当館の特別展示室にて、ただいま展示中の信玄公の館の図(個人蔵)
絵図2枚とも、なかなか具体的。
お部屋によっては、家臣や役職ごとに控える間が記されていたり、
廊下の幅も場所によりけりで、ちゃんと描き分けられていたり、
「二階廊下」「二階矢倉」と親切にも記されていたり。
・・・そして、めずらしい。
だって、こちらの絵図、
戦国大名のプライベート空間まで描いちゃった、
時代が時代ならトップシークレット、機密資料じゃないですか!?
それじゃ、どうしてそんな絵図が!?
江戸時代に広く読まれた、甲州流軍学の書「甲陽軍鑑」📖
この書をまとめた小幡景憲(1572-1663)の談話集「翁物語後集」によると、
弟子が信玄公の館の作りをたずねたところ、景憲はある「屋形図」を描いたとか。
展示中の絵図が、景憲のものに関係するのか、確かなことはわかりませんが、
絵図を所有していた軍学者山崎家が仕えた仙台藩には、
小幡景憲の門人も仕えていたことから、何らかの関わりはありそうです。
また、展示中の絵図に記された「直興自筆」というサインの主は、
江戸時代中期、仙台藩に仕えた本郷直興ではないかと言われています。
展示中の絵図は、その流れをくんだ絵図の写しである可能性が高いかと・・・。
徳川幕府が甲州流軍学を認めなければ、恐らく存在しえなかった館の絵図。
「信玄公、勝頼公が亡くなった後に描かれた絵図の信ぴょう性は?」
という声も聞こえてきそうですが・・・
絵図には、中世から近世へ、過渡期にある城郭の特徴が示され、
さらに、絵図と発掘調査の結果が合致する部分もあることから、
史料としての価値も認められているようです。
武田神社の鳥居奥が、館の中心であった主郭
信玄公の長男、義信の住んだ、3段構造の西曲輪
主郭も3段構造だったことが発掘調査で判明しています。
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