がかった強さを発揮した上杉謙信らしい軍配です。
残念ながら、思いの外小型の軍配で、展示ケース越しでは神々の名前までご覧いただくことが
難しいのですが、解説に拡大写真がありますので、謙信がどんな神様を戦場に伴って
戦いを指揮しようとしたのかをご覧ください。
ちなみに毘沙門天の化身とも言われますが、軍配団扇に毘沙門天の名前はありません。
なぜか。
本当に自分自身がその化身だと思っていたのか、あるいは旗印にあるからなのか、
理由はわかりません。意外と言えば意外な事実が見られる資料です。
敵本拠地に謙信ゆかりの資料が展示されるというのも意外性があると思いますので、
ぜひこの機会にご見学ください。
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