少女の頃、永井路子さんの小説が、よく映像化されていました。
中でも、お市の方は定番ヒロイン・・・
織田信長の美しい妹は、政略結婚で、浅井長政のもとへ嫁ぎ、
三人の姫、ふたりの男子に恵まれます。
ところが、婚家と実家との間で戦になって、居城・小谷城は落城・・・
このとき、お市様は織田家の家来に迎えられ、兄の元へ引き取られ、
織田家の重臣・柴田勝家と再婚まで、
三人の姫と共に、織田家・親族の家で暮らした・・・と思っていました。
(JR北陸本線 河毛駅にて)
ところが、現地では違う話を知ったのです!
そもそも、お市様と三姉妹の小谷城からの脱出についての史料は
太田浩司氏によると、「良質なものは何も残っていない」のだとか。
長浜市平塚町。
小谷城から、車で10分ほどの地に、実宰院(じっさいいん)という
曹洞宗の寺があります。
雨の中、静かな集落にある寺を訪ねました。
お市様が嫁いだ浅井長政には姉がひとりいました。
長政は正室の子ながら、姉は父と侍女との間の子どもらしく・・・
19歳で出家、得度した姉上の名は、昌安見久尼(しょうあんけんきゅうに)。
小谷城から南へ2㎏ほど離れた、平塚の実宰庵(じつさいあん)で過ごします。
(昭和29<1954>年、「実宰庵」から現在の実宰院へと、名を変えました。)
なんと得度から、おそらく亡くなるまでの43年ものあいだ!
この姉上・尼様が寺を中興した30年後、
1573(天正11)年、織田信長の総攻撃を受け、小谷城は落城・・・
平塚での伝承は・・・
落城の前夜、弟・長政は、姉・昌安見久尼を頼りに、
妻・お市と3人の娘を実宰院へと逃がしました。
そこへ織田方の残党狩りがやってきます。
急なことゆえ、尼様は、とっさに三人の幼子を、
ご自分の法衣ですっぽりと隠しました。
なんと、この尼様は、5尺8寸(約176センチ)、体重28貫(約105㎏)!
泥棒も驚いて逃げ出すほどの巨体でした。
それゆえ、法衣も2反の布で作られており、
幼子三人くらい、分けなくすっぽりと包み込めたのでしょう。
こうして、三姉妹は難を逃れ、伯母様の元で成長したらしいとのこと。
太田浩司先生も、この寺に三姉妹が身を寄せていたと
「考えたい」と、書かれています。
この地区では、今でも尼様が始めたという、
「おみきの行事」が続いているそうです。
毎月正月以外の1日、村の女性達が集まり、
集落を流れる川の掃除をし、氏神様にお参りをします。
神前で互いの健康と月の無事を祈るのです・・・
尼様が、三人の姫様と村の子ども達が仲良くなる機会を作りたくて、
この行事を始めたのかも」とも言われています。
残党狩りにも動じない、大柄な女性は、
おおらかに、父を失った姫様方を包み込んでくださったのでしょう。
もしかしたら・・・
当時の女性としては並外れて大柄だったこと、
実母の身分が低かったこと、・・・
そんなことから、若くして出家を決めたのかもしれません。
それだけの決断を早くにできた、その人は、
きっと心優しく、情にあふれた女性だったはず・・・
そんなことを思いながら歩く実宰院は、
静かに、雨の中たたずんでいました。
小谷のお城から運ばれたという、古い門と共に。
この後、北荘城で、お市様が柴田勝家と共に自害なさった後、
身寄りのなくなった三姉妹を、しばらく預かったのも、
見久尼さまだったという伝承もあるそうです。
参考:「みーな びわ湖から」97号 2007年11月発行 長浜みーな協会
太田浩司『浅井長政と姉川合戦―その繁栄と滅亡への軌跡』サンライズ出版