NO WAKA、NO LIFE!

2021-11-01 20:21:18 | イベント
本日を持ちまして、特別展のテーマのうち、「信玄公の教養」が終了いたしました。
期間中、多くの方々に貴重な和歌史料をご見学いただき、感謝申し上げます。

さて、今年の11月3日で生誕500年となる信玄公。
武田信玄と言えば、戦国最強と畏れられた武将ですが、
その一方で、和歌や漢詩が大好き💛
そのハマりようは、守役が苦言を呈するほどだったとか。

いずれにせよ、歌を詠むことは武士のたしなみの一つ。
そして、信玄公が歌をどのように見ていたのかと言えば・・・

歌をたしなむことは「肝要」で、
へたでもいいから歌を詠み、詩を作ることは、
武道の、そして戦国を生きる者にとって何よりの「きよめ」となる

「きよめ」という言葉、とっても気になりますが・・・。

中世という時代は、和歌を神仏に奉納することで、
願望成就を祈り、神仏に感謝を伝えられる・・そんな考えが広まった時代。

和歌の奉納が願望成就に変換されるという、
私たちにはあまりしっくりこない、、その根底にあるのは、
奉納された和歌を神仏がお悦びになり、気分も上々!
となれば、願いを叶え、お礼と「これからもお世話になります!」という気持ちも受け取ってくださるという考え。
神仏の心を楽しませるもの、誦経や奏楽、そして和歌、連歌、俳句、芸能などが奉納されました。

信玄公もまた、和歌や「三十六歌仙図」(板絵)を、
戦の前や、子孫繁栄などの祈願とともに、神社に奉納しています。
(※1)

和歌は「やまとうた」とも読めますが、基本的には短歌(5・7・5・7・7)で、5句31音で作られます。
この短歌を基とした連歌を詠む集まり、連歌会(れんがえ)も、この頃よく開かれました。
連歌は、5・7・5の発句に、7・7の脇句を交互に、複数の人数で詠み連ねていくもの。
100句連ねて百韻、または五十韻が多かったのは、その1まとまりで完結、功徳が生じると考えられたから。
前の句を受けて詠みつないでいく連歌は、かなりの難関ながらも、
百戦錬磨の詠み手が会した連歌会ならば、知を尽くした先には洗練された連句。
今日にいたるまで、伝説のように語り継がれる連歌会もいくつかあるようです。

連歌の原型は奈良時代に生まれ、南北朝・室町時代に大成、戦国の世と共に衰えますが、
戦の絶えない不安な世の中が、連歌会の生みだすある種の高揚感、一体感をいかに求めたか。
「出陣連歌」は、そんな心情を象徴的に表していたのかもしれません。
必勝への祈りを込めて、出陣前に連歌会を開き、完成した連歌を神社に奉納する。
ちょっとせわしない気もしますが、出陣前に、あえて、主従ともに、最後となるかもしれない歌を詠む。
功徳に加え、皆の間に一体感が生まれ、士気も上がる⤴ことが期待されたに違いありません。

・・・
信玄公のおっしゃる「きよめ」の話に戻ります。

武士、とりわけ戦国の武将が家と国を守るため、宿命的に逃れられなかったのが、殺生。
だからこそ、武士はさまざまな方法で身を清める必要を感じていたはず。
和歌を詠むことで、儀式のごとく、殺生で穢れた心身を「禊ぎ祓う」、これぞ「きよめ」!?

でも、本当に和歌はその一つになり得たのでしょうか。

いえいえ、歌の持つ力は、もしかして、そんな形式的な行為を遥かに凌ぐと感じられていたのかもしれません。
ヒントは、紀貫之による「古今和歌集」の仮名序にありました。

日本の歌は、人の心を種子として生い茂り、さまざまな言の葉となったものである。
この世の中に存在する人間というものは、かかわる事がらが多いものであるから、
誰しも心に思っていることを、見るものや聞くものに託して表現しているのである。
(中略)
実際、力も入れずに天地を動かし、目に見えない霊魂や神枝をしみじみと感じさせ、男女の仲をもやわらげ、
勇猛な武人の心をも和やかにさせるものは、歌なのである。
(「古今和歌集」笠間書院の訳より)

・・・
信玄公53才、終生の念願として、こんなことを語られた・・と伝えられています。

都に上り天下を取ったら、京の公卿と歌の会を催し、
五山の長老たちと漢詩を作りあいたい!

詩歌に遊び、時に自らを光源氏に見立てて文学の世界に浸る・・・
信玄公というお方は、どんなに武将として名をはせても、
いつもどこかで「文学青年」だった・・のかもしれません。

(※1)現存する、信玄公奉納の「三十六歌仙図」(板絵)は・・・

①天文14年(1545)、窪八幡神社(山梨市)に奉納されたもの。
長野県の伊那箕輪城を攻めるにあたって。

②永禄6年(1563)、信玄公と嫡男義信が親子で美和神社(笛吹市)に奉納。
武運長久、子孫繁栄を祈願して。
時期として、激戦と伝えられる第4次川中島合戦から第5次の間であり、
永禄7年(1564)の義信事件が起きる前。

・・・
いよいよ、信玄公ご生誕500年の記念の日も目前です!
「信玄公の教養」に続く、次なるテーマは「信玄公の信仰」です。
逸品展示コーナーでは、
信玄公の誕生年が記されている貴重な史料、「武田晴信願文」(多賀大社所蔵)当時の文書に記されたものでは唯一かも(!?)
信玄公も毘沙門を信仰していた・・「武田信玄書状」(信貴山朝護孫子寺・霊宝館所蔵)
そして、県内の個人の方からお借りしています「信玄公屋形之図」を展示し、館内に設けられた信仰の場をご紹介。
展示期間は、11月3日(水・祝)から11月29日(月)まで

今年11月3日で、信玄公がお生まれになって500年🎂
記念のこの日、訪れてくださった皆さまに、いろいろとお楽しみをご用意しております。

当日は、戦国パフォーマンス✨でちょっとタイムスリップし、
ミュージアム特別観覧ツアー👟(予約制)では、普段は非公開スポット込みのガイドツアーを楽しみください。
ツアーは、午前の部はそろそろ定員に達します。午後の部は、まだ空きがありますので、
ぜひ電話でお申し込みください。

3日スタートの企画は、特別展のほか、
映画「信虎」ここでしか見れない(!)撮影道具📹を目の当たり、
信玄公の本陣さながら、陣幕と旗に囲まれ、記念撮影📷をどうぞ!
特別展示室ご入室記念の「武田氏館跡」の御城印も「生誕500年記念御城印」(限定2021枚)になります!

多くの皆さまのご来館をお待ちしております🙇




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