当館の特別展示室の逸品✨展示コーナー。
ただいま、信玄公を含む武田氏三代が暮らした躑躅が崎館の2枚の見取り図を展示中。
「信玄公屋形之図」
「信玄公屋形図」
生涯において63回もの合戦を戦い抜いた信玄公にも日常生活があったわけで。
その暮らしぶり、館の絵図が垣間見せてくれそうです。
こちらの館は、政務の場であり、生活の場でもありました。
政務の場は「公」の場であるがゆえに、客人をもてなす場も兼ねていて。
やはり「おもてなし」に庭園は不可欠、ということで、
絵図にも、船も浮かべられた(!?)という「泉水」あり、蹴鞠を楽しむ場「鞠掛」(まりかかり)あり。
そんな庭園から南を臨めば、富士の山が借景として愛でられて・・・
また、本来は鍛錬の場であった、館東側の「的山」には、臨時の能舞台をしつらえる場所も記されています。
信玄の嫡男、義信の暮らした西曲輪から見える富士山🗻
まだまだ発掘調査の続く館跡ですが、
出土品の約9割が素焼きの器「かわらけ」。
今でも、気軽な集まりで使い捨ての食器が使われることもありますが、
信玄公が生きた時代でも、
使い捨ての器・かわらけは儀式饗宴用として、大量に消費されました。
当時の人たちが、そこに「ハレ=非日常」の光景を見ていて、
それが現代に通じるか、簡単に判断することはできないけれど、
いずれにせよ、誰も使っていない、一度しか使わない、
たくさんの「清き」かわらけが教えてくれるのは、
館において、いかに多くの儀式饗宴が催されたかということ。
例えば、今でいう三々九度にあたる式三献(しきさんこん)などの儀礼は、
かわらけを盃に酒を酌み交わすことで、主従の関係を確認する場であったようです。
そして、儀式に次いで行われたのが、
確認したばかりの主従関係をひっくり返す(!?)、言わば無礼講の饗宴。
儀式は、絵図における「主殿」(公式の対面所)で、
饗宴は、会所とも呼ばれた「本主殿」で開かれました。
ちなみに、信玄公も夢中になった和歌など、インドアな「遊び」だけでなく、
小領主や庶民も関わるような裁判など、
身分の上下なく集う時もこの「本主殿」が使われたようです。
儀式の際、作法にのっとり部屋を飾った中国からの輸入陶磁器、または鎌倉時代の陶磁器
火災時に破損したため廃棄されたのか(?)
館の主郭と西曲輪をつなぐ通路跡から出土し、現在は特別展示室にて展示中
主と従の関係を明確にする場と貴賤同座の場。
まさに、ハレ=非日常空間の表と裏。
近世以降は消えていく、
中世ならではの二つの相反する場の共存を、
館の絵図からも推測することができるのです・・・。
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