飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

カエルの登山 2学期のリスタートに…

2024年08月31日 05時23分03秒 | 学級経営
指示 今から「カエルの登山」というお話を読みます。
   カエルが出てきますので、カエルの行動について考えながら聞きます。

「カエルの登山」

一度は山に登って見たいと思っていたカエルが十匹集まった。
みんなで一緒に登ろうじゃないということになって、山の麓に集合した。
しかし、見送りに来た仲間たちはみんなヤジを飛ばすばかりだった。
「登れっこないだろ!行くだけムダだぜ!やめとけ、やめとけ」
そんな言葉を背に受けなから、十匹のカエルは出発した。
ぴょこぴょこと小さい足で跳ねながら、山に登っていった。

中腹にさしかかったところで、ウサギたちに会った。
カエルたちが「頂上まで登るんだ」と言うと、ウサギたちはすぐさまこう言った。
「頂上に登る?無理だ、無理だ!この山はものすごく高いんだ。
 そんな小さい足で登れるわかないよ!」。
これを聞いて、すでに疲れ切っていた五匹はあきらめた。

残った五匹の前には、いっそう険しい登り坂が待っていた。
やがてモミの樹海に入ると、こんどはマーメットと出会った。
「頂上までいくなんて、カエルさんたちには無理ですよ。
 あまり無謀です。
 とんでもないですよ!」
この言葉を聞いて二匹があきらめた。

残った三匹はなおも進んだ。
少しずつ少しずつ、とにかく頂上を目指して進んだ。
ぴょこんぴょこんぴょこんとー。

やがて今度は高山のヤギたちが現れ、カエルたちの様子を見て笑った。
「このへんで引き返したほうがいいんじゃないか?
 その調子じゃ、あとひと月かかったって頂上には着かないだろ。」
ここまでまた二匹が脱落した。

とうとう残りは一匹になってしまった。
しかし、この一匹はそれからずいぶんと時間をかけて、ついに頂上へと辿り着いたのだ。

その一匹が山を下りてくるのを待って、仲間たちがいっせいに聞いた。
「一体どうやって登りきったの?」。

(ここまで読み聞かせをする)

発問 頂上まで登りきった一匹のカエルに向かって仲間は聞きました。
   「一体どうやって登りきったの?」
   この一匹のカエルはなんと答えたと思いますか。

・頑張ったから。
・いろいろと言われたけど、気にしなかったから。
・自分の目標を達成したかったから。
・自分の気持を第一に頑張ったから。
・あきらめてしまった仲間の分も頑張ろうと思ったから。

※ここではお話の結末を告げずに次の発問をする。

発問 ここには「山に登るという課題」に挑戦したカエルが出てきます。
   大きく分けると二種類のカエルに分けられます。
   何と何ですか。

・山登り諦めなかったカエル⇔山登りを諦めたカエル
・山に登ることに挑戦したカエル⇔最初から山に登ることに挑戦せずに見送りにきたカエル

発問 山登りに挑戦したカエルにあった気持ちは何ですか?
  ・挑戦する気持ち
  ・勇気
  ・頑張る気持ち
  ・成長したいという気持ち

発問 山登りに挑戦しなかったカエルはどんな性格だったと思いますか?
  ・臆病
  ・慎重
  ・向上心がない
  ・自分の強い心がない

発問 山登りに挑戦したカエルは勇気があったといえますが、別の言い方をすると「向こう見ず」ちか「無茶をする」とも言えます。
   山登りに挑戦しなかったカエルは臆病とも言えます。
   「むこうみず」とか「無茶をする」というのはいいことですか。
   ふつうはいいこととは言えません。
   では、「臆病」はどうですか。
   あまりいい意味では使いませんね。
   「勇気がある」はどうですか
   いいことですね。
   この「勇気」は「無茶」と「臆病」の間のどのあたりにあるのでしょうか。

   【無茶・向こう見ず】ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【臆病】
                          〈勇気〉※無茶と臆病の真ん中?

