6月某日、信玄公没後450年企画展「戦国大名武田信玄の遺産」
テーマ1「ゆかりの品々から語る武田信玄」後期展のために高野山へと向かいました。
6月最初の週末に日本列島を襲った台風2号派生の線状降水帯による被害で
和歌山への交通網も各所で寸断や規制がありつつ、何とか目的地の高野山へ
たどり着くことができました。
甲府から高野山まで電車移動だけで丸1日かかりました。当時の人々は甲斐国から
どのような想いで詣でたのでしょうか。
信玄公の位牌を携えた山県昌景は、何日がかりで、どうやって高野山までたどり着いたのでしょうか。
高野山は、真言宗の総本山。弘法大師空海が開いた霊場であります。
こちらは信玄公没後450年ですが、
令和5年6月15日は、弘法大師様ご生誕1250年で明日はその当日です。
今回の企画展のゆかりの品々の中でも目玉となります資料2点。
高野山成慶院様に勝頼公が奉納した信玄公遺品の一部で、高野山霊宝館様から
借用させていただきました。
遺品の書き上げでは、小松虫と注記される「五鈷鈴」と、持仏とされ、弁財天と記される
弁財天大黒天毘沙門天十五童子像です。
いずれも小さな品で、信玄公が生前身近に置いて音色を聞き、崇拝した仏様になります。
約450年ぶりに躑躅が崎に戻り、本日14日から7月31日(月)までの公開となります。
記念行事などがある中、借用にご同意いただいたお寺様と、ご尽力いただいた
高野山霊宝館ご担当の方にはこの場を借りて感謝を申し上げます。
成慶院は、現在お隣の櫻池院様が管理されています。
高野山霊宝館では、宗祖弘法大師御誕生1250年大法会記念展
「お大師さまから・お大師さまへ」開催中
貴重な文化財を多数管理し、展示されていますので、高野山へお出かけの際はぜひ。
借用を前に、奥之院に通じる参道沿いにずらりと並ぶ大名らの供養塔の中にある
信玄公・勝頼公の供養塔を訪ね、今回のご報告をしてきましたが、墓所の管理は
櫻池院様がされています。
向かって左が信玄公、右が勝頼公の五輪塔です。
苔むした地輪部には、亡くなられた年月日と法名が刻まれているのがかすかに見えます。
高野山参詣の折は、ぜひ、奥之院へ通じる参道沿いに展開する大名墓の中から
武田家の供養塔を探してみてください。
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