歴タビ日記~風に吹かれて~

歴タビ、歴史をめぐる旅。旅先で知った、気になる歴史のエピソードを備忘録も兼ね、まとめています。

戦前の「サッカー天皇杯」優勝カップ

2024-08-27 16:47:41 | 東京都
先日、出かけた慶應義塾大学三田キャンパス、慶應義塾史展示館 。
見に出かけたのだが、それだけが目的ではなかった。

実は、「大日本蹴球協会杯」も、絶対に見たかったのだ(冒頭画像)


今年の五月、新聞を読んでいたら・・・、

宮本恒靖会長『驚き圧倒された』(「読売新聞」2024.5.22)
の見出し。
 
「大日本蹴球協会」とは、現在のサッカー・天皇杯全日本選手権のこと。

サッカー天皇杯といえば、100回を超える歴史ある大会、
実は慶應ソッカー部こそが、その最多優勝チームなのだ。
(近年、優勝から遠ざかっているからね・・・💦)

その最多優勝チームの「ソッカー部」部室で
戦前から戦時中に使われていた優勝カップが見つかった。
なんと、84年ぶりだというではないか。

読んでいるだけでも、大興奮・・・

それが三田で展示され、直に見られるというのだから、
そりゃ、行かなくちゃ、ぜひ見たいと、出かけた次第。



見つかった、慶應義塾大学ソッカー部合宿所。
元日本代表で、ブンデスリーガやプレミアムリーグを経験した
あの武藤嘉紀選手(ヴィッセル神戸)も所属していた♥


なお、慶應では「サッカー」ではなく、「ソッカー」と呼ぶ

 「soccer」 はassociation football(アソシエーションフットボール) に
由来する語。

戦前の日本では、この頭文字をとり「ア式蹴球」と呼ばれていた。
現在でも、東京、一橋、早稲田の各大学は
「ア式蹴球部」を名乗っているという。

だが、慶應には、既にラグビー部が「蹴球部」として存在したため、
当時の主将が「ソッカー」を考案、現在に至る。
「サッカー」よりも、「ソッカー」は、
より本場英国式の発音に近いそうだ。



さて、「大日本蹴球協会」杯だ。

JFAによると、「大日本蹴球協会杯」は優勝チームに贈られるが、
毎年返却され、持ち回りで授与されていた。
今回、発見されたのは、2代目のカップで、
1935年の第15回大会から1940年まで使用されたという。 


しかし、1940(昭和15)年の第20回大会で優勝した、
学生と卒業生の混成チームである「慶応BRB」に贈られて以降、
行方不明になってしまう。


以下、「三田評論」掲載の、「慶應BRB」代表・藤岡康氏
記事から、まとめる。


ーー2021年、サッカー天皇杯は第100回大会を迎えた。
それを記念し、JFA(日本サッカー協会)は、
過去の優勝チームにカップレプリカを贈る。

当然、ソッカー部合宿所にもレプリカが届く。

「届いたレプリカは立派の一言。
満杯の合宿所トロフィー棚に押し込むのは憚られた・・・

・・・と、2022年末から年始にかけて、
藤岡氏は学生マネージャーと共に、棚の整理を始める。
棚には、さなざまなカップが76個。

そのとき、学生マネージャーが棚の奧から
大きなカップを引っ張り出した。

古色蒼然、手の込んだ細工・・・
「明らかに他とは一線を画す佇まい」だ。
さらに「全日本蹴球選手権大会」「純銀」ともある。


ふと見上げれば、壁には見慣れた写真パネル・・・



なんと、そこに写るカップと、このカップは瓜二つではないか!

「大日本蹴球協会杯」発見の瞬間だったーー


今年、5月22日、JFAへ「大日本蹴球協会杯」の返還式が行われ、
84年ぶりにカップが公の場に姿を現したわけだ。


正直、目の前にあたカップは、古色蒼然。
というより真っ黒💦
銀製品は手入れをしないと、黒ずんでしまうのだ。
そこが84年目の発見らしいといえば、その通りだが。


さて、藤岡氏もご指摘だが、謎は残る。

戦時下、金属製品は献納が当然とされるが
このカップは、それをどう免れたのか・・・

なんらかの意思ゆえに、あえて隠したたのか

それなら、よく隠せしおおせものだ。
スポーツ界からは、14点の賜杯と天皇杯・初代優勝杯など13点が
献納されているというのに!


戦後の混乱期、協会自体も一時期消滅しており、
返す機会を失っただけなのか?

なにやら青春ミステリー小説が書けそうだ。



最後に忘れてはならないことを・・・

ソッカー部では、戦前の天皇杯制覇メンバー28名のうち、
5名が戦死されたという。

サッカーに心置きなく打ち込める、今の平和に感謝・・・
折しも、今週からはパリ五輪に続き、
パラリンピックが始まる。

*************
おつきあいいただき、どうもありがとうございます。

以下の資料を基にまとめましたが、
間違いや勘違いもあるかもしれません。
素人のことと、お許しくださいませ。

参考:
〇藤岡康「大日本蹴球協会杯がソッカー部合宿所からJFAに帰るまで」
「三田評論」2024年8・9月号
宮本恒靖会長『驚き圧倒された』(「読売新聞」2024.5.22)
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