飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

五観の偈

2020年07月24日 08時24分10秒 | 人生論
禅の言葉に、五観の偈というものがある。
これは次のような意味だ。

1 目の前の食事の来歴に思いを馳せる(どんな風に育ってきた食べ物か、誰のどんな手がかかってここまで運ばれてきた食べ物なのか、各行程を考えてみる)
2 この食事に値する徳と行いを、今日の自分は積んだのだろうかと自問する。
3 貪り急ぐことなく、他のことは考えず、目の前の食事だけに集中していただく。
4 おいしいか、まずいかというグルメのためでなく、この生命を支えるために食べる。
5 自分が成し遂げたい目的のために、この食事をいただく。

食事は楽しいことが一番だが、その楽しさの本質はなんなのかと考えさせられる。
また、人間がなにげなくしていう行動も考え方次第で、正しい方向や自己研鑽の一部となるということも感じる。
人は、自己変容を遂げたり、成長を実感できたときに真の幸福感を感じる。
人間が生きていく食事という不可欠なルーティーンも豊かな気持ちになれる。

saitani

アスリートの言葉1

2020年07月17日 18時05分40秒 | 人生論
アスリートの言葉より。

池江璃花子選手

何があっても水泳を続けたいという覚悟だと思います。
絶対にまた水泳をやってやるぞという気持ちで入院しましたから、そこで引退するという考えはありませんでしたね。
これを乗り越えたら、また一段と強くなった自分が待っている。
そう思って、とにかくまずはこの病気を克服して、乗り越えていこう。
そういう気持ちでずっと過ごしていました。

病気になったことは誰のせいでもないし、自分のせいでもありません。
もちろん、苦しんだことはありますが、考えていても仕方ない。

稲垣啓太選手

練習がきついとかは、まったく問題じゃないんですよ。
自分が目指してるものに対して、厳しい、苦しい思いをして結果を得ようとするのは当然のことだから。

高校の頃から、相手が怖いと思ったことは一度もないです。
相手を打ちのめすために準備して、自分の中で備えて、蓄えて、グランドに立っているわけですから。
あとはもう、やるだけですよ。

伊藤美誠選手

相手は、ミスしたときの相手の態度を見ていますが、きついなって思っても顔に出さないようにしたので、表情や心理を読みにくかったと思います。
逆に無表情だけど、内心ドキドキの選手もいて、それはわかります。
例えば、手は心理が出てしまうんですよね。
リオ五輪でもサーブでボールを上げるとき、手が震えている選手がいて、それを見て「イケるわ」って思いました。

大野将平選手

ぼくはメンタルについて考えるとき、覚悟という言葉をよく使います。
それは攻撃的に、強気に戦いたいと思うから。
柔道は格闘技、殺し合いをするくらいの気持ちで戦わなきゃ勝てません。
そうした覚悟や、試合を近づくにつれて自然と固まっていくわけです。

西田有志選手

意識するのは相手ではなくて自分。
どんあ時にも動じす「無」に近い状態でやることが一番。

小平奈緒選手

評価の軸は人には決められるものではないと思います。
自分の正解が誰かの正解でもあるとは限らないですし、その逆でもない。
それにもっと大切なのは、自分の中に生まれてくる正解をたぐりよせられるかです。

saitani


目標とするコンピテンシー

2020年07月11日 10時15分15秒 | 教育論
学校において子供たちにこうなってほしいという目標が必ずある。
これがなければ、教育課程は組めない。
子供に期待する資質能力、コンピテンシーとはなにか、学校では明確になっているだろうか。
明確であると同時に具体的である必要性もある。
 
話題になった麹町中学校の目指す生徒像はこうなっている。

A 言語や情報を使いこなす能力
①様座な場面で言葉や技能を使いこなす
②信頼できる知識や情報を収集し、有効に利用する
B 自分をコントローする能力
③感情をコントロールする
④見通しをもって計画的に行動する
⑤ルールを踏まえて建設的に主張する
C 多様な集団の中で協働できる能力
⑥他者の立場で物事を考える
⑦合意を形成するために他者と協働する
⑧意見の対立や理解の相違を解決する

これは中学校ということもあるかもしれないが、小学校においても低学年から意識していく必要があると感じる。
世の中の変化と同時に、子どもたちが社会性を身につける速度も遅くなっていることを痛感する。
これらのことは、小さなときから段階的に指導することが大事であると思う。

saitani

時間の使い方

2020年07月08日 18時00分00秒 | 人生論
今年度の夏休みは新型コロナの影響があり、どこの学校もお盆を挟んだ2週間程度が予定されている。
この夏休みを子どもたちにどのように過ごさせるかも例年と異なる点である。
通常であれば、勉強は二の次で、長期休業にしかできない経験をすることが一番の目標にすればいいのだが、今年はそういうわけにもいかないだろう。

短い夏休みの前と後に何をして、どう指導するかも工夫が必要なところだ。

子どもたちに問う。
「人生とは何ですか?」
高学年なら様々な答えが出るだろう。
ある意味、哲学的な問いである。

ある人は言う。
「人生とは時間である。」
どんな時間を過ごすかは、どんな人生を過ごしたかと同じ意味だと言う。
夏休みは自由に時間が過ごせるだけに、自己管理ができないと無駄に過ごすことになる。

時間の使い方は三つに分かれるという。
「投資」「消費」「浪費」の三つ。
「投資」とは、自己投資。
将来の自分のための成長や自己研鑽のために使う時間。
「消費」とは、意味のないことではないが必要にせまられて使っている時間。
主体的に使っているとはいえない時間。
「浪費」は、無駄に意味なく過ぎていく時間。

時間を意味あるものにするには、日常をルーティーン化することも大事である。
その中で、一日の計画を立てて、使った時間が三つのどれに該当するのか、振り返ってみることにも意味がある。

例えば、夏休みの宿題であっても、自己課題を追求する過程は「投資」ととらえることもできる。
ドリル的なものに使う時間は「消費」となるが、工夫すれば「投資」になりうる可能性もある。

さらにこの三つをどういう優先順位でしていくかということも大事な視点である。
当然、時間は平等に与えられているが、どう使うかは本人次第なのである。
saitani