大阿蘇タロウの周辺ブログ

身近に起こった出来事の記録。

支那によるチベット人への弾圧。

2012-02-13 22:32:30 | Weblog
チベットで中国式正月祝賀の強要に抗議デモ→無差別発砲、日本政府は沈黙~今チベットで何が起こっているのか…福島香織

チベットが、2008年3月の騒乱以来の緊迫感に包まれている。大手メディアも報道しているが、四川省のチベット自治州でチベット族の抗議デモ隊への当局の治安部隊の発砲事件が相次いでおり、死者もかなり出ているもようだ。
今回の事件の発端となった抗議デモは春節(旧正月)の23日に行われた。この抗議デモは、すでにこの連載で紹介したキルティ僧院に対する弾圧と、昨年3月以降続く16人の僧侶・尼僧の抗議の焼身自殺(未遂を含む)が背景にあることはいうまでもない。

抗議デモを無差別発砲で鎮圧

今チベットで何が起こっているのか、知ってほしい。中国国営新華社などの中国側報道と、自由アジア放送やチベットエクスプレスなどの報道の中身がかなり違う。ダラムサラに拠点を置く日本人が運営するチベットNOW@ルンタというブログが、このあたりをうまく整理していたので参考にさせてもらった。

自由アジア放送などによれば、23日午後、四川省のガンゼ・チベット族自治州炉霍県(ダンゴ)でチベット族の平和的な抗議デモが行われていた。抗議デモの理由は、昨年3月から続く僧侶たちの焼身自殺で、悲しみにくれ、チベット正月(ロサル、22日)さえ祝う気になれないチベットの人々に対し、中国当局は23日の春節、つまり中国式正月を祝うように強要したのだという。

これに人々が怒りを感じたからだろう。その数日前から、ダンゴの県庁舎前に「中国の正月」に合わせて4人の僧侶が抗議の焼身自殺を行う、という予告ビラが張られた。当局はこれのビラに反応して、僧侶ら約200人を手当たり次第拘束した。
これがさらに人々の怒りを招き、数百人が23日に抗議のデモ行進を行った。
当局の治安部隊はこのデモ行進を阻止するため無差別発砲を行った。
2~6が死亡、60人以上が負傷したという。

この発砲で、デモ参加者はさらに怒り、抗議デモは5000人規模に膨れ上がった。デモ参加者の破壊行為も行われたという。負傷者はダンゴ僧院に運び込まれているが、医師も被弾して重傷なため、適切な治療が行われていないようだ。

翌日の24日にはダンゴに近い色達県(セルタ)でもデモ隊と治安部隊の衝突があった。セルタでもやはり春節に合わせた合議の焼身自殺予告のビラが張り出されていた。22日、23日に小規模の抗議デモがあったが、これは鎮圧されなかった。しかし24日の抗議デモは数千人に膨れ上がった。
これに対して軍、武装警察が投入され、無差別発砲で鎮圧した。数十人が被弾し、亡命政府は5人が死亡したと発表している。一命を取りとめた者も、病院で治療を受けられず死者が増える可能性があるという。

さらに四川省アバ・チベット族チャン族自治州アバ県でも、23日、真言宗を唱えながらの僧侶と信者のデモ行進を治安部隊がさえぎり、暴行を行った。26日にはアバ県に近い壤塘県(ザムタン)でも、群衆に向かって警察が発砲し、1人が死亡したという。きっかけはタルバという青年の逮捕という。

彼は「これまで多くのチベット人が焼身抗議を行った理由はチベットの自由とダライ・ラマ法王帰還のためである。この目的が達成されない限り、我々の活動に終わりはない」と書いたビラを張り出し、しかも実名と写真をつけて「お前たち中国共産党よ、さあ捕まえに来い」と挑発的な文言まで添えた。警察は彼を逮捕したが、彼の釈放を要求するチベットの人々が警察署に押し掛け、警察側は無差別発砲でこれを鎮圧した。

ちなみに新華社通信は、ダンゴの事件について24日、「僧侶3人が焼身する。遺体は絶対に政府に処理させてはならない」と言うデマに煽動されたチベット族が刃物をもって公安派出所を襲い警察車両2台、消防車両2台を破壊し、商店や銀行ATMを打ち壊した、と報じている。

3月10日の1959年チベット民族蜂起の記念日、3月14日の2008年チベット騒乱の4周年まで、目が離せない緊迫状況が続くと思われる。

若い命を有効に使うべき

こういう緊迫状況を招いた直接の原因は、抗議デモに対し無差別発砲を許可した当局側の対応にあると私は思っている。16人に上る僧侶・尼僧の焼身自殺が訴える民族政策の問題点を改善しようとするどころか、その殉教を軽んじ、悪と決め付ける態度が、信仰に生きる人たちの怒りを招いたのではないか。

しかし正直、私はチベット僧侶らの殉教に対して、どうとらえていいか分からないところがある。自らの命を燃やして、抗議の意を示すというのはあまりに悲惨であり、とても賛同できない。国際社会がその行為を肯定すれば、さらに多くの殉教者が出るのではないかという心配がある。その一方で、宗教弾圧を容赦しない中国当局への怒りが同時にある。

チベット独立を叫び自らに火をつける僧侶らがいる一方で、独立ではなく、ただ平穏な日々を求める人も多いのではないか、と想像したりもする。独立を叫ぶ人たちは、そういう中道派、穏健派の暮らしも脅かすことにならないか、と不安になったりもする。

