飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

批判された時の心理変化

2016年01月24日 16時29分54秒 | 人生論
どんな職業でも叱られたり、注意受けることは日常的にある。
逆に、誰からも諌められることがなくなったらかえって危うさを感じる。
でも、人間ならだれしも叱られるよりも褒められたいと思うだろう。

どうしても批判された時に、落ち込んだり、自己否定をしてしないがちである。
いつもそのようなネガティブな心理状態でいないためにも見通しというものが必要になる。
この見通しを持つだけでもだいぶ心が安定する。
では、人はどのような心理的な過程を経るだろうか。

人から批判される。

1 自分への批判を、自分の全否定と勘違いして、一人で憤る。
2 批判の内容よりも。偉そうに言っていがお前だってと批判した人に敵意を向け、相手を否定することで、相手の言ったことも否定できると考える。
3 日がたつにつれて、人への敵意よりも言われた内容が何度も脳裏によぎるようになる。
4 いつもまにか、なるほど言われたことは正鵠を射ているかもしれないと冷静に受け止められるようになる。
5 人間としての幅が広がったので、批判した人が意地悪であろうが、幼稚であろうが、、あの人のおかげだと感謝できるようになる。
6 いくら本当のことでも、相手が全人格をひていされたように感じる言い方はよくないから、自分はなるべく言い方に気をつけて助言しようと思えるようになる。

このようなステップを意識して、今自分の精神状態はどの段階なのかを冷静に分析してみることで心穏やかになる。

saitani

物を捨てると心が軽くなる

2016年01月23日 15時23分21秒 | 人生論
最近、と言ってもだいぶ前からだが、「断捨離」という言葉が流行している。
そして、昨年はミニマリストという言葉が流行語大賞の候補となった。

片付けられない自分へのアドアイスとして心に残っているのは次の三つ。

1 「いつか、もしかしたら使うかもしれない」という考えを捨てること
2 「いる」か「いらないか」ではなく、「使う」か「使わない」で分類する
3 ただでもらったものは捨てる

確かに物を捨てて整理すると、何が手元にあるのかが分かる。
そうすると同じものを二度買ったりすることはなくなる。
物をすてると執着心もすてることになり、今あるものを大切に使うようになる。
結局それが節約につながる。

余計なものを買うこともないのもいい。

心も清々しく過ごすには、心の掃除も必要だ。

saitani

人に迷惑をかけない

2016年01月17日 11時46分12秒 | 教育論
おもしろい国別ジョークがある。
船の上から乗客を海に飛び込ませる一言をどんなふうにかけるか。
アメリカ人には「ヒーローになれますよ。」。
ドイツ人には「法律で決まっています。」。
イタリア人には「女性にもてます。」。
そして、日本人には「皆さん、飛び込んでいますよ」。

協調性や人と同じことを好む日本人の特徴がよく表れている。
このみんなと同じことをこのむ特性をうまく前向きに考えれば、集団行動が容易になったり、全体で作業したり、プランを進めるときに非常に能率良くなる。
子供も「みんなやっているよ」「みんなもってるよ」ということをよく口にする。
だいたい子供の「みんな」は3人と相場が決まっているようだが。

そんなときに大人は「自分は自分、人は人でしょ」と言う。
あるときには「みんなと一緒にしなさい」と良い、また、ある時には「人は人」という。
子供からすれば、どっちが本当なのという気持ちになるだろう。

「人は人でしょ」が誤解されると、「人に迷惑さえかけなければ何をしてもいい」という価値観につながる。
そんなとき「タバコをすっても俺は誰にも迷惑をかけていない」なんて論理を持ち出す子供も出てくる。

しかし、この迷惑は、本当に迷惑をかけていないのだろうか。
そもそも、人間は人に迷惑をかけないでは生きていけないしくみになっている。
なぜなら、迷惑かどうかを判断するのは自分ではなく、相手だからである。

自主性や主体性は、ある意味自立という点では必要かもしれないが、周りの人間に無関心でいいということはありえない。

saitani

我慢の二種類

2016年01月14日 22時39分58秒 | 教育論
子供たちに「我慢は大切だよ。自分を成長させてくれるし、多くのことを学ぶことができる」と言って、我慢させることがある。
時には、徳川家康の逸話などを入れて話すこともある。
しかし、なんとなく納得出来ないという表情をしている子も少なくない。
ひとつに「あるがままの自分でいいんだよ」という自己肯定することが大事的な風潮が大勢を占めていることも影響がある。
自己否定をすることと、我慢をさせることとはまったく次元の違う話だ。

我慢には二種類あるという。
ひとつは、やりたいことがあっても我慢してやってはいけない場合。
もうひとつは、やりたくなくても我慢してやらなければならない場合。
このどちらも、現代の子供たちに不足している我慢である。

