歴タビ日記~風に吹かれて~

歴タビ、歴史をめぐる旅。旅先で知った、気になる歴史のエピソードを備忘録も兼ね、まとめています。

大神基地は

2024-08-24 16:42:37 | 大分県
もうひとつ「回天」基地について、まとめておく。


去年の秋、大分県日出(ひじ)町の大神(おおが)基地を訪ねている。

ここは、大神海軍工廠として、大型の艦船や空母を造る施設建設のはずが、
戦局の悪化で中止。
その予定地の一部を利用し、回天の基地が造られたそうだ。


もともとは海軍工廠を目指していただけに、
回天の四基地(山口県大津島・光、広島県・平生、大分県・大神)で
一番、敷地面積が広い。

昭和19(1944)年・秋頃から建設を始め、昭和20年4月に基地開隊、
5月から訓練が始められている。
「呉鎮守府所属第二特攻隊大神突撃隊」である。

初めての出撃は、8月初めとして計画されるも、
終戦により、結局は、この基地からの出撃はない




とはいえ、もっとも大きい敷地を持つだけに、広い。
今は海に近い、のどかな農村の雰囲気だ。

ただし、案内板を頼りに歩くと、藪の向こうに
回天ゆかりの施設が突然あらわれてる。

人気はないうえ、手つかずなの場所なので、
そこだけが切り取られ置き去りにされているようだった。


燃料格納庫跡だと思う)






また、全国で唯一の「回天神社」も鎮座し、
三年に1度例祭が行われているとのこと。

ご神体である回天の部品三点と共に、
全国の「回天」搭乗員や整備員など1073名 が祀られている。




(右手の山に神社の文字が見える)


残念だが、ここはパス、
時間の都合もあるが、夫婦共々、皮膚が弱く、
藪の道を上る気になれなかったからだ。

もちろん、他の施設跡も全てをまわったわけではないが・・・



代わりに、(↑)記念基地公園は、じっくりと見学している。
かつての基地跡に整備された公園だ。





ここには回天の1/3大のレプリカが置かれ、
魚雷調整用のプールが遺されている。
この中で「回天」を水中に沈め水漏れがないかを確認したという。

いまさらながら、回天の大きさに度肝を抜かれる。
これで実物の1/3って・・・

ハッチをじっくり見るのも初めて、
このハッチを閉めたら2度と自分では開けられない・・・



「回天」で訓練中の事故死が起こったのは、
搭乗員自らが、ハッチを開けることができなかったせいだろう。
そう思って見つめると、やりきれない。



「青年像及び母妹像」 
地元の彫刻家による作品とのことなので、敬意を表しアップ。
(申し訳ないけれど、こういうのは苦手)



大神基地は、昭和20(1945)年8月15日の終戦を受け、
25日解隊、31日に米軍に引き渡される。
基地に残っていた回天は海に廃棄された。
(大津島でも同じ処分をしたときく)

結果として出撃はなく、犠牲者の出なかったものの、
終戦後、基地内で松尾秀輔少尉が自決している。

出撃先命令を受け、愛媛県で待機していたが
終戦で基地に戻る。
その後、8月25日、自決。享年21歳。(没後、海軍中尉へ昇進)

21歳って・・・
戦争は終わっていただけに、ご遺族はどんなにか・・・


日出は忘れられない戦時下のエピソードが他にもある。
そちらも、いずれまた。

****************

おつきあいいただき、どうもありがとうございます。
本記事は、以下の資料と現地の案内板などを元にまとめましたが、
勘違いや間違いがあるかもしれません。
素人のこととお許しくださいませ。

参考:
〇周南市地域振興部文化スポーツ課編集
「回天記念館と人間魚雷『回天』」(周南市回天記念館開館50周年記念誌)
平成31年3月初版

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