母と一緒に、横浜・日本大通りにある横浜ユーラシア文化館で
横浜市・仁川広域市パートナー都市提携15周年記念
「思い出のチマ・チョゴリ展」を観てきた。
「チマ・チョゴリ」とは、コリアン女性の伝統的な衣装で
2000年もの歴史がある、世界でも珍しい民族衣装なのだとか。
コリアン文化には、全く疎いのだが、
ポスターの美しさに惹かれ、
かつての韓ドラファンの母と出かけた次第だ。
重い記憶なだけに、ここに備忘録を記しておく。
横浜駅西口から高台へ歩いて行くと、
神奈川朝鮮中高級学校 がある。
展示によると、
かつて、女生徒はチマ・チョゴリを着て通学していたそうだ。
しかし、1980年代から頻発した嫌がらせ事件や
1990年代のチマ・チョゴリ切り裂き事件などを経て、
通学時はチマ・チョゴリを着なくなったのだそうだ。
現在は、希望者のみが、校内で着用しているという。
わたしが学生の頃は、横浜駅西口を歩けば、
白と黒のチマ・チョゴリ姿の女生徒を、よく見かけたものだ。
そういえば、最近、チョゴリ姿を全く見かけない。
そもそも、そのことにすら気づいていなかった。
嫌がらせや切り裂き事件が頻発したことは覚えているのに・・・
女生徒がチマ・チョゴリを通学時に着なくなったということは、
もとより、自分が、全く無関心でいたことも衝撃だった。
折も折、
安田浩一『地震と虐殺 1923-2024』(中央公論新社)を
図書館から借りた。
正月の能登半島地震は言うまでもなく、
3.11はじめ日本は地震列島で甚大な被害を出してきた。
だが、幸いなことに、わたしの生まれ育った横浜は、
関東大震災以来、大きな被害を出す地震に遭っていない。
それだけに、横浜が壊滅的被害を受けた
1923(大正12)年の「関東大震災」は
子どもの頃から繰り返し聞かされている。
私が小学生だった70年代は、体験者も健在だったのだろう。
同級生が祖父母から聞いたという話を聞かせてくれたものだ。
最近、去年の関東大震災100年を契機にか、
地震の被害ではなく、福田村事件(被害者は日本人だが)など、
朝鮮人虐殺事件について知る機会が増えている。
本書も、タイトル通り、関東大震災をめぐっての虐殺を取材したルポだ。
600頁近い本の第6章が我が横浜だ。
「港町に隠された虐殺の記憶ー神奈川・横浜」と題され
80頁があてられている。
その中で「横浜は、各所が虐殺の血で染まっているのだ。
『みなとヨコハマ』の知られざる断面である」(386頁)
とまで、安田は言い切っている。
ハマッ子としては、故郷をそんな風に言われるのは悔しいのだが、
本書を読むと反論の余地がない。
わたしのよく知っている、あの街角で、この川べりで、
陰惨な事件が、関東大震災直後から続いたのである。
それぞれの事件を、ここで書き出すことは、あまりに辛いので
ご容赦頂き、割愛するが・・・
掲載されていた、当時の小学生の作文は、挙げておきたい。
50年前、「大震災50年」の年、
横浜市内の小学校教員だった・山本すみ子は、
「震災を当時の子ども達がどんな視点で見ていたのか。
何を感じていたのか」小学校教員として知りたかったという。
ーー市内の図書館で震災に関する作文などの所蔵を尋ねると
書庫からかき集め、ワゴンに載った資料が用意される。
その中に二つの小学校の作文集があった。
子ども達の作文に山本は「ショック」を受ける。
あまりに「朝鮮人虐殺」について触れた作文が多かったからだ。
尋常小学校に通う子ども達が、朝鮮人へのリンチ、虐殺を
目の当たりにしたことをテーマに、
なかには自分自身も手を下したと描いているのであるーー
当時は、朝鮮人が井戸に毒をまく、暴動を起こす・・・
などのデマがまかり通っていた。
このデマは自然発生的に生まれたのではなく、
官憲の先導によって拡散されていたことも、
近年、明らかになってきている。
当時は、このデマに大人も子どもも震え上がったわけだ。
それゆえ、大人と一緒になって、手を下した小学生に罪悪感はなく、
当然のことをしたと、淡々と書いている・・・
本書によると、虐殺の実態を神奈川県は後に調査したものの、
公式に発表されることはなく、今に至っているという。
当時の子どもは、わたしの祖父母の世代だろうか。
震災時の事件を顧みることなく、成長し、
その子が、また親になる。
その親から生まれた、私の世代でも、十代の頃は、
同じ年頃である「朝鮮学校の生徒は怖い、何をされるかわらかない」と、
まことしやかに言われていたものだ。
まさに、関東大震災の根拠のないデマと同じだろう。
前出の山本は、
「教育現場から民族差別をなくさなければ、
震災の悲劇は繰り返される」との信念で、
在日コリアンの多い学校勤務を希望し、
たびたび「差別の現場」に遭遇しという。
たとえば、在日コリアンの級友に石をぶつける生徒がいた。
そのことは悪いことだと自覚しているのに、
朝鮮人だから許されると思っていた、のだ。
「朝鮮人だから、中国人だから、殺してもかまわないのだという
震災時の虐殺にも通じる心理を感じた」と、山本はいう。(448頁)
この根は、わたしの世代にも伝わっていた
根拠のない恐怖と同じだろう。
あるいは、神奈川県が調査をしたのになかったことにする無関心。
まさに、かつての私の立場。
かくいう私も、今、声をあげる勇気は無い。
それでも、勝手な言い分だが、歴史を知り、今を常に考え続けることが
大事だと信じたい。
なお、現在84歳を越えた山本は、既に教職を退いた今も、
残された証言を探し求め、活動を加速させているそうだ。
頭が下がる。
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おつきあいいただき、どうもありがとうございます。
個人の備忘録ということで、誤字脱字を含め、
勘違いや間違いなどの不備などはお許し下さい。
参考:安田浩一『地震と虐殺 1923-2024』中央公論新社