説明 人は、臆病であってもいけないし、向こう見ずな無茶でもいけません。
   その間にある勇気をもって進むことが大切です。
   でも、もう少し考え。てみます。
   勇気は、向こう見ずと臆病の真ん中にあるように思いますが本当にそうでしょうか。
   実際は自分の行動の基準の勇気は、臆病に近いですか、無茶に近いですか?
   ・臆病に近い気がする。(多数)
   ・無茶に近い(少数)

説明 そうですね。
   人はふつうは、向こう見ずよりも臆病に近い位置で行動してしまいますね。
   したがって、実際の勇気の位置は、臆病に近いと考えられます。
   と言う風に考えると「臆病になるな!」というアドバイスよりも、「ちょっと無謀じゃないかな……」くらいがちょうどよい勇気の位置    
   なのだと私は思います。

発問 うさぎやマーメットやヤギは、なぜカエルたちに「お前には無理だ」と言ったのでしょうか。
   ・ぴょんぴょんはねてもせいぜい数センチ、それではいつもまで経っても山には登れないから。
   ・体力のかえるに登山は無理だから。  
   ・登山がカエルにはあっていないから。
   ・失敗することでカエルが傷つくのがかわいそうだから。
   ・挫折して悲しむカエルをみたくないから。
   ・自分たちも昔挑戦してだめだった。だから、無駄な苦労はさせたくなかった。
   ・自分たちがだめだったことを成し遂げてほしくないから。

発問 お話の結末をお知らせします。
   なぜ、1匹のカエルだけ登頂できたのか。
   お話の続きはこうです。

   その一匹が山を下りてくるのを待って、仲間たちはいっせいに聞いた。
   「一体どうやって登りきったの?」
   でもそのカエルはただ一言「何?」と聞き返しただけだった。
   そこで仲間たちはもう一度大声で聞いた。
   「どうやってこんな快挙を成し遂げることができたんだい?」
   するとおのカエルはまたしてもこう聞き返した。
   「何?何?何?」
   そのカエルは耳が聞こえなかったのだ!   

まとめ このカエルの登山のお話から学べることはこんなふうになると思います。
    ( )に中に想像して自由に言葉を入れてみてください。

    1 人は何事にも( 挑戦 )することが大事
    2 ( 挑戦 )しようとしている人には「ガンバレ」と励ます
    3 ちょっと( 無謀・無茶 )かなくらいがちょうどいい勇気の位置
    4 まわりの人の( 無理だ )を信用しない
    5 (付き合う)人を選ぶ。「無理だよ。やめとけ。」ではなく、「できるよ。頑張ってみろよ。」と言ってくれる人。
    6 自分を( 過小評価 )する人より( 過大評価 )してくれる人

saitani



   
    
     




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「問の文」への対応 その2

2024年08月30日 05時00分00秒 | 国語科
前回の続き。

引用の続き。「国語入試問題必勝法」清水義範著

「罠なんかあるんですか。」
「もちろんだよ。
 出題者の狙いは、いかに多くの者をひっかけて誤った答えをさせるか、というところにあるんだからね。
 まず、そのことをよく認識しておかなきゃいけない。
 国語の問題というものは、間違えさせるために作られているんだ。」
「はあ」
これまでの体験に照らして、ある意味では納得できる言葉だった。

「これは、問題文の論旨をもう一歩展開させたものなのだよ。
 よく読めば、わかることだが、ここに書いてあるようなことは、問題文には書いてないだろう。(一部略)」
「つまり、この文章から予想される結論とか、想像できる作者の主張という性質のものなんだよ。
 そこで、内容をある程度理解したものは、ついひっかかってしまう。
 だが設問は、文章の内容に近いものを選べ、だからね。
 作者の頭の中の主張を選べ、ではないんだよ。」
「深読みしちゃいけないってことですか」
「その通りだ」(一部略)

「さて。次を説明しよう。
 (5)これは引っかかるものが少ない単純な間違いだよ。
 その文章自体が矛盾していたりして、内容がおかしいものだ。
 数合わせのためのデタラメな文章だね。
 これはいい。

 そこで問題は(4)の文章のこれだ。
 なんだか、ちょっとピントが外れているという感じの文章だよ。
 確かにそういうことが書いてあるんだが、少しズレてるだろう。」

「あの、それもズレているとすると、結局選ぶべき正解がなくなっちゃいますけど。」
「そうじゃないよ。
 この種の問題の正解はこのちょっとピントが外れているという。
 つまり、この問題の正解は(4)」
「えっ。
 ちょっとピントが外れているのが正解なんですか。」
「問題文をよく読みたまえ。
 内容に最も近いものを1つ選べなっているだろう。
 内容を正しく要約したものを選べではない。
 考えてみれば、当然のことじゃあないか。
 そんな正しく要約した文章がこの中にあれば大多数の受験者が合格してしまう。
 それじゃ試験にならないだろう。」

