歴タビ日記~風に吹かれて~

歴タビ、歴史をめぐる旅。旅先で知った、気になる歴史のエピソードを備忘録も兼ね、まとめています。

端島(軍艦島)へ ~旅の記憶~

2024-11-26 11:31:14 | 長崎県
今クールのドラマで楽しみにしているのが
神木隆之介さん主演「海に眠るダイヤモンド」(TBS)だ。

長崎港から18kmの海上に浮かぶ端島
その1950年代の記憶と、2018年の東京が交錯し・・・
現代と過去の人々の関わりが
次第に明らかになるであろうというドラマ。

おそらく、今後はコロナ禍の時代も経ることになり、
ドラマは大きく動くのだろうなと期待しながら、
毎週、楽しみに観ている。


(ドルフィン桟橋は今も船が接舷する。台風で流され現在は3代目。
右手のビルはベルトコンベアが通る住宅棟31号棟)



舞台となる「端島」は、世界文化遺産
構成要素の一つだ。

端島は岩礁の無人島から、
明治には三菱社により海底炭坑の島へと転身、
おおいに繁栄した。
しかし1974(昭和49)年、時代の流れにより閉山
再び無人島となった。

おそらく、ドラマ以前は「端島」というより
軍艦島」の方が知られていたはずだ。
海に浮かぶ「軍艦」のように見えることが由来だが、
言い得て妙なりといえるだろう。

軍艦島」は「世界遺産」となったこともあり、
長崎港から「軍艦島・上陸ツアー」のクルーズ船も人気、
とりわけ廃墟マニアの垂涎の地とも聞く。



わたしも、一度だけ「軍艦島」こと
端島の上陸クルーズ(↑)に参加した。

当初、旅の予定に「軍艦島」はなく、
長崎市街のホテルで、朝起きたら本降りの雨。

急遽、予定変更。
長崎港(↓)からの「軍艦島」行きを決め、
ツアーのチケットセンターに電話、予約をしている。
まさに偶然の旅


しかも、ラッキーなことに、最後の二席を予約しての
「軍艦島ツアー」の一員であるw



ところが、ラッキーもここまでだったのか・・・
軍艦島へ上陸する頃には、
雨がたたきつけるように降り始めた



それでも、配られたビニール合羽を着込み、
雨音でガイドさんの声も聞きにくい中、必死でメモをとる。

しかし、雨はますます強くなるばかり、
島を見学せず船に戻るツアー客が続出
ガイド氏もあきらめ、三箇所ある見学広場の
最後・第三見学広場は割愛されてしまった。



(第三見学広場から戻る途中。足下に海がぽっかり見える)



だが、朝一番だった、この便のあとは、
雨のため欠航となったというのだから、やはり幸運だったのだろう。
とりあえずは島を眺め、上陸もできたのだから・・・。


わたしは、この時点では、端島の何たるかが、よくわかっていない。
当時は、「イタリア、ボンペイの遺跡」を思い浮かべていた

あちらは火山噴火で埋没した古代遺跡、
こちらは近代遺産の廃墟で、全く時代も形も違うのに・・・
(当時から)数年前に旅したポンペイと重ねていたのだ。

おそらく、どちらも廃墟の跡に野の花が揺れていたことからの
単純な発想。
栄えた土地が廃墟となり、
人気は無くとも野の花が変わらず咲いていたことは
今も忘れられない。


さて、本格的に端島へ興味を持ったのは、
この上陸の後のことだ。

往復の船の中では、ガイド氏による軍艦島(端島)の説明や
ビデオ上映などが行われる。
実際に上陸を経てから、帰りのビデオ上映は面白くて
眠気も吹き飛んだw

端島には、かつて、人口密度世界一と謳われた、
高層ビル群がそびえる海上産業都市があった。
ビデオに映る、いきいきと働き、暮らすたくさんの人々・・・
あんなに狭いところなのに!?



