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独身か有配偶かで異なる男女の「人生」の長さ

2022-02-12 15:30:00 | 日記
下記の記事は東洋経済様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

この連載においても、また、上梓した書籍(『超ソロ社会』『ソロエコノミーの襲来』『結婚滅亡』)においても、私は終始一貫して「日本のソロ社会化は不可避である」ことを訴え続けてきました。それは、私個人の勝手な思い込みではなく、1990年代から始まる未婚化・非婚化の流れを冷静に分析すれば明らかです。
誰がなんと言おうとこの流れは止まりませんし、2040年には人口の半分は独身者になり、世帯の4割が一人暮らしというソロ社会時代がやってくるのです。そして、それは既婚者にとっても無関係な話ではありません。たとえ結婚したとしても、配偶者との離別や死別によって、誰もがソロに戻る可能性があります。子どもがいても生涯同居するわけではありません。
私たちは、一人になっても生きていけるか?
今回は、その問いについて、「寿命」や「死因」のデータを通じて、男女配偶関係別の「ソロ生活耐性」という視点から考えてみたいと思います。
未婚がいちばん死亡ピーク年齢が早い!?
まず、2018年の人口動態調査から、配偶関係別年齢別の死亡者数構成比をグラフにしたもの(次ページ)を見ていただきたいのですが、男女とも配偶者との死別者が最も長生きしています。これは、配偶者と死別すると長生きるということではなく、配偶者と死別するまで一緒にいた夫婦はそもそも死別前段階まですでに長生きだったということでしょう。
興味深いのは、未婚と離別という独身の死亡者の男女の違いです。男性は、未婚が最も死亡ピーク年齢が早く、死亡年齢中央値を計算すると約66歳でした。続いて短命なのは離別男性で、同じく死亡年齢中央値は約72歳。男性トータルでの死亡年齢中央値は約81歳ですから、離別は10年、未婚は15年も早死にしているということになります。

女性は有配偶より未婚・離別のほうが長生き!?
一方、女性のほうは未婚が82歳、離別が81歳と女性トータルの88歳よりは早いですが、男性ほどその差に開きがありません。何より、女性の場合、未婚および離別という独身のほうが、有配偶より長生きしている点が特徴的です。有配偶女性の死亡年齢中央値は約78歳ですから、有配偶男性の81歳よりも早いということになります。言い換えれば、結婚している夫婦の場合、女性より男性のほうが長生きだということになります。
もちろん、夫婦は夫が妻より年上の場合が多いので、実際夫が妻より先に亡くなるパターンが多くなるわけですが、配偶関係別に見た場合、女性は夫がいる有配偶状態が最も早死にしているという事実は驚きではないでしょうか。
配偶関係別の死亡状況全体の傾向をまとめると、男性の場合、有配偶より独身のほうが短命で、女性の場合は、独身のほうが有配偶より長生きという、男女で正反対の構造になっています。「一人になってしまうと生きていけない男、一人のほうが長生きできる女」と言っても過言ではないかもしれません。
では、それぞれの主な死因はなんでしょうか?
同じく2018年の人口動態調査から、代表的な死因を抽出して、男女配偶関係別に見てみましょう。
ご覧のとおり、総数では男女とも悪性新生物(いゆわるがん)による死亡が圧倒的に多いのですが、男女および配偶関係別に見ると違いがあります。

有配偶はがんによる死亡が最も多い
まず、男性ですが、有配偶ではがんによる死亡は最も多く36%であるのに対し、未婚や離別男性のがんでの死亡率は低いようです。その代わり、未婚も離別も自殺での死亡割合が高く、未婚で7%、離別で4%となっています。
しかし、これは、全年齢を対象としていますので、未婚の自殺割合が高くなってしまうのは、15~44歳までの男性の死因の第1位が自殺であるためで(2018年人口動態調査より)、決して「未婚だから自殺が多い」ということではありません。
後ほど出てくるグラフにありますが、45~64歳での自殺構成比は未婚より有配偶のほうが多く、さらに離別のほうが圧倒的に多いのです。離別男性の自殺が多い点については、以前『「離婚した男性」の自殺はなぜこんなに多いのか』という記事に考察を書いていますので、ご参照ください。
女性に関しても、男性同様、有配偶はがんによる死亡が多く4割近くを占めます。が、男性と明らかに違うのは「老衰」まで健康で長生きする率が高いことです。未婚で10%、離別でも8%、死別に至っては16%が老衰です。
配偶関係別の死因を45~64歳の年齢層で見てみると、有配偶男性と独身男性(未婚・離別)とがまったく正反対の傾向であることがわかります。有配偶男性の死因は、主に白血病を含むがんであるのに対して、独身男性は「糖尿病」「高血圧性疾患」「心疾患」など、主に生活習慣に起因する病気です。これは、独身男性が、外食やコンビニ弁当などによる高炭水化物・高脂肪の食生活や運動不足などに陥りやすいからと考えられます。
かといって、有配偶男性全員が独身男性より普段の食生活や運動などに気を使っているというわけでもないでしょう。有配偶男性は妻によってそこの部分をサポートしてもらえているだけの違いかもしれません。なぜなら、未婚男性と離別男性がほぼ同じ傾向だからです。
有配偶のがんの割合が多い理由は不明
むしろ、独身に比べて、どうして有配偶だけが45歳以上の働き盛り年代で、がんでの死亡が多いのかという点も気になるところです。まさか、有配偶環境下にあるほうががんになりやすいということはないでしょうが、それについては専門外なので言及を控えます。

