もうひとつ「回天」基地について、まとめておく。
去年の秋、大分県日出(ひじ)町の大神(おおが)基地を訪ねている。
ここは、大神海軍工廠として、大型の艦船や空母を造る施設建設のはずが、
戦局の悪化で中止。
その予定地の一部を利用し、回天の基地が造られたそうだ。
もともとは海軍工廠を目指していただけに、
回天の四基地(山口県大津島・光、広島県・平生、大分県・大神)で
一番、敷地面積が広い。
昭和19(1944)年・秋頃から建設を始め、昭和20年4月に基地開隊、
5月から訓練が始められている。
「呉鎮守府所属第二特攻隊大神突撃隊」である。
初めての出撃は、8月初めとして計画されるも、
終戦により、結局は、この基地からの出撃はない。
とはいえ、もっとも大きい敷地を持つだけに、広い。
今は海に近い、のどかな農村の雰囲気だ。
ただし、案内板を頼りに歩くと、藪の向こうに
回天ゆかりの施設が突然あらわれてる。
人気はないうえ、手つかずなの場所なので、
そこだけが切り取られ置き去りにされているようだった。
(燃料格納庫跡だと思う)
また、全国で唯一の「回天神社」も鎮座し、
三年に1度例祭が行われているとのこと。
ご神体である回天の部品三点と共に、
全国の「回天」搭乗員や整備員など1073名 が祀られている。
(右手の山に神社の文字が見える)
残念だが、ここはパス、
時間の都合もあるが、夫婦共々、皮膚が弱く、
藪の道を上る気になれなかったからだ。
もちろん、他の施設跡も全てをまわったわけではないが・・・
代わりに、(↑)記念基地公園は、じっくりと見学している。
かつての基地跡に整備された公園だ。
ここには回天の1/3大のレプリカが置かれ、
魚雷調整用のプールが遺されている。
この中で「回天」を水中に沈め水漏れがないかを確認したという。
いまさらながら、回天の大きさに度肝を抜かれる。
これで実物の1/3って・・・
ハッチをじっくり見るのも初めて、
このハッチを閉めたら2度と自分では開けられない・・・
「回天」で訓練中の事故死が起こったのは、
搭乗員自らが、ハッチを開けることができなかったせいだろう。
そう思って見つめると、やりきれない。
「青年像及び母妹像」
地元の彫刻家による作品とのことなので、敬意を表しアップ。
(申し訳ないけれど、こういうのは苦手)
大神基地は、昭和20(1945)年8月15日の終戦を受け、
25日解隊、31日に米軍に引き渡される。
基地に残っていた回天は海に廃棄された。
(大津島でも同じ処分をしたときく)
結果として出撃はなく、犠牲者の出なかったものの、
終戦後、基地内で松尾秀輔少尉が自決している。
出撃先命令を受け、愛媛県で待機していたが
終戦で基地に戻る。
その後、8月25日、自決。享年21歳。(没後、海軍中尉へ昇進)
21歳って・・・
戦争は終わっていただけに、ご遺族はどんなにか・・・
日出は忘れられない戦時下のエピソードが他にもある。
そちらも、いずれまた。
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おつきあいいただき、どうもありがとうございます。
本記事は、以下の資料と現地の案内板などを元にまとめましたが、
勘違いや間違いがあるかもしれません。
素人のこととお許しくださいませ。
参考:
〇周南市地域振興部文化スポーツ課編集
「回天記念館と人間魚雷『回天』」(周南市回天記念館開館50周年記念誌)
平成31年3月初版
〇周南市地域振興部文化スポーツ課編集
「回天記念館と人間魚雷『回天』」(周南市回天記念館開館50周年記念誌)
平成31年3月初版