2008年、山梨県立博物館の企画展『甲州食べもの紀行』で復元された、
武田氏のハレの日の食事(本膳料理)
武田氏のハレの日の食事(本膳料理)
意外にも!動物性たんぱく質は、鳥と魚だけ!
(タイトルにちょっと偽りありで、ごめんなさい。鳥のお肉はありました。)
武士だから、獣系も・・・日常では食べていたようですが、
特別な日のお料理は、あくまでも、長い年月培われた朝廷や公家、武家の決め事、
有職故実が尊重されたようです。
饗宴で出された鳥と魚。
魚は、ほぼほぼ海や川で獲れたものだと思いますが、
鳥類は、予想に反して家禽はゼロ。全て狩猟で得られたものと考えられます。
その中でも鷹狩によるものは、例えば「鷹の鶉」(うずら)などと敢えて記され、
どうやら特別視されていたようです。
ちなみに、鷹と饗膳との関わりは古く、平安貴族の公の饗宴などでは、
鷹狩した獲物の献上は儀式化され、ちょっとしたエンターテインメントだったとか。
でも、鷹だけじゃありません。
大地の象徴と考えられたシカやイノシシなどの4つ足の獣もまた、かつては特別なものでした。
それらを食する行為には意味が認められ、儀式化され・・・
にも関わらず、仏教や社会変化の影響を受け、次第に禁忌すべきものへ転換されていきます。
何があったのでしょうか。
おそらく、天変地異といった災いを避けるため、一時的に殺生を慎んだのが最初。
それが、日常的なタブーに移行した背景には、
人口過多や度重なる疫病などの都市問題に加え、
あらゆるお手本だった唐が滅亡するなど、10世紀前後のアジアの動揺を目の当たりにし、
日本独自の方向性を探らざるを得なくなったなどなど、
天に助けを求めるしかない(!?)事態の多発が考えられます。
そのころ支持された浄土教の影響も甚大で、
末法の世の到来を前に、極楽浄土に往生したい(!)という思いが高まり、
地獄極楽のイメージもリアルに共有され、
身分問わず皆が皆、地獄に堕ちることを恐れるように(なっちゃいますよね😨)。
地獄は8つあり、すべての地獄行に共通するのが「殺生」とされました。
本来は「人を殺すこと」を意味していた「殺生」が拡大解釈され、
いつしか「生類の命を奪うこと」となります。
矛盾するようですが、獣の肉そのものは「穢れたもの」とみなされるようになり、
肉を食べることは、自らが穢れることと解釈され、
とりわけ清さを求められる天皇の御所を中心に、肉食禁忌が定着していきます。
信玄公のハレの日の料理に、土地に生きる獣の肉がどうしてないの!?
そんな疑問からちょっと遠回り。少々長くなりましたので、今回はこのあたりで失礼いたします🙇
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