歴タビ日記~風に吹かれて~

歴タビ、歴史をめぐる旅。旅先で知った、気になる歴史のエピソードを備忘録も兼ね、まとめています。

秋に想う

2024-10-02 09:12:39 | いろいろ
半世紀前、昭和の頃は、ここ横浜でも、
盆と正月などに、一族うち揃っての大宴会が開かれたものだ。

我が家は、市内とはいえ、普段離れて暮らしていたのだが、
この時期ばかりは、否も応もなく父の実家へ出かける。


わたしは、これが大嫌いで
祖父宅が近付くにつれ、涙が出てくるほどだった。

宴席での酔っ払い連中の下卑た会話もさることながら、
美人と言われていた、母をホステス代わりにするのも
ガマンできなかったからだ。
母が毅然と断らないのも、十代の少女には許せなかった。

今思えば、当時の母はヨメの立場、
ああして酔っ払いの言動を流すしかなかったのだろうけれど。



さて、その宴席での話。
お恥ずかしい話だ。

祖父は三兄弟で、みな、年を重ねたとは言え
彫りの深い顔立ちで、目を引いた。
その上、背も高く、若い頃はさぞかしモテたはず。
(父はずんぐりの祖母似・・・わたしも残念のクチ💦。)


三兄弟の中で、アジア太平洋戦争に出征したのは
祖父のすぐ下の弟、大叔父だけだ。

母によると、例の宴席で、大叔父が、よく自慢していたそうだ。

南方に行けば、オレの子が、あちこちにいるぜ」と・・・

は!?
・・・いったい何をしてきたんだ!?
しかも妻子の前で言うことか!?

大人になってから、その話を聞かされ、わたしは憤る。
いやいや、それよりも恥ずかしい・・・
何より申し訳なさに身が縮まる。


(大叔父の出征先は聞いていないが、
おそらくジャワ(インドネシア)だろう。
「ジャワは天国、ビルマは地獄、死んでも帰れぬニューギニア」
というくらいだ)


もうひとつ。

祖父が亡くなった後、物入れから日本刀が出てきた。
父は欲を出し、さっそく知り合いの古物商にみてもらうが・・・

何のことはない、ただの軍刀。

しかも、血を吸っている、つまり人を斬っているというのだ。
日露戦争の頃のものだろう、とのことだった。


どちらも、一族の汚点とも言うべき話だが・・・

戦争は、ふつうの人間が人の命を奪い、
また女性を慰み者にしてしまう。

令和の今を生きる私は、間違いなく、
それに加担した者の子孫なのだ。



今、アジア太平洋戦争を語る際、
記憶の継承」と共に、
戦争後遺症」が注目されている。


「戦争後遺症」とは・・・

「特に深刻だったのは、戦場での苛酷なストレスに起因する
さまざまな精神疾患の後遺症で、
現在は「戦争神経症」として各国で研究対象となっている」 88頁

たとえば「戦時中の残虐行為への罪悪感」から、
復員して戻ったあとも、うなされたり、痙攣発作を起こしたり、
あるいは、記憶喪失などの精神疾患に苦しんだ元兵士が
多数存在したという。

それが「戦争後遺症」だ。

実例は、遠藤美幸の『戦友会狂騒曲』(地平社)などの著作に詳しい。

遠藤の出会った家族は、粗暴だった元兵士の父が亡くなって初めて、
父が戦争神経症に悩まされていたことに思い至ったと、
慟哭したという。


また、やはり周囲は気づかずにいる
「戦争神経症」に悩む元兵士が登場する小説も、
ここ数年、いくつか読んでいる。
それも戦争小説ではなく、YAや一般小説のなかでだ。


ベトナム戦争やアフガン戦争で、アメリカ軍兵士が
呼称は様々でも、「戦争神経症」に苦しんだことを
知識として知っていた。

しかし、日本人兵士がアジア太平洋戦争で、
このような状況に陥っていたことに、
わたしたちは長く気づかなかった、
いや、目を向けてこなかったのではないだろうか。



わたしは、ほぼ歴20年のサバイバーだ。

術後の秋は、抗がん剤治療の真っ只中。
やせっぽちでガリガリのせいか、副作用は重く、苦しかった。

家の中を這いずるようにして過ごすのが、やっとの日々。
外といえば、マンションのエントランスまでがせいぜい・・・
夕暮れ、秋の空を見上げてはメソメソと泣いた。

幸い、翌年には治療も落ち着き、体力も回復する。
だが、秋になると、夕暮れの空や虫の声に
嫌な記憶が蘇り、心臓がバクバクとした。
そんなことが十数年も続いた。

やがて、手術をした病院から卒業する頃には、
(=術後10年経過+服薬終了5年の15年)
いつしか秋を楽しめるようになっていたのだ。
去年までは!

今、かつての手術の合併症が重なり、
免疫不全に悩まされている。
サバイバー歴20年近くにしての「まさか」だった。

すると・・・

蘇ってきたのだ。
あの秋の日の辛い記憶が。
20年近く経っているのに!?


軍隊社会で絶対である上官の命令で
残虐行為を行わされた元兵士・・・
その「戦争神経症」と、私如きの体験を一緒にはできないのは、
重々承知。

それでも、ほんの少しではあるが、
身を以て、元兵士の苦しみを感じられた気がしている。
辛い記憶は、何十年経とうが忘れることはできない。
忘れられたとつもりでも、何かの拍子に、再び顔を出す。

人の心とは、かくも繊細なのだ。


人の命を奪うだけでなく、
生き残ったとしても人生を狂わせてしまうのが戦争。
そんなことを、いっそう考えている、今年の秋だ。

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おつきあいいただき、どうもありがとうございます。

個人の日記と言うことで、
不備や勘違い・間違いは、どうぞお許しくださいませ。

引用・参考:
「歴史と人物 日本軍兵士のリアル 教科書がおしえない太平洋戦争」
中央公論新社

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