我慢させるときに、重要になってくるのは、我慢の先に何があるかということである。
人間は目標があると我慢できるという側面もある。
〇〇にあるためには、今は我慢の時である。
〇〇を達成するためには、我慢してでも実行しなければならない。
そういうストレスを感じないですむ、思考ができるからである。

我慢を強いるときには、何のためにということも合わせて指導することが大切である。

saitani

人は理解し合えるのか

2016年01月10日 10時06分56秒 | 人生論
人には様々な個性があり、自分なりの価値基準がある。
誰でも自分が正しいと重い判断し、行動している。

歴史を教えていて思うが、その時代時代の正義というものがあったのだ。
あとになってみればあれは明らかに間違だと思えることもあるが、その時は最善ではないにしろ、その選択肢がベストだと思って行動した結果である。
ただ、最終的な判断をした人物の個人的な正義ではあるが。

人が分かり合えるのは20%程度だという考えもある。

ゲシュタルト療法の創始者フレデリック・パールズの言葉。

ゲシュタルトの祈り

私は私のことをします。
あなたはあなたのことをしてください。
私が生きているのは、あなたの期待に応えるためではありません。
あなたもまた、私の期待に応えるためにいきているのではありません。
あたなたはあなた、私は私。
もし、私たちの心が通じ合わなくてもそれは仕方のないことです。
そして、私たちの心がたまたま触れ合うことがあれば。
それは最高に素晴らしいことです。

saitani

慎始敬終

2016年01月03日 16時49分06秒 | 教師論
1992年4月4日土曜日。
これは私が教師であり続けるために友人二人と始めた教育サークルの第1回例会が開かれた日である。
早いものであれから、今年で24年目になる。
ただ子供にとって価値ある教師に、プロ教師になりたいと願い20年以上続けてきたサークルである。
そこには指導されるような有名な先生はいない。
ただ未熟であっても、子供たちにとっては、教育実践においては謙虚に絶え間なく学び続ける若い教師がいるだけである。
情熱や学ぶ意欲だけは誰にも負けないという自負心だけはあった。

自分がサークル学び始めた頃に活躍されていた先生に福山憲市氏がいる。
最近、福山先生の文書を読んだときに,なるほどと感じることが多々あった。
いくつか引用する。

若い先生を見ていて一番伝えたいのは、「教えを請う」という意味での「請う動(行動)」ですね。
今の若者は「すみません。これちょっとわからないので、教えてもらえませんか」が言えない。

サークルのメンバーによく言っている言葉に「響師になろう」というのがあります。
どういう意味かというと、いくら教師がいい教育技術をもっていても、それが鐘のように子供たちに響かないと本当の意味での子供たちに火をつけることはできません。
だから子供たちの心に何かを響かせることができる教師になろうということなんです。

「鉛筆型人間」。
鉛筆の真ん中にまっすぐ芯があるように、教師もまっすぐの芯を持つべきだと思います。
もっとも小学校の教師については、特にいろんな芯の硬さをもたなければならないと思います。
それと鉛筆の芯の周りには木を使っていますね。
だから、「気を使って」常にアンテナを張り巡らせる、そういう人間でないといけません。
さらに鉛筆は削っていくものなので、教師も身を削りながら芯を貫いていくと。
それを最低10年やると、自分の思いがきちんとした形で見えてきます。

引用終わり。

物事を熟成させるためには20年かかると言う。
さらに人とは違う味を出していくには30年やる必要があると言う。

慎始敬終、慎みの気持ちで学び、鵜山気持ちで終わる。
今年もまだまだ教師修業は続く。

saitani

平成28(2016)年 謹賀新年

2016年01月03日 11時08分43秒 | 趣味
平成28年がスタートした。
いつになく穏やかな新年だった。
今年も良い年にしたいと願う。

最近、ミニマリストという本で様々な考えを学んだ。
少し前だと断捨離という言葉が有名だったが、昨年の流行語大賞にもノミネートされた。

その本に趣味について書かれてれているものがあった。

以下、引用。

多くの方にとって、趣味は自分らしさを表現できるとても重要な領域だと思います。
そこで実用主義の制限をもうけてしまったら、人生の一番美味しい部分を削ぎ落としてしまうことになります。

趣味の物が家にゴチャゴチャあるのは邪魔という考えをもありますが、日常生活の中に趣味のものが混ざっている邪魔に感じるのだと思います。


趣味以外は物を必要十分なところまで徹底的に削ぎ落として、そこに趣味の物を追加した部屋は、趣味の空間として完成されており、むしろ美しいと思います。

引用、終わり。

限られた範囲ではあるが、趣味の部分も充実できるような1年にしたいと考えている。

saitani