下記の記事は東洋経済様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。
人はいつか老いて病んで死ぬ。その当たり前のことを私たちは家庭の日常から切り離し、親の老いによる病気や死を、病院に長い間任せきりにしてきた。結果、死は「冷たくて怖いもの」になり、親が死ぬと受け止め方がわからず、喪失感に長く苦しむ人もいる。
看取り士とは、余命告知を受けた本人の家族から依頼を受け、本人や家族の不安をやわらげ、思い出を共有し、最後は抱きしめて看取ることを支える仕事。時には単身者を支えることもある。
体調が急速に悪化していた藤井明(仮名・83)はひとり暮らしで、肺がんのステージ4。看取り士が藤井の夜間付き添いと看取りを担い、訪問看護師との二人三脚で、「在宅ひとり死」を支えた事例を紹介する。
「最期まで自宅で過ごしたい」に寄り添う
訪問看護師の内堀敬子(52)は、在宅医療はその病状によって、医療の隙間をうめる人が必要な場合もあると話す。
「私たちが利用者宅に滞在できる時間には限りがあるからです。藤井さんは、我慢できない痛みのつらさや不安から、夜間に電話をかけてこられることが多かったです。誰かにそばにいてほしい思いがひしひしと伝わってきました」
写真左より内堀敬子さん、白瀧貴美子さん(写真:白瀧さん提供)
藤井の希望は最期まで自宅で過ごすこと。内堀は看取りも近いと考えていて、残りの1、2週間を自宅で安心して過ごしてほしかった。2021年8月末の話だ。
そこで藤井には、元看護師である看取り士の白瀧貴美子(56)と、夜間付き添いを加えた派遣契約を新たに結んでもらおう、と内堀は考えた。それなら心理面もふくめて夜間の痛みにも対応できる。
内堀も看護師として働きながら、看取り士資格を取得。開業医の夫と連携して、2021年5月うちぼり訪問看護ステーション「桜乃(さくらの)」を愛知県岡崎市で開業した。そして白瀧が代表を務める看取りステーション「なごやかあいち」と、看取りサービスについて業務委託契約を結んだ。全国で初めての試みだ。
終末期の本人や家族の意向をふまえたうえで、内堀は従来の訪問看護サービス以外に、体調が急変しても救急車を呼ばず、自宅での穏やかな時間の中で看取りを行うサービスを、ワンセットで提供する選択肢を付け加えた。
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柴田久美子・日本看取り士会会長は、終末期の人には訪問看護師だけでなく、訪問診療医とも連携する動きがあると話す。
「藤井さんのように痛みが強く、ご不安の大きい単身者には夜間付き添いができる専門家が必要です。その場合、国家資格の介護福祉士や看護師免許を持つ看取り士を派遣します。終末期の方には、生と死の境界線上にあるいのちから目をそむけず、きちんと向き合う覚悟と経験を兼ね備えた人が必要ですから」
「俺は死ぬのか?」の質問に彼女は即答した
2021年9月上旬、内堀は白瀧と2人で藤井宅を訪れた。夜間に体の痛みなどに苦しむ藤井に、白瀧がその時間帯に寄り添ってくれることの安心感などを丁寧に説明した。藤井は悪化する体調と不安からか警戒心が少し解け、白瀧の話を聞こうという素ぶりを見せた。
「ですが、痛みに耐えながらも生き抜こうとされていた藤井さんには、『看取り士』という言葉への違和感と、『心身ともに弱っている自分から、お金を巻き上げるつもりか?』という不信感もおありになるようでした」
元看護師でもある白瀧は率直に語った。
藤井は白瀧の話を聞き、一升瓶に貯まった100円玉硬貨などを数えてもらい、必要な金額があれば契約すると決めた。
午後9時から翌朝7時まで夜間付き添い5日間と、白瀧が藤井宅へ通う交通費。看取りの費用をふくめた必要金額は22万円(料金は内容に応じて違う)。
一升瓶の硬貨を白瀧さんが数えた(写真:白瀧さん提供)
「お金を数えるだけで約1時間かかりました。5円玉や50円玉は別途ヒモに通して保管されていて、几帳面な方でした。10万円分を数え終えた時点で、藤井さんに『これなら22万円ありますよ』とお伝えすると、両頬に赤く血の気がさしたんです。それまでの青白く沈んだ表情とはまるで別人でした」(白瀧)
白瀧が数え終えると、藤井は笑顔で拍手をして、「やったー!」と声まで上げて喜んだ。両肩で息をし、体を動かすのも大変だったのに、だ。
藤井の3歳下の弟夫婦が車で約5分の所に暮らしていたが、弟は糖尿病で妻は世話に忙殺されていた。義兄の面倒まで見る余裕はないと藤井もわかっていたのだろう。藤井は真顔に戻って、白瀧に「俺は死ぬのか?」と聞いてきた。
「看取り士との契約を結ばれると安心されて、それまでどおりの穏やかな生活を送られる方が多いです」
白瀧が即答すると、藤井は短く「うん」と返した。言葉数が少ない人だった。
一方の内堀も、終末期の人に大丈夫と伝えることの大切さを指摘する。
「今、おうどん1本を食べられた。お水を1口、2口飲むことができた。『だから大丈夫ですよ』と私もお伝えします。それが希望になるからです。その『大丈夫』が1年、2年ではなく、この1日、2日の話だということは、ご本人もよくご存じですから」