こういう疑問を比較的最近、2人のチベット人識者にぶつけたことがある。
1人はSFT(自由チベット学生運動)日本支部が主催する小さな集会でお会いしたチベット亡命政府の女性協会会長、ドルカル・ハモ・キルティさんだ。

私は殉教を非難することだけはしてはいけないと気をつけながら「もしも、あなたの息子が、チベット独立のために抗議の焼身自殺をするという計画を打ち明けたら、どう言いますか。もし、抗議の焼身自殺をしたという知らせを受けたら、母親として、悲しみの方が大きいですか、誇りの方が大きいですか」と質問した。

彼女は、その名からも察せられるように、キルティ僧院とゆかりのある血筋で、実際に血縁者が焼身自殺をしているという。彼女は少し涙ぐんだような声で、次のように答えた。

「焼身の殉教は仏教的には最高の自己犠牲であり、チベットの抑圧を世界中に知らしめるという点で大きな影響力がありました。しかし知的な方法ではありません。もし、息子が焼身の抗議の計画を打ち明けたら、それは本人の決意によるもので、母としてはやるなともやれとも言えない。ただ賢い方法ではないと言います。若い僧侶が一瞬にその命を燃やすことは、チベットが自由を求め
る長い闘争にとっては大きすぎる損失です。この戦いはこれからも長い年月がかかるのです。そのために、若い命をもっと有効に使うべきだと考えます」

彼女は過激に独立を求めるのではなく、話し合いで状況を改善していくことを望む中道派であり、その答えは私には非常に説得力があった。

もう1人は、チベット出身の政治学者でペマ・ギャルポさんだ。ペマさんには昨年11月、アジア自由民主連帯協議会設立式のときにお会いした。ペマさんは以前、チベットの焼身自殺について日本メディアがあまり報道していないことに対し、苦言を呈していた。

それを覚えていたので、私は僧侶らの焼身自殺について、「殉教として肯定してしまうと、死者が増えそうで怖い。かといって否定すれば、今まで亡くなった人の命を軽んじてしまうことになり、それも耐えがたい。受け止め方、報じ方が難しい問題だ」と自分の考えを伝えてみた。

ペマさんは「今おっしゃったことを、そのまま伝えればいいと思いますよ」と答えた。続けて「私はいわゆる過激な“独立派”で、ダライ・ラマ14世のおっしゃる中道路線と対立する考えだという人もいるのですけれど、そうではありません」と言って、こういう話をしてくれた。

ダライ・ラマ14世は「私は独立を求めない」という言い方をしているが、チベット人に独立を求めるなと一言も言っていない。過激に独立を求めるチベット人がいるからこそ、それを抑えて中国側との話し合いを求める中道派のダライ・ラマ14世の威光と存在感が際立つ。もし、過激な独立を求める勢力がいなかったならば、中国側はダライ・ラマ14世をもっと軽んじることだろう、と。
 
チベット側が命がけで独立を求めているという必死さ、何をも恐れていないという覚悟を見せつけない以上、中道派の要求すらおぼつかない、というのが過激な独立派の言い分ということだろう。

中国の危うい変化を注視すべき

今チベット地域で起きている人道の危機ともいえる緊迫状況について、日本人の関心はかなり低い。殉教するほど強い信仰というものを知らず、侵略され言葉や文化を破壊される悲哀も知らない多くの日本人にすれば、焼身自殺で抵抗するという激しさに共感を持つことは難しい。それがチベットの多数派の思いを代表しているのか、あるいは、中国当局と妥協しても平穏な暮らしの回復を望んでいる人の方が多いのか、現地を多面的に取材することを中国当局が許さない状況では、日本の記者たちも自信をもって報道できないだろう。

しかも、中国と日本は密接な経済関係があり、日本はどこか中国側に対し気がねがある。キリスト教など伝統宗教の価値感がなお強い欧米政府が中国の今回のチベットデモ発砲鎮圧に対し、強い非難声明を出しているのに対し、日本政府はあえてこの問題を無視している。

そういう状況も理解しつつ、私はやはり、今のチベット状況に日本政府、日本人が関心をもたなければいけないと思って、今回またこのテーマをコラムで取り上げた。なぜなら、中国のやり方は数十年前と比較すると、急激にきな臭い、醜悪な方向に傾斜している。チベットでは22日から毛沢東、トウ小平、江沢民、胡錦濤と歴代4人の肖像画を100万枚、チベット自治区の寺院や家庭に配るキャンペーンを開始したが、こうした時代に逆行した思想統制強化に走っているのを見れば、中国はむしろチベットの安定を望んでいるのではなく、彼らの過激な抵抗を期待しているのではないかと、かんぐりたくなるほどだ。

最近ささやかれているように中国が経済・社会の高リスク期に突入するとしたら、中国人の多数をしめる漢族の不満を体制以外の方向に導くことが政権維持にとって必須だ。そういう政権の危機の際に、外に敵をあえてつくり、国内の愛国心と団結を強化するのは、国家というものの常套手段だが、今ほどグローバル経済が発達していると、本気で外国と敵対することは避けなくてはならない。
だから、チベットという被征服民族を今さらのように敵としようとしているのではないか、という気がしてならないのだ。

私の懸念が当たっていたら、これは国の歩む路として極めて危険な方向だ。チベットという個別の問題を横においても、中国のすぐ隣から引っ越すこともできない日本は自国の将来の安全のために、中国の危うい変化を注視しなければいけないと言いたい。

モニプラファンブログ