この傾向は女性でも同じですが、より対称性が顕著なのは男性のほうです。男性と違い、女性では、有配偶女性のほうが未婚・離別女性よりも早死にする傾向がありましたが、死因から見た限りでは、その要因とみられるような特徴は見当たりませんでした。
これは「有配偶女性が独身女性より早死にする」というより、「女性のほうが一人で生きるソロ生活耐性が強い」とみるべきでしょう。例えば、孤独死はほぼ元既婚の高齢男性で占められるという事実からも、それは読み取れます。夫は、定年退職してしまうと外部コミュニティが妻だけになってしまいます。
一方、妻は、普段からママ友などの夫以外の外部コミュニティの充実化を図っているという違いも大きく影響していると言えるでしょう。言い換えれば、「男は職場や家庭など固定の居場所に依存し、女は子ども、友人など人に依存する」という違いだと考えられます。
いずれにしても、有配偶なのか、独身なのかによって、このように主たる死因も違えば、死亡の多い年齢層も違うというのは興味深い結果です。男女別や年齢別だけで統計を見ていると発見できないポイントです。寿命や死因に配偶関係という環境要因が影響していることは間違いないでしょう。
未婚者は社会のフリーライダーか
未婚化の話題では、既婚者から未婚者に対して以下のようなコメントが寄せられることが数多くあります。
「未婚者が生涯独身で過ごそうが知ったことではないが、結婚もせず、子どもを産まず、高齢者になった未婚者たちを支えるのが、自分たちの子どもたちだと思うと我慢ならない」と。
まるで、未婚者たちは全員社会のフリーライダーだといわんばかりですが、どうやらその指摘は間違いのようです。未婚だろうと、働いて税金を納めている以上、国民としての義務は果たしています。加えて、自身の年金もコツコツと積み立ててきました。
しかし、未婚男性の半分が66歳までに亡くなっているという事実からすれば、例えば、年金受給開始時期が65歳だとすると、ほとんどその年金を受け取らずに半数が力尽きてしまうということになります。フリーライダーどころか、ほかの皆さんのため社会のために尽力していたとも考えられるわけです。
とはいえ、短命な未婚男性が不幸だったとも言い切れません。自分の好きなものに積極的にエモ消費をして(『独身を幸せにする「エモい」という感情の正体』)、太く短い人生を本人として楽しめたのなら、それはそれで豊かで幸せな人生なのかもしれません。が、未婚男性の皆さん、くれぐれも食生活・運動など生活習慣には多少なりとも気をつけていただければと思います。
荒川 和久 : 独身研究家、コラムニスト

一人っ子男性が「結婚」に縁遠い傾向にある理由

2022-02-12 13:30:00 | 日記
下記の記事は東洋経済様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

みなさんは何人兄弟・姉妹ですか? それとも、一人っ子ですか?
そもそも今の日本は少子化なのだから、一人っ子が多いのでは、と思われるかもしれません。確かに、以前と比べて「一人っ子」比率は上がっているとはいえ、それほど劇的に増えたわけではありません。

日本では、かつて「夫婦と子2人」が標準世帯といわれた時代がありました。2015年国勢調査によれば、1人以上の子を持つ、44歳までの母親の同居児数の平均は1.83人でした。
2015年の出生動向基本調査においても、結婚継続15~19年の夫婦を対象とした調査では、子を持つ夫婦の平均は2.06人(子無しの夫婦も合算した完結出生児数は1.94人)でしたので、出産した女性はほぼ2人を産んでいると言ってよいと思います。
一人っ子は少数派?
つまり、夫婦と子世帯に限れば、依然として「夫婦と子2人」という標準世帯を維持しているということです。少子化という話題が起きるたびに、まるで女性が出産をしなくなったかのような誤解を招きますが、決してそうではありません。出生数が年々減少しているのは、子を産む対象年齢の女性人口が減少しているという「少母化」によるものです(『出生数90万人割れは「少母化」が最たる原因だ』参照)。
また、平均世帯人員数が4人に達しないのは、単身世帯や高齢の夫婦のみ世帯の急激な増加によるものであり、出生数の減少だけではないということはまず認識しておくべきでしょう。
さて、私の主宰するソロもんラボにて、1都3県の20~50代未既婚者約1万5000人を対象にそれぞれの兄弟姉妹構成について調査しています。それによれば、一人っ子18.3%、2人兄弟姉妹49.6%、3人以上の兄弟姉妹32.1%と、8割以上が2人以上の兄弟姉妹となっています。
厚生労働省が実施している『21世紀出生児縦断調査 第15回(平成28年)』の中に、2010(平成22)年に生まれた子どもの兄弟姉妹構成が掲載されていますが、そこでも一人っ子は17%にすぎませんでした。やはり、全体的に見れば、8割には兄弟姉妹がおり、一人っ子は2割にも達していない少数派になるのです。
そのうえで、ソロもんラボの調査結果を2015年国勢調査の配偶関係別人口と掛け合わせて、兄弟姉妹構成別の50歳時未婚率(生涯未婚率)を推計してみました。
男女とも「一人っ子」の未婚率は1都3県平均の男性25.2%、女性15.5%(全国平均は男性23.4%、女性14.1%)を超えています。男性に関しては、平均を上回っているのは「一人っ子」だけです。兄弟姉妹の数が多いほど未