生死の境でこそ1日1日を生き続ける
22万円を数えあげた当日から、白瀧による夜間付き添いが始まった。藤井は日々手書きでメモをつけており、白瀧は本人に頼んで後日見せてもらった。
「朝、喫茶店ではサンドイッチを半分しか食べられなくなった」
「ゆで卵一個は食べられた」
「弟夫婦と一緒にうどんを食べた。おいしかった」
いずれも自力で外出できていた頃のものだ。食への強い執着と食べられないことの戸惑い。その狭間で揺れながらも、行きつけの店に毎朝通い続けることへの藤井の執念が感じられた。
だが、もう外出する体力はない。ちなみに白瀧の派遣契約を決めた日は、「ひさしぶりに笑った」と書かれてあった。
白瀧が夜間付き添いを始めた頃はすでに介護用オムツをつけていたが、藤井はまだ自力でトイレに行くことにも強いこだわりを見せていた。
藤井さんの最期の日々に寄り添った白瀧さん(写真:筆者撮影)
「精神安定剤や医療用麻薬の服用も、当日の体調をふまえて自ら毎回調整していらっしゃいました。体調の良し悪しはあっても、頭は最後までしっかりとしていて、ご自分のことをつねに毅然と保とうとされていました」(白瀧)
白瀧がいない午前7時から午後9時までの時間帯は、無償ボランティアの「エンゼルチーム」10人が交代で訪れ、ひとり暮らしの藤井を支えた。白瀧は彼の弟夫妻にもチームに加わってもらい、兄の死を受け止める心の準備を進めた。
夜間付き添い4日目。藤井が母親に秘密でも伝えるように、「(おしっこが)出ちゃった……」と白瀧に打ち明けた。最期が近づくと全身の筋力が失われ、排泄もやがて我慢できなくなる。
少し前まで「自分を失いたくないから眠りたくない」とさえ話していた藤井が、心の鎧(よろい)を脱ぎ、そう伝えてくれたことが白瀧にはうれしかった。
彼女が口角を上げながら「もう頑張らなくてもいいですよ、任せてください」と伝えると、藤井はうんうんと黙ってうなずいた。
「元気な方から見れば、『死に近づく』過程かもしれません。しかし、私には、藤井さんが体の変化を毎回冷静に受けとめ、私に少しずつ委ねていかれるように感じました。その一つひとつを藤井さんの意思で毎回選びとり、あくまでも前向きに生き続けようとされているって……」(白瀧)
トイレに自力で行くことが、終末期の尊厳の「最後の砦」という見方がある。だが、白瀧は「最後の砦」の先に、藤井のいのちの輝きを見ていた。
火花が出なくなった線香花火は、燃え尽きる寸前にその火の玉を少しふくらませてぷるぷると震える。その震えこそが藤井その人である、と。
「ですから朝の日差しが部屋に入ってくると、『一晩をまた一緒に越えられた』と、日々感謝しました。数日後、朝日を浴びる藤井さんの姿がふいに神々しく見えて、『あっ、ご自身の死を受け入れていらっしゃる』と直感したら涙がこぼれました」(白瀧)
それが旅立ちの日になる。
5回の大きな深呼吸で彼が伝えたかったこと
藤井が努力呼吸(普段は使わない部位を使って呼吸すること)に変わったと、白瀧は内堀から連絡を受けた。藤井がお漏らしを白瀧に伝えた2日後、9月14日の夕方だった。
「13日の夜、藤井さんは言葉を発するのも難しくなりました。夜の11時頃に顔を見せた内堀さんに、藤井さんは辛うじて『キュッキュッ』と言われました。内堀さんは、子供がお風呂に浮かべて、手で押して鳴らすオモチャのことだと直感され、看護師仲間のお宅からすぐに借りてきてくれました」
藤井さんが使った「キュッキュ」の玩具(写真:白瀧さん提供)
内堀がオモチャを藤井に手渡して「おやすみなさい」と声をかけると、彼はそれを「キュッキュッキュッキュッ」と4回鳴らした。すると白瀧が内堀に、「『お・や・す・み』だって!」と言って笑った。
その夜の藤井は右手で白瀧の手を、左手で鳴るオモチャをまるでナースコールのブザーのように握り、自分で選んだ内服薬を飲み、穏やかな表情で眠った。
だが、翌14日にはオモチャを鳴らす握力もなかった。
白瀧が同日17時過ぎに藤井宅に駆けつけると、すでに弟夫妻などが集まっていた。藤井の妹がベッドに上がり、白瀧にうながされて左内ももに藤井の頭をのせて顔を近づけ、か細い呼吸に自身の呼吸を合わせ始めた。看取りの作法だ。
約1時間後、藤井が両肩を大きく上下させ、5回の深呼吸をして息絶えた。内堀が「『あ・り・が・と・う』だね」と言った瞬間、白瀧もそう直感した。
「藤井さんが夜に電話してきて、『体が痛い』などと訴えられて電話を切る際に必ず、『ありがとう』と言われていたんです。几帳面で律儀な方でした」(内堀)
内堀と白瀧のやりとりを聞いた弟夫妻も、「いいお看取りを見せていただきました」と目を潤ませた。
弟夫妻はベット脇に順番に腰をかけ、藤井の頭を太ももに上にのせ、顔を近づけて、背中に手を回して彼の温もりに触れた。兄に触れるのを当初拒んでいた弟も、その頭を太ももにのせると嗚咽しそうになるのを必死にこらえていた。
義理の妹が「お義兄さんは食べることが好きだったから、これからは私たちと一緒になんでも食べに行けるよね」と、その場を明るく灯すように言った。抱きしめて看取ったことで、藤井がそばにいると実感したからだろうか。
荒川 龍 : ルポライター