佐賀への「レキ旅(歴史をテーマにした旅)」、復活!
(厳密に言えば、長崎県の松浦へ足を延ばしたことしか
記事にしていないので復活ではないけれど)
いや~、旅から、そろそろ一ヶ月。
日常に追われているうちに、どんどん忘れてしまう・・・
ここは少しピッチをあげないと・・・!
・・・ということで、歴史の流れの中に、どっぷりはまった数々を
まとめていこうと決意!!
どうぞ、おつきあいくださいませ。
佐賀で楽しみにしていた史跡が、肥前名護屋城。
太閤・豊臣秀吉が晩年に抱いた「唐入」の野望は
朝鮮出兵という形で、具現化する。
それが文禄の役(1592/天正20)、慶長の役(1597/慶長2)、
名護屋城は、そのための軍事拠点だった。
名護屋城に関しては、テレビの城番組で、
さんざん予習をしていったけれど・・・
想像以上!
なんといったって、岬(波戸岬)を丸々、さらに周辺地域も
巻き込んで、城(軍事拠点)としてしまったのだから、すごい。
何が凄いって、ここは、宣教師ルイス・フロイスいわく
「僻地」「人が住むのには適しておらず」「荒れ地」だったのに、
わずか数ヶ月の短期間で「全く新しい一都市が出現した」のだ。
実際、秀吉の命により、城の普請が始まったのは、
1591(天正19年)9月。
秀吉が、名護屋に海路、到着したのは、翌年4月・・・
ということは、わずか7ヶ月で、太閤様が住まうにふさわしい
構えはできていたことになる。
名護屋城は、軍事拠点であるから、
唐入を命じられている大名と、その軍団が、全国から集まり、
課せられた分に応じ、陣を築く。
そのため職人が呼び集められる。商人だって必要だ。
遊興だってほしい、芸人、遊び女も流れてくる・・・
こうなれば、城下には街もできる。
こうして、新しい都市・名護屋ができ
仕事を求める人びとが集まり膨張を続けていく。
当時、名護屋の人口は20万人だったという。
Wikipediaの「推定都市人口」によれば、
1600年の人口ベスト3は、
1位北京(70万6千人)2位イスタンブール(70万人)
3位アーグラ(50万人)。
これに4位大阪(36万)京都(30万)と続き、
名護屋が20万人なら、なんと9位のカイロと並ぶ!
(カイロだよ~、ピラミッド以来の大都市だよ~)
・・・とはいえ、令和の現代では、
さしもの名護屋城も、石垣が残るのみ。
かつて威容を誇った城の用材は、
1602(慶長7)年頃の唐津城普請が始まると、移築されたとのこと。
今風にいえば、SDGs でございますな。
また、秀吉亡き後、徳川の時代になると
「一国一城令」(1615)も出ていたし、
1637(寛永14)年には、島原の乱が起こり、
この時期に大きく破却したという話もある。
つまりは、完全な山の城跡、「兵が夢の跡」なのだ。
同じ唐津市内にある、江戸時代の唐津城↑は人気も高い。
それに比べ、名護屋城へと足を延ばす人は圧倒的に少ないそうだ。
唐津城は「模擬天守」の城。
つまり「天守があったかどうかわからないけれど、
町のシンボルとして作っちゃいましょ」と、
昭和、それも戦後になって造られたものなのだ。
そのため、歴史的な価値という点では・・・
そこへいくと、名護屋城は別格中の別格。
ここから朝鮮出兵が始まったのだからね。
歴史好きにはたまらない城!
でもね~、
一般的には「唐津城に軍配が上がるでしょ」というのもわかる。
歴史好きの私ですら、あのかわいらしい唐津城には惹かれたからね~。
かつての大都市・名護屋は、アクセスも心許ない。
唐津市内からですら、なんだか山越えの感あり。
車で30分ちょっとかかったかなぁ~
とはいえ、名護屋城博物館の駐車場(↑)に着いてみれば
「わ」ナンバーがズラリ。
やっぱり、城好き、歴史好きにはたまらないのだ。
遠くからだって馳せ参じちゃう。
この崩れた石垣を前に、皆さん、それぞれに想いを馳せるのだろう・・・
とはいえ、石垣の跡を、素人の私達が歩いても、
城としての理解は今ひとつ。
実は、名護屋城には、強力な助っ人が存在するのだ。
ひとつが「名護屋城跡案内アプリ」。
専用タブレットで、かつての名護屋城を体験しようというもの。
千田嘉博・奈良大学教授が、以前、ご紹介だったので
ずっと気になってはいたけれど・・・
やっぱり、わたしは人間様がいい!
案内所にお願いすれば、40分から1時間ほどガイドさんがついて
案内してくださるそうで・・・
たしか、登城の志しカンパに、上乗せしたガイド料は200円だったか。
この金額でよろしいのですかと、迷わず、こちらを選択。
ガイドのYさん(私達より少し年上の男性)が、
とても面白いガイドさんで、博物館の図録にはない
ちょっとしたエピソードや、ご自身の感想・意見とともに、
案内してくださった。
・・・ということで、
Y氏との名護屋城めぐりは、次回と言うことで
本日は、幕引きでございます。
また、お訪ねいただけたら嬉しいです。
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おつきあいいただき、どうもありがとうございます。
以下を参考にまとめましたが、間違いや勘違いもあることと存じます。
歴史の素人と言うことで、お許し下さいませ。
◆参考
佐賀県立名護屋城博物館 編集・発行
「令和3年度 佐賀県立名護屋城博物館企画展
綺羅、星の如くー戦国の雄、肥前名護屋城参陣ー」
どうもありがとうございます。
名護屋城、そちらでは話題になっている!?
それは呼ばれているのかも・・・
広々と気持ちがよくて、赤ちゃん連れでもオッケ~かと思います♫
名護屋城は最近何故かちょこちょこ話題を見聞きする事が多いので、これは呼ばれてるかしら…?✨
徳川家康とは、長編好きのsyuuさんらしいですね~
名護屋城築城と言うことは、まだまだ楽しめますね♫
名護屋城は、こんなとこだよ~という雰囲気だけでも
お伝えできればなぁと鋭意努力いたします!
お勉強なんてとんでもございません。
おつきあいいただければ嬉しうございます。
余談ながら・・・
名護屋城に出かけ、ますますアンチ秀吉になってしまいました
周りが必死に止めようとしますが、これがことごとく失敗、
まさに名護屋城築城の命令が出たあたりです。
読書は全く進んでいないのですが、遅れた分、
ぴあ野さんのお城巡りがぴったり合いました。
次回も楽しみに勉強させていただきます。