ずっと気になっていた、鹿児島県の坊ノ岬沖。
戦艦大和が「海上特攻」とまで言われる、
決して無事の帰還が望めない無謀な出撃で、沈んだ場所だ。
いつか行かねば、絶対に行きたい・・・
ずっとそう思っていた。
念願かなって、鹿児島旅行・最終日、
坊ノ岬へ出かけた。
厳密に言うと、出かけたのは坊ノ岬ではない。
本来だったら、坊ノ岬で灯台をめざすべきだったのだろうが、
時間の関係で、これはあきらめている。
出かけたのは、枕崎市「火之神平和祈念展望台」と
南さつま市「丸木崎展望台」の二ヶ所である。
その前に、戦艦大和について、ざっくりと。
(2023年春、呉市大和「ミュージアム」にて)
1937(昭和12)年、呉海軍工廠で起工され、1941(昭和16)年完成。
起工当時は、世界最大・最強と謳われたが、
建造数年の間に時代は航空機の時代へと変わった。
大和のように大きな軍艦は、むしろ不利な時代に入ていたのだ。
大和は、大きな戦果をあげることなく、
アジア太平洋戦争末期まで、結果的に温存されることになった。
1944(昭和19)春、年沖縄へのアメリカなど連合軍上陸が
近付いた中、海軍連合艦隊司令部は、戦艦大和の出撃を決める。
戦果は期待できず、大きな犠牲ばかりが出ることは、
わかりきっている。
現場である大和の司令部は、当然、猛反発だ。
だが・・・
第五航空基地(鹿屋)にいた連合艦隊司令部参謀の草鹿龍之介は、
大和の司令部を訪ね、出撃の説得にあたる。
草鹿の「一億相特攻の先駆けになっていただきたい」の言葉に
司令長官・伊藤整一は出撃を決意した。
こうして、1945(昭和20)年4月1日、
第二艦隊は、沖縄戦のために編成される。
大和を沖縄海上特別攻撃隊(特攻隊)旗艦に、巡洋艦・矢矧(やはぎ)、
駆逐艦8隻と共に、山口県徳山港から、沖縄を目指し、出港した。
4月7日、坊ノ岬沖で、敵艦船隊の猛攻を受ける。
約二時間後、大和を含む6隻が沈没し、3721名が犠牲となった。
大和が刻一刻と沈む様は、他の艦からの打電により、
逐一、横浜・日吉の連合艦隊司令部地下壕に報告されていた。
戦艦大和など第二艦隊の出撃を
「海上特攻」と名付けたのは、
連合艦隊司令長官・豊田副武(そえむ)である。
「一億相特攻の先駆け」となった大和を
自らは、安全な日吉の丘にいた豊田司令長官ら
司令部の面々は、どのような思いで受けたのだろうか。
まず、訪ねたのは、
枕崎市、火之神公園内の平和祈念展望台 である。
小高い丘の参道には、延々と石灯籠が続く。
ひとつひとつにお名前と一言が記される。
上の場合は、「特攻第二艦隊の英霊に捧ぐ」とあった。
(↑)途中、第二艦隊司令長官・伊藤整一ゆかりの桜、
別名「父子桜」が植えられていた。
長官は庭いじりが好きで、自宅には手植えした桜の大樹があった。
伊藤長官の長男・叡(あきら)中尉は、海軍兵学校を卒業後、
ゼロ戦パイロットとして、父が乗る大和の出撃を見送った後、
同年4月18日、自ら志願して、鹿児島県伊江島沖で
特攻死している。
その後、父の植えた大樹の根元に寄り添うよう、
桜に芽が吹いた。
そして、毎年必ず、大和の沈没した4月7日に花が咲くのだそうだ。
そこから「父子桜」と命名されたという。
頂上につくと、いくつもの碑が並び、
新聞記事の切り抜きなども掲示されている。
「火之神平和記念展望台」は
平成に入り、大和沈没50年にあたることから、
大和の沈没した地に近い、地元・枕崎市の有志が呼びかけ、
賛同した全国の有志によって、整備されたそうだ。
海に向かって「般若心経」を唱え、
ただただ、涙した。
その後、坊津、丸木崎展望台(南さつま市)へと向かい、
再び、海を眺めている。(↓)
坊ノ岬沖海戦での犠牲者は、多くが海没死とのことだ。
4月初めの海は、どんなに冷たかっただろうか・・・
もしも、護衛艦が十分に存在したら、
救出できたのではないか?
いや、そもそも、無謀な戦争を、続けるべきでは無かったのだ。
戦争は始めるのは、たやすいが
終えるのは、本当に難しい。
ウクライナ、ガザ・・・
今、私達は、それを目の当たりにしている。
今年の元旦、弟から来た年賀状に笑ってしまった。
どうやら鹿児島県の「坊ノ岬」に出かけ、
戦艦大和に想いをめぐらせてきたらしい。
1945(昭和20)年4月7日、大和は、坊ノ岬沖海戦で沈没している。
実は、昨年末、年賀状の届く数日前に、
我が家では鹿児島旅行の予約を終えたところだった。
わたしは「鹿児島へ行くなら、鹿屋と坊ノ岬へ行くこと」を
条件にして、賛成している。
そんないきさつがあったものだから、
夫も大笑い。
姉と同じようなときに、同じことを考えていた弟。
その昔、会津戦争について熱く語ってくれた、高校生も
いまや、人生半世紀を超えた、立派なオジさんである。
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おつきあいいただき、どうもありがとうございます。
現地の案内板などを参考に記事をまとめましたが、
間違いや勘違いもあるかと存じます。
素人のことと、どうぞお許し下さいませ。
いつもながら、お恥ずかしいです・・・
大和の話は、皆さん、よくご存知でしょうが・・・
それだけに、どうしても坊ノ岬を訪ねたいとずっと思ってきました。
何をするわけではないのですが・・・
もしかしたら聖地巡りが近いかもしれませんねw
戦艦大和は呉の大和ミュージアムでしっかり学んでいた気持ちでしたが、今回の記事で本当により深く考える事が出来ました。本を読んだり映画で感じるだけでなく、その地を訪れるぴあ野さんの情熱に感心するばかりです。
初めて知る事も多く、今回も本当に学びの多い記事でした。有り難うございます。なおとも