トイレのお楽しみがリニューアル:山梨の歌人、山崎方代✖武田家の女性たち

2021-07-16 11:06:34 | 紹介
当館の女性用トイレのお楽しみコラムが、久しぶりにリニューアルされました🎉

本当は、性別問わず、皆さまにお楽しみいただきたいのですが、
なにぶん、これらのシリーズは「トイレのお楽しみ」であるため、
男性トイレを使用する方は男性トイレのコラムを、
女性トイレを使用する方は女性トイレのコラムをお読みいただいております。

ですが、今回は、ちょっと特別に、ブログでも公開してしまおうかと思います!

テーマは山梨県出身の歌人「方代(ほうだい)×武田の女性たち」
大井夫人、三条夫人、諏訪御寮人、松姫、北条夫人の5名の方々。

そのどなたもが、戦に翻弄されて、今では考えられないような波乱の生涯。
波乱もいろいろ。人質のごとくに、父親を負かした敵のもとにいらっしゃった方、
都からはるばる東国にお嫁入りされた方、
婚約者の家が実父と敵対関係になって破談、そしてその後も時代に翻弄された方。

波乱=不幸では決してなく、幸せな最期を迎えた方もいらっしゃったはず。
でも、甲相同盟のためにひと回り以上年上の勝頼公に嫁いだ北条夫人が、
織田・徳川に追い詰められた夫、義理の息子・信勝と共に、19の若さで自刃するとは・・・。
相模の国から輿入れされた時、だれもそんなことは想像しなかったのではないでしょうか。


北条夫人は、どんな女性だったのでしょう。
戦国の世の19歳と、今の19歳とでは、あらゆる尺度に差があって、
現代の感覚で想像するのは、無理がありそう。

遺されたものと言えば・・・

北条夫人が武田八幡宮(韮崎市)に奉納した伝わる「願文」
↑ワープロされた願文、読めます。

高野山引導院(現持明院)に奉納された
「武田勝頼・夫人・信勝画像」(一部)
当館常設展示室パネルより

家族3人が一緒に描かれた画像。当時の日本では珍しいそうです。
でも、ちょっと不思議な感じもあります。
というのも、この家族像、
自分に何かあったときに・・と、勝頼公が真言宗の慈眼寺(じげんじ)(笛吹市)の住職に託した、
葬儀の回向料と一緒に、高野山引導院(現持明院)に納められた肖像画・・と言われているからです。

ちなみに、高野山奥ノ院には名だたる武将たちの墓石があります。
信玄公のみならず、織田信長に明智光秀、石田三成など。上杉謙信にいたっては、信玄公の墓石に遠からず。
もちろん、信玄公と並んで勝頼公の墓石もあります。
高野山そのものを浄土と見て、身分問わず納骨する習慣は古くからあったようですが、
戦国時代、不安定な世の中で横行した荘園の押領を防ぐため、
当時の師僧は力ある武士と、師檀関係を結んだそうです。
高野山の成慶院に、信玄公の位牌があったり、持明院に信玄公や勝頼公の寿像があるのも、師檀関係ゆえ。

・・・
戦国の世の平均寿命はわからないけれど、
北条夫人の願文にしても、画像にしても、人生の折り返し地点までは到達していない・・
全ての決断は若さゆえ・・、そんな印象を受けなくもない・・・。
皆さまは、どんなふうに感じますか。

・・・
歴史に触れて、日常生活の中でなど、何か感じたら一首!
そして、「第20回 方代の里なかみち短歌大会」にご応募してみませんか。

例えば、方代はこんな風に詠んでいます。

信玄ミュージアムのお楽しみコラム
こちらは女性用トイレでお読みいただけます♬

皆さまの作品をお待ちしております🙇

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