一郎にとって、その言葉は頭を殴りつけられたしょうなショックであった。

「ちょっとピントが外れているのが正解だなんてこれまで考えたこともなかった。
 そうでなければ正解者が多くなるからって、そんなひどいトリックになっているとは。」
「インチキみたいですね。」
「それが国語の問題なんだよ。(一部略)
 でも、一番近いものをと言われたらやはり、これを選ぶしかない。
 問題作成者の意図は、そうやってちょっとピントを外して受験者の頭を混乱させることにあるんだよ。」

「これまで、この種の問題をやった時、間違えてしかも正解を見てもピンとこなかったのは当然のことだったのだ。
 最初から問題がどれを選んでもピンとこないように作られていたのだ。」

引用終わり。

「問いの文」に正対しなくてはならない。
問われていることに対して、正確に答えるのだ。
「自分の考え」を含めてはいけないである。

この物語をはじめに知ったのはテレビだった。
今から3年位前になるだろうか。
夜(深夜)テレビをみていると何やら受験生と家庭教師が話している場面が出てきた。
その家庭教師が月坂という名前だった。
月坂は、難解な大学入試問題をいとも簡単に正解していった。
あくまでもそれはフィクションではあるが、私が10年前に受けたショックを同類のものであると痛感した。

大学入試のために予備校に通っていた時のこと。
高校までに受けた授業とは全く異質の教育があった。
合理的と言うか、効率的といういうか、論理的というか、衝撃をうけた。
高校の授業では、受験は合格しないと初めて知った。
特に国語の授業は象徴的だった。
まるだ数学の方程式をとくかのように、記号を使い、内容の関係を不等号やベン図を使いながら明解に分析していく。
そして誰もがその手順によれば必ず正解にたどり着く。
そんな経験が自分にあったから、この月坂の言葉が絵空事ではなく、現実のこととして受け入れることができた。

(続く)

saitani

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「問の文」への対応 その1

2024年08月29日 05時09分04秒 | 国語科
1994年1月13日 学級通信Will第3集より

国語のテストについて意識変革が迫られた時期がある。
それは大学受験のときだ。
これまでの学校では全くと言っていいほど注意を払わなかったことのなかに大切なことがあった。
それは何か?

「問の文」に正確に対応すること

国語のテストで良い点をとるには「問題」が「要求する答え方」に忠実でなければならないのだ。
算数ではあまりこういうことはないのだが、(細かく見るとあるが)国語のテストの場合、「答え方の要求」を念頭に入れて解答するのとしないのとでは全く点数が違ってくる。

さらに、子供たたちがかわいそうだと思ったのは「どこで間違ったのか」ということをよく理解できないまま、テストの間違いをしてしまうことが多いということである。
どこで間違えたのかわからないのだから、それからもずっと同じ間違いをする繰り返していく。
勉強しても、勉強しても点が向上しないという結果になる。
だから、このことは決して小さなことではない。
どこかで直さないと大人になってもずっと続いてしまう。

テストというのは本来は「客観的なもの」だから、「自分の考え」などは最初から要求されていない。
正解者が100人いればの全員が同じ答えにならなければテストにならない。
この原則が崩れれば、客観的なテストそのものが存在しなくてってしまう。

だから、クラスを担任したときからずっと「問の文」について教えたきた。
しかし、これが結構大変なのだ。
例えば、「あてはまる文を書き抜きなさい」というごく初歩的なことでも、何度も何度も繰り返して教えなければならない。
1年間はたっぷり時間をかける。
1年間繰り返し指導しても間違える子もいる。

ここに面白い本がある。
結構有名な本なのでご存知の方も多いと思う。
題は、「国語入試問題必勝法」(清水義範)。
ことわっておくがこの本は受験参考書ではなく、一応小説である。
フィクションなのだ。
しかし、「問いの文の意図」をきちんと理解することの重要性がわかっていただけると思う。
長い引用する。

