飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

ただ、マイヨジョーヌのためでなく 2

2024年02月09日 15時45分14秒 | 読書
自転車選手の人生とは、ペダルに固定した両足を回転させ、時速30kmから60kmで、何時間も何日も、ひたすら世界中を走り続けることだ。
自転車選手の人生とは、息を切らし、自転車に乗ったまま水をがぶ飲みし、棒キャンディを貪り食うことだ。
1日に10から12リットルの水分を失い、6000カロリーを消費する。
そして何があろうがとまらない。
トイレもレインコートを着る時もだ。
プロトン(選手集団)では、猛スピードで行われるチェスの試合にも似て、中断は許されない。
雨の中を突っ走り、凍えそうに寒い山腹をひらすらのぼり、雨で滑る鋪道にハンドルを取られ、でこぼこ道を行く時、不安に駆られてかけたちょっと強めのブレーキ、ほんの少し鋭く切ったハンドルといった些細なミスが、自転車をただのねじ曲がった金属の塊にし、選手の肉をえぐる。


ロードレースは自分だけでは勝てない。
チームメイトが不可欠だ。
そして、競走相手の好意と協力もだ。
あいつのために、あいつと一緒に、自転車に乗りたいと人が思わなければダメなのだ。




今、あの若い未熟な選手だった自分を振り返る時、僕は腹立たしさをおぼえると同時に、同情を禁じ得ない。
乱暴な言葉と闘争心、不満の陰にあるのは恐れだった。


夏が近づくにつれ、僕はますます成長していった。
自転車でも、これまでバラバラだったことが、次第にまとまって一つの形になりつつあり、安定した走りができるようになってきた。
「すべては一度に起こるんだ」
オシュは言った。
その通りだった。


フィニッシュラインで僕は、それまでもそれ以後も感じたことのないような、感情の高まりを覚えた。
僕はファビオとその家族、彼の赤ん坊、そしてもにふくしているイタリアのために勝ったと感じた。
ラインを超える時、僕は上を見上げ、天国を、そしてファビオを指さした。


僕はツールドフランスに出場することはどういうことなのかを学んだ。
ツールは単なる自転車競技なのではない。
それは人生を象徴するものなのだ。
単に世界で最も長いレーズであるだけだはない。
それは素晴らしい心の高揚、極度の苦痛、また潜在的な悲劇を秘めている。
選手が考えられる限りのそして、それ以上の様々な事を、選手に味わわせてくれる。
さむさ、暑さ、山岳、平野、轍のあと、パンク、強風、口にするのも嫌なほどの不運、しんじられない、ような美しさ、うんざりするほど無意味さ。
そうしたことから本当の自分が見えてくる。
人生の中でも、僕たちはいくつもの違った状況に直面する。
時に後退を余儀なくされ、失敗と素手で格闘し、雨の中では頭を垂れる。
それでも何とかして毅然と立ち、少しでも希望を持ちたいと思っている。
ツールドフランスは単なる自転車レースではない。
それは試練だ。
ツールは僕の肉体を試し、精神を試し、そして道徳的にも僕という人間を試すのだ。



ようやくわかった。
近道はないのだ。
精神と肉体と品性を確立するには、何年にもわたって自転車に乗り続けなければならない。
何百という試合に出場し、何万キロも走ることが必要だ。
脚に、頭に、心に、鉄のような強さを持つまでは、僕はツールドフランスでは勝てないだろう。
一人前の男にならない限りは。
ファビオは男だった。
僕はまだその途上にあった。

Saitani