前記事に続き、
天童荒太の新刊『青嵐の旅人 上下』(毎日新聞社)がらみの記事だ。
本日は、以前旅した愛媛の記憶を小説の主人公の足跡に
重ねてみたい。
これまで、愛媛県内を何度か旅してきたが、
2018年には、「愛媛・縦断」の旅と称し、
松山から内子までを往復している。
(オーベルジュ内子に泊まりたかった♥)
途中、大洲と宇和島などにも立ち寄った。
本日の画像は、主にそのときのものである。
なお、できるだけ小説のネタバレを避けるつもりだが、
主人公の足跡をたどるとなれば、やむをえず・・・
多少は、お許し願いたい。
舞台は、幕末・文久年間の伊予松山藩に始まる。
遍路宿の養女・ヒスイは、山道で難儀している「お遍路さん」を
助けて、道案内もしている。
その日、彼女が助けた侍は、土佐を脱藩してきた坂本龍馬だった。
追っ手を警戒する一行のため、ヒスイは大洲へ抜ける道を提案。
肘川から海へ出る道を案内した。
では、↓ここで大洲城を肘川と共に、どうぞ♪
(大洲は、私世代なら「カンチ(ドラマ版)」の故郷としてもご記憶かw)
当時、大洲城は復元されたばかり。
20年ほど前に訪ねたときと、町の印象はさして変わらず・・・
だが朝ドラ「おはなはん」の舞台だったという界隈で、
泊まった宿は、あとかたもなくなっていた。
なんせ古い話💦
小説では、このとき、龍馬と同行していた叔父・那須俊平が
ヒスイの出自に気づくのだが・・・
本人は全く知らないことなので、口を閉ざした。
実は、ヒスイは、宇和島藩に一時滞在した、幕末動乱を代表する
人物の娘かも知れないと・・・
↓こちらは宇和島城
こじんまりした天守ながら、松山城と同じく、現存12天守のひとつだ。
わたしは、ご天守に至るまでの登城路が好き。
古い石垣の残る石段に、いかにも南国風の植物が生い茂っているのが良い。
話を小説に戻す。
ヒスイが道後の遍路宿「さぎのや」に戻ると、
弟・救吉が心配して待っていた。
救吉は、道後の霊泉の管理者・修験道場明王院の院主に仕え
一方で蘭方医の元で医術を学んでいる。
1つ違いとされている弟だが、実は捨て子で、
ヒスイの一年後に養子となった。
もちろん血のつながりはなく、姉を秘かに想うが、
肝心の姉ヒスイは、全く疎く、通じない。
↓ここで、おなじみの道後温泉・本館を♪
今年リニューアルしたばかりと聞く。
インバウンド客が多いんだろうなぁ~~
↓道後温泉にある湯築城跡♪
夫が「日本100名城スタンプ」を間違って押してきたので、
いずれまた訪ねるはず。楽しみ!
ヒスイ・救吉兄弟と深い関わりをもつ若き侍が辰之進。
これから何かと二人と行動を共にすることになる聡明な若侍だ。
彼とヒスイが道後の田んぼを眺めたのは、どこだっただろう・・・
探してみたけれど、わからなかった。
かわりに道後の宝厳寺を♪
一遍上人の生誕の地とされている。
明治の若者・正岡子規と後の夏目漱石は、
この地を訪ねたという。(正岡子規「散策集」による)
わたしも二人の気分でこの坂の上にたたずんでみたっけ!
なお、小説では、子規の母方の祖父が活躍♪
さて、幕末、長州征伐が取り沙汰されると
藩内は大騒ぎ。
「郷足軽(ゴウアシガル)」が徴用され、農民や町人、
ついには入れ墨者まで、歩兵としての訓練を受けさせられる。
救吉は、その医術の技と将来性を買われ、
医務方として藩に務めることとなる。
戦を嫌い、彼の身を案じたヒスイは、「兄」として男装し
弟を補助する看護人として、共に訓練を受ける。
↑松山城・天守からの眺め♪
「郷足軽」は促成の鉄砲隊、さすがに、この城内ではなく
近隣の山や郊外での訓練が行われる。
第一巻は、ヒスイと救吉が藩命で京都へ旅し、
新撰組と出会うところで終了。
第二巻は・・・長州征伐がメイン。
いよいよ、幕府から長州征伐の命令が下ると
親藩である伊予松山藩は逆らえない。
一行は、瀬戸内の海へとこぎ出していく・・・
このとき、ゆかりの深い今治藩が援軍として加わるはずだったが、現われず。
時勢を見極めようとしたのだ。
幕府を見限り、情勢を見極めようとした藩は、今治に限らない。
伊予松山藩でも、上層部には時勢の流れに気づいたものの
親藩ゆえ、幕府の命に背くことはできなかったわけだ。
今治藩を責められないよね~
だって、戦をすることは領民の命がかかっているのだから。
↓は今治城、これは2017年撮影♪
海城として名高く、お堀には鯛など海の魚が紛れ込むこともあるとか。
左手にある犬走りも印象的だったなぁ~~
このあとの史実をサクッと書いておくと・・・
明治元(1868)年1月、鳥羽伏見の戦いを端緒に戊辰戦争が勃発。
松山藩は、藩主・定昭が、わずか一ヶ月で老中を辞職していたため、
親藩から疎外され、前線には出られず。
それにもかかわらず、松山藩は「朝敵」と見なされ、追討令が出される。
藩内は朝廷への謝罪をすべしという恭順論者と
薩・長軍との徹底抗戦をと叫ぶ主戦論者に二分される。
藩主・松平定昭は、この事態に、菩提寺・常信寺に蟄居、
朝廷へ謝罪、恭順の姿勢を示す。
藩主のいなくなった城下には、土佐藩が入り占領し、
松山城を開城、15万石を朝廷に返した。
土佐藩は、軍律のとれた行動をとったため、
城下での混乱は少なかったという。
結果、松山城下は、戦禍にさらされることなく、
無事に明治維新を迎えられたのである。
小説では、ここにも素晴らしい物語が展開しているので
お楽しみに!
・・・と、ここで本記事は終了💦
何とも中途半端なのだが、お許しあれ。
第二巻は、伊予松山藩が長州征伐に赴いた周防大島が
主な舞台となる。
さすがに、ここは未踏の地なので、やむをえず。
実は、今月は、愛媛の別子銅山を訪ね、
そこから土佐へ抜ける旅を考えていた。
土佐の戦国大名・長宗我部元親(チョウソカベモトチカ)の
城めぐりでもあった。
だが・・・
もろもろで実現せず。
そんなときに出会ったのが、この『青嵐の旅人』だった。
愛媛の伊予松山藩を中心に、今治、宇和島なども登場し、
隣国・土佐の坂本龍馬も大きく関わる、この小説。
なにやら、旅に行けなかった落胆を慰めてくれるかのようで
心躍った。
いつか、別子から土佐への旅がかなう日を信じて待ちたい。
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参考:
◆天童荒太『青嵐の旅人 上下』毎日新聞社
◆土井中照『松山城の秘密 新改訂版
ー城と藩主と城下の基礎知識ー』アトラス出版
おつきあいいただき、どうもありがとうございます。
個人のブログと言うことで、もろもろの不備はお許しを。
ー城と藩主と城下の基礎知識ー』アトラス出版
おつきあいいただき、どうもありがとうございます。
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