以下引用。

五つの中でどれが正解なのかは、そう簡単ではなかった。
どれもなんとなく問題文と同じことを言っているように思えるのである。
じっくり考えてまず(5)を除外した。
その文章だけは、何が書きたいのかよくわからなかったからである。
次に(4)を外した。
この文章だけは他と調子が違っていて、内容がみみっちいと思えるのだ。
(1)から(3)までなら、どれも正しいような気がしたが、考えて一郎は(3)を選んだ。
それが一番内容が立派で、文の作者が主張したかったことのように思えたからだ。
「答えは(3)だと思います。」
「どうしてそう思うんだね。」
一郎は自分の思考法を説明した。
いいとも悪いとも言わず、月坂は耳を傾けている。
話しているうちに、違っているのかな、と自信がなくなってきた。
一通り聞いてから、月坂は薄笑いを顔に浮かべて言った。
「典型的な誤りのパターンだね。
 きみの考え方はこの問題の出題者の罠にまんまとはまっている。」

(続く)

saitani
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ふるさとの木の葉の駅1 坂村真民

2024年08月28日 05時02分07秒 | 国語科
1993年12月3日 6年生での実践。

国語の授業で、年間いくつかの詩を扱う。
詩を読んでいくとき、情感豊かにう読み味わうことが目標のひとつにされている。
何度も何度も繰り返し読むことが、詩の読み取りの基本であることは言うまでもない。
しかし、授業で扱うからには、多人数で検討していくからには、最初と授業後では違った読みにならなければと思う。
それは感想の部分はもちろんだが、読解という部分においてでもある。
短い詩だからこそ、ひとつひとつの言葉にこだわり正確な読みをしていく必要がある。
この正確なよみの上に、初めて、情感豊かな読みが生まれてくるのである。

子どもたちに詩を提示した。
前時に時間があまったので黒板の詩を写しておくように言った。
その際には、
「行と行の間は、一行開ける。
 広く開いているところは二行あける。」
といった指示は4月当初からの約束になっている。

※以下教材文。

ふるさとの木の葉の駅   坂村真民

この駅で
いつも母が待っていてくれた

駅には赤いカンナの花が咲き
車窓にそれが近々と迫ってきた

母のいないさびしい駅を
わたしは 息をのんで過ぎていった

※教材文終わり

まず子どもたちに読ませた。
「ふるさとのきのはのえき さかむら…」
「先生、なんと読むんですか?」
「両方と読める漢字だと思います。
 その通りに読んでみてください。」
また読み始めた。
「坂村まみん このえきで…」
三人の子供に読ませたあと、読みを確認した。
真民…しんみん  木の葉…このは  車窓…しゃそう
さらに、「カンナ」という花も辞書をひかせた。

さらに最後の一行だけを数名の子に読ませた。
「今のちょっと違います。」
「今のはちょっといいです。」
というように評価していった。
子どもたちはその違いには気が付かなかった。
一文字文空いているところがあるのでそこは間を取る必要があるのだが、なかなか子どもたちは気が付かなかった。

指示 一度読んだら座ります。全員起立。
 ・各自で読ませて、読み終えたら座って黙読。

発問 題名は何ですか。
・ふるさとの木の葉の駅

発問 作者は誰ですか。
・坂上真民

発問「車窓」とあります。車の窓という意味です。「私」は何に乗っていますか。
・電車

発問 この電車は「木の葉の駅」にとまりましたか?
・とまっていない。
・とまっていると判断できる記述がない

発問 「母のいないさびしい駅を わたしは 息をのんで過ぎていった」
「息をのむ。」とはどんな気持ちが込められていますか。
・じっと耐える
・強い思いがこみあげる
・昔を思い出す

発問「わたしは 息をのんで過ぎていった」過ぎさる瞬間、どんな気持ちになっていると予想できますか。
・母親に会いたい
・もういない母親の姿をみているような気持ちになる
・つよい故郷への気持ち

発問 電車が走っています。
   視点が動いています。
   駅があります。
   はるか彼方から列車が来ます。
   視点が移動しています。
   その時、第一連をAとします。
   第二連をBとします。
   第三連をCとします。
   それぞれどのへんでABCを思ったのですか。

   駅のずっと手前     駅のホームの始まり     駅の中央     駅のホームの終わり          駅をずっと過ぎたところ
              ・「この駅で」・「赤いカンナの花」       ・「母のいないさびしい駅を」・「息をのんで過ぎていった」
                     ・「それが車窓に近々と迫ってきた」
指示 絵にかきなさい。
※簡単な絵を図示し、A、B、Cを書き込ませてもよい。