さっそく、帰宅後、あれこれ調べ、
当時綴っていたブログで熱く語ったものだ。
懐かしい。


その頃の私が惹かれたのは、
島の暮らしのエピソード。

たとえば・・・

炭鉱員の収入は高く、全国に先駆けテレビが購入されていた・・・

映画館やビリヤードなど娯楽施設が充実していた・・・

派出所があり留置所も併設していた・・・

小さな島ながら、夏の祭りは島を挙げて楽しむ・・・

わたしが興味を持った、そんなあれこれは、
今、ドラマ「海に眠るダイヤモンド」で
上手に取り入れられている。
おそらく、誰もが興味を抱くポイントなのだろう。

しかも、映像で見せてもらえると、
頭の中で想像するより、ずっとわかりやすく、ありがたい。



今回、ドラマ化にあたり、
久しぶりに旅の画像を眺め、資料を読んでみた。

わたしが上陸したのは、島の南部分だろうか。
主に炭鉱施設があるエリアだ。



(↑)この画像で言うと、右手部分にあたるのだろうか。

ドラマで國村隼人さんや斎藤工さんら、炭鉱労働者が真っ黒になって
三交替8時間労働をしていた場所だ。

「端島」では優れた坑内員に不可欠の要素は、
「1に体力、2に腕力、3に眼力」だったという。22頁

弁当持参で、摂氏36度、湿度およそ90%の中で8時間も
坑内で働くのだ。体力は当然だろう。
石炭を掘るにも炭車を押すには、腕力だって必要だ。

そして眼力
どんなに硬い炭層でも、コールピックを当てると容易に割れる筋がある、
それを見極めるのが眼力の有無にかかっているのだそうだ。

当時の写真を見ると、入坑前の炭坑員の顔は緊張感に満ちている。
命がけの労働であることがうかがえる。

そんなすさまじい労働環境の跡が、いまも、まだ残る・・・

・・・その遺構で、1番の印象が野の花なのだから、
わたしの頭こそが、お花畑だろう💦


(精炭用ベルトコンベアーあたりか?↑↓)




(赤れんがの倉庫跡、この隣りに鉱員専用の共同浴場があった)


(山の上の白い塔は貯水タンク跡)



(ドルフィン桟橋から乗船、帰路に就く↑↓)




前記事で愛媛を何度か旅したことを書いた。
同じように長崎にも何度も旅をした

出島、キリシタン、洋館、原爆・・・
誤解を恐れずに言えば、わたしが知りたいと願う遺構が
長崎にはたくさんのこる。

実は、この軍艦島行きに出かけた旅では、
雨でなかったら、遠藤周作記念館があり、小説「沈黙」の舞台となった
外海(そとめ)へ行くつもりだった。

この日行けなかったことが結果的に功を奏し、
その後、何度かの長崎への旅につながっている。

端島(軍艦島)」も、もう一度きちんと観にいってみたい。

でも、しばらくは、ドラマの影響で大人気かも・・・
落ち着くまで、元気でいなきゃね💪


ドラマの展開も、ますます楽しみだ。

先週は「いずみ」が「端島の朝子」だとわかった。
そして玲央と「いずみ(朝子)」に血縁関係がないとも・・・
では、二人の関係は・・・?

わたしが思うに・・・
ここでは控えておこうw

*****************
おつきあいいただき、どうもありがとうございます。
雨の中で記録をとれず、記憶も薄れてしまったため
今、正直なところ、画像を資料と照らし合わせてもよくわからない。

間違いや記憶違いや、もろもろの不備は、
個人の旅行記と言うことで、お許しを。

参考:
長崎文献社編集 軍艦島研究同好会監修
『軍艦島は生きている!「廃墟』が語る人々の喜怒哀楽』
「長崎游学4」長崎文献社
  ★長崎文献社の「長崎游学」「旅する長崎学」シリーズは
   十年ほど前まで取り寄せており、今でも大事に揃えてあります。
  
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