指示  黒板に絵をかいて、自分の考えを発表します。
   発表しなさい。(自由起立発表・討論)

指示 自分の感想をまとめます。

saitani


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横断歩道を渡りましょう 大人の問題

2024年08月27日 04時59分30秒 | 教育論
交通道徳という言葉があるが、本当に道徳なんてものなのだろうか。
交通に関するルールは便宜上人間が決めた規則にすぎないもので、道徳という人間的な普遍性をもった問題ではない。
所変われば、ルールもいとも簡単に変わる。
時代の価値観とともに変更されていく。
もっと言えば、世の中に絶対的なルールはなく、その時代や社会に中で人間が安心安全に暮らしていく配慮、気配りみたいなもの。
よく子供が「なぜ、◯◯しちゃいけないの。」と質問してくる。
大人は真面目に答えようとするが、本当の意味での答えがないのが現実だ。
「絶対にしちゃいけないことなんてほとんどない。
 けど、人間が社会という中で生きていったり、集団で生きていったりするためには、一定のルールが必要なんだ。
 だから、ルールを作り守ったほうが生活しやすいからだよ。」
くらいの答えしか、今の私にはできない。

子どもたちに「横断歩道を渡るルール」を教えるときに教師はどんな指導をするだろう。
「安全のために横断歩道を渡りましょう」と教えるのだろうか。
もちろんこれは正しい。
しかし、横断歩道を渡ってさえいれば安全だと子どもたちは勘違いしないだろうか。
五味太郎さんの「大人の問題」にこんな記述がある。

以下引用。

「横断歩道を渡りましょう」と言われて、言われるがままにまじめに渡ってて車に轢かれてしまった子供って、ほんとに気の毒です。
自分で普通の道を横断して、失敗して轢かれてしまった人より気の毒です。
自分で失敗した人はそれなりの納得がありますが、「横断歩道で轢かれた」では、文化というやつに裏切られた気がするに違いありません。
ですから、横断歩道というのは命の保障のゾーンじゃない、横断歩道を渡るときも普通の道とおんなじように緊張しなくちゃいけない、なにしろあそこは信号の点滅で歩道になったり車道のなったりするという不思議な空間で、一応安全の確率が高いということになっているわけで、そう信用しないでね、ぐらいは伝えておく必要があるのです。
 ルールの本質をもっとオープンに伝えてゆく努力を担当者はすべきです。
そして、それ以上の責任を背負い込むこともまた必要ないのです。あとはそれについて各自が責任をもってやってゆくというのが原則です。

引用終わり。

横断歩道を渡るときは、横断歩道ではないときと同じくらいの注意を払う必要がある。
決して安心安全な場所ではないことを強調して教える必要がある。

saitani
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修学旅行道中記4 二日目 

2024年08月26日 05時33分28秒 | 学級経営
次の日朝食。
みんな元気がない。
当たり前だ。
あれだけ前日にはしゃいでいれば。
さあ、二日目頑張るぞと自分に気合を入れる。

この修学旅行で1組の子供たちと記念撮影をしたい場所があった。
それは、神宮絵画館前。
食事が終わり、出発まで時間があまりなかったが、希望者を募り、朝の散歩にでかけた。
子どもたちがロビー前に集まった。

朝の神宮外苑はとても静かだ。
意味もなく走りたくなる。
子どもたちと早朝ランニング。
眠そうな顔をしているが、結構のってくれて大声を出しながら疾走した。
ほどなく記念撮影場所に到着。
絵画館前でみんなで青春ポーズをとって写真を撮る。
それからユニコーンのオブジェの前でも撮影。
夢がかなってよかった。
そう思っているのは自分だけだけど。

8時、フロントの方にお礼と挨拶をしてホテルをあとにした。
二日目最初の見学場所は国会議事堂。
私達は参議院を見学した。
22年ぶりの国会議事堂だった。
子どもたちもテレビでしかみたことのない場所を目の当たりにして感激していた。
緊張もしていたけど。
クラス全員で記念撮影。

このあと江戸東京博物館の見学。
そして国立科学博物館。
ここで昼食をとった。
午後2時出発。
最後の目的地、品川水族館へ。
イルカのショーをみたり、買い物をしたりして楽しんだ。
このあとは一路学校へと向かう。
途中も帰りのプロジェクトがレクをずっとしてくれた。
予定よりも15分遅れて学校に到着。
こうして1泊2日の修学旅行は無事終了した。
けが人や病人もでることなく全行程を終えられたことは何よりだった。

子どもたちがこの修学旅行で学んだことは価値のあることだと思う。
きっといつまでも心に残り、あたたかな思い出としてよみがえることもあるだろう。
いつの日か、鎌倉の地を訪れる時、雨の班別自由行動のことを思い出すに違いない。
また、再び東京を街を訪れる時、みんなで歩いた街並みや地下鉄のことを思い出すだろう。
私も同じ気持ちでいる。

今、クラスで歌っている歌がある。
「サライ」という曲だ。
そのフレーズにこんな詞がある。
「この街で、夢追うなら、もう少し強くならなけれりゃ 時の流れに 負けてしまいそうで」
この言葉を口ずさむとき、私は、あの東京の風景が浮かんでくる。
渋谷の歩道橋から見た夕日。
神田の古本屋街。
シャッターのしまった人気のない商店街。
夕暮れの公園に佇む人。
青春の夢に忠実に生きた時代だった。

saitnai


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修学旅行道中記3 鎌倉自由行動

2024年08月25日 08時18分46秒 | 学級経営
「行きのプロジェクト」により、数々のレクが行われた。
みんなで歌を歌ったり、しりとりをしたりと単純なゲームだがみんなでやるとなぜか楽しい。

途中、私の好きな湘南の烏帽子岩を紹介した。
これは私にとってはとても大切な思い出の風景なのだ。
その日もこんなふうに小雨の日だった…

昔、加山雄三さんは、あの烏帽子岩まで行きたくて、初めての自作のボートを作ったというエピソードも話したが、子どもたちは加山雄三さんを知らなかった。
このあと稲村ヶ崎を通り、七里ヶ浜へ出た。
江ノ電の鎌倉高校前の風景だ。
そうスラムダンクの聖地。
私は、このあたりが一番湘南らしくて好きだ。
だから、子どもたちにも、
「いいだろう。雰囲気がとってもハイセンスだろう。そこに見えてるパシフィックドライブインにも行ってみるといいよ。」
なんて趣味の押しつけをする。
子どもたちも同情の眼差しを送りながら、愛想笑いをしていた。

9時すぎに予定通り、高徳院鎌倉大仏へ到着。
みんな身支度を整えて、バスを降りる。
バスは先に集合場所である鶴岡八幡宮へ向かった。
残念ながら小雨が降っている。
大仏の前で、クラスごとに写真を撮ってもらう。
このあとトイレをすませて、大仏の中に入る。
「さあ、それじゃあ胎内にはいるよ。」
と声をかけると
「先生、もうとっくに全員見てきました。」
との返事。
しかたないので、「じゃあ、入ってないのは私だけか…」とぼとぼ入り口へ向かう。
受付の係の人に、
「あの、すません。
 もう、私の学級の子どもたち30名入ってしまったようですが、料金はおいくらですか?」
「600円です。」
「すみません。領収書もらえますか?」
と私。
「子どもたちよ、なんだ、だったら一声、入りますよと言ってくれてもいいじゃないか。」と心のつぶやき。

大仏横に全員集合して、主任の先生からの注意事項を聞いて、いよいよ自由行動。
このとき、さらに雨脚は強くなった。
子どもたちは、それぞれ計画のコースへと向かった。
これから数時間後、子どもたちはどんな顔をして鶴岡八幡宮にもどってくるだろう。
無事返ってきてくれることを願う。

午前9時30分、予定通り子どもたちは自分たちが決めたコースへと出発した。
いきなり出発からアクシデントが発生する。
「先生、長谷駅はこの道を右に行くんですか?」
「ちゃんと地図を見なさい。」
「先生、傘が壊れてしまいました。」
「売店で買いなさい。」
「先生、バスの中にお菓子を忘れてしまいました。」
「バスはもうここにいないから、我慢しなさい。」
こんなやりとりをしてなかなか出発しない班が多数。

教師も分担された場所へと移動する。
私の分担は、江ノ電で江ノ島まで行って、そこから湘南モノレールで大船駅まで出る。
そして、JR横須賀線で鎌倉駅というコースだ。
途中、長谷駅でチェックする班があるので一足先に長谷駅へ行って待っていた。

最後の班のチェックを終えて一緒に江ノ電に乗る。
相変わらず雨は降り続けている。
江ノ島駅に着くと、前に出た班が戻ってくる。
「すごい雨で大変です。
 びしょ濡れになってしまいました。
 海岸でお昼なんて食べられません。
 別の場所を探します。」
意外とお弁当食べられる場所がなく、結構苦労したらしい。

saitani
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言葉で紡ぐ人間の本質

2024年08月24日 05時00分00秒 | 人生論
「言葉で紡ぐ人間の本質」

何を言うかで知性がわかり
何を言わないかで品格がわかり
何を与えたかで人となりがわかる

何を考えるかで未来がわかり
何を信じるかで道が決まる

どんな時に笑うかで
その人の幸せがわかり、
どんな時に怒るかで
その人の価値観がわかる

誰と過ごすかで
その人の未来がわかり、
誰に感謝するかで
その人の心がわかる

何を学ぶかで
その人の成長がわかり、
何を教えるかで
その人の影響力がわかる

何に耐えるかで
その人の強さがわかり、
何を許すかで
その人の大きさがわかる

何に時間を使うかで
その人の優先順位がわかり、
何を諦めるかで
その人の覚悟がわかる

何を守るかで
その人の信念がわかり、
何を手放すかで
その人の成長がわかる

何に感謝するかで
その人の感性がわかり、
何を大切にするかで
その人の価値観がわかる

誰を信頼するかで
その人の人間関係がわかり、
誰に頼るかで
その人の謙虚さがわかる

何を恐れるかで
その人の弱さがわかり、
何に挑戦するかで
その人の勇気がわかる

どんな夢を持つかで
その人の希望がわかり、
どんな行動をするかで
その人の真実がわかる

saitani
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修学旅行道中記2 当日

2024年08月23日 07時30分39秒 | 学級経営
いよいよ当日だ。
前日の夜は、何度も天気予報をみた。
電話の177(当時は電話で確認していた)にも問い合わせ天気を確認した。
さらに心配になり、神奈川の天気予報まで調べたがどれもあまりよくない。
予報では、朝晩は雨、日中は曇り一時雨というところだった。
鎌倉班別自由行動の際に、雨が降っていては計画がだいぶくるう。
何より傘をさしての移動はつらい。
でも、自分は晴れ男だし、行事では必ず晴れにしてきた。
だから「絶対大丈夫」となんでか、妙な自信だけはもっていた。

夜もあまり眠れなかった。
別に興奮していたわけではないと思うが、何より心配していたのは遅刻だった。
担任の私が遅れたら話にならない。
何度も目覚ましを確認した。
けど、その気遣いは必要なかった。
なぜなら、午前2時半に目が覚めたあと、ほとんど眠れなかったからだ。
自分で「結構繊細な神経しているんだな」なんて感心してしまった。

午前5時には家を出た。
学校についたのは、5時40分頃だった。
あたりはまだ薄暗い。
子どもたちは大きなバッグをさげてぞくぞくと集まってくる。
午前6時、集合時刻には全員集まった。
あいさつをして、学年主任の先生の話をきいたあと、1組は1号車に乗り込んだ。
流石に子どもたちは心ウキウキで眠そうな子は一人もいない。

午前6時30分、定刻通り3台のバスは学校を出発した。
いよいよ修学旅行が始まった。
バスのフロントガラスに雨粒がつく。
「ああ、降ってきたな。
 でも、大丈夫晴れるさ。」
祈るような気持ちだった。

箱根を登っている途中で、すでに数名気持ち悪いと言い出した。
まだ、15分も経っていないのに。
気分の悪くなった子どもたちを前の座席に移動させる。
また、軽い子は窓を開けさせて外の空気に当たらせた。
箱根峠に近づくにつれて霧が濃くなって視界が悪くなった。
雨足も徐々に強くなっていく。

ふと気がつくと、どういうわけか私までが気分が悪くなってきてしまった。
原因はすぐに分かった。
このあと班別自由行動の際に使用する無線機(当時はまだ携帯電話というものが珍しかった)を調整していたからだ。
おまけに操作マニュアルを曲がりくねった道中ずっと読んでいたからだ。
バスにはほとんどよったことがない私も、本を読んでいるとさすがに車酔いする。
なんとか回復しようとしていい案が浮かんだ。
「そうだ。私がガイドになって喋り続ければ車いよいが治るかも。」
そこで、バスガイドさんから半ば強引にマイクを奪って話し始めた。

「皆様、左手を御覧ください。
 芦ノ湖が見えます。」
ところが子どもたちはキョトンとしている。
バスガイドさんは大笑いしている。
そこで、すかさず添乗員さんのツッコミが入る。
「先生、外!!」
そして、外を見ると当たり前なんだが、あたり一面濃霧のため視界ゼロ。
おまけに頭の中も真っ白。
これでは芦ノ湖なんて見えるはずもない。
「いつもは先生がおっしゃるように見えるんですがねえ。
 でも、今日は残念ながらちょっと…」
そんなガイドさんのフォローが虚しく社内に響く。

私はすっかい自信をなくしてマイクをガイドさんに丁重に返却。
小田原の箱根新道の出口を出る頃から「行きプロジェクト」によるレクが始まった。
まずは、伝言ゲーム。
これが結構難しい。
ローカル色豊かで、文の中に学校の近所の八百屋さんや肉やさんが出てくる。

saitnai
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修学旅行道中記1 前夜

2024年08月22日 05時58分54秒 | 学級経営
6年生の子どもたちにとって最大の楽しみはなんだろう。
それは修学旅行かもしれない。
小学校における宿泊行事は2つある。
一つは5年生の自然教室、もう一つはこの修学旅行だ。
友達と一緒に宿泊するという体験はそう多くはない。

自分は6年生を8回担任しているので少なくとも8回は子どもたちの引率経験がある。
そして級外となってからも数回引率したので、合計10回は引率している。
そのひとつひとつのことは思い出せないが、どれも楽しい記憶として心に残っている。
当日を迎えるまでに様々な計画を練る。
その殆どは、楽しい思い出づくりのためだ。
極論すれば、修学旅行は全員の子どもたちが「楽しかった」と言い、家に帰って思い出話を笑顔で家族に話してくれれないいと思っている。
何も学ばなくとも、楽しかった思い出さえ残れば自分は十分に満足だ。

学級通信には、できるだけ詳細に修学旅行に様子を書いて、保護者の皆様にお知らせする。
どんな修学旅行だったのかは保護者としては気になるところだろう。
子供によってはその様子をあまり話さない子もいるだろう。
そんな家庭のために、何か話のきっかけになってくれれば嬉しい、そんな気持ちをあって書いていた。
とは言え、所詮私の目から見た子どもたちの様子なので、偏見と偏りがあることはお許し願いたい。

以下、学級通信。

いよいよ待ちに待った修学旅行が明日に迫った。
今週の子どもたちの顔は、いつもとぜんぜん違う。
あいさつの声にも張りがあるし、いつもニコニコしている。
ちょっと気味が悪いくらいだ。
でも、当たり前なのかもしれない。
小学校生活をかざる、最初で最後の旅行なのだ。
私だって、何が楽しいかと聞かれれば、修学旅行と答えるだろう。
しかし、ここまでくるのにだっていろいろなことがあった。
班はどうやって決めるのか。
バスに乗る座席の位置は。
班別自由行動のコースは。
バスの中でにプロジェクトはどうするのか。

子どもたちは一つ一つのことにこだわりを持ち、話し合いを繰り返しながら決めていった。
そんな姿にも成長のあとが感じられた。

「自分が楽しいのはもちろんだけど、クラス全員が楽しいようなそんな修学旅行にしたい。」
そんな気持ちがよくわかった。

子どもたちと訪れる東京は、どんなだろう。
私はふと考える。
東京という街には愛着がある。
そこには美しい山もなければ清らかな川の流れもない。
しかし、私が5年間、過ごした街だからだ。
私にとって大切な時期を、青春の香りのする街だからだ。

15年前、高校を卒業し、たった一人親元を離れ、東京へ向かった。
これから始まる苦しい毎日を思うと不安なんて言葉では言い表せないほどの暗く沈んだ気持ちだった。
東京へ向かう夜汽車の中での心境は、ちょっと大げさかもしれないが、19歳の9月、野口英世が受験のために上京するあたり、生家の床柱に彫りつけたものと同じだった。
「志を得ざれば、再び此地を踏まず」
19歳立志の決意だった。

全力と尽くせばそれでいいなんて心の余裕はなかった。
結果がすべてだった。
とにかく結果を出さなければと思っていた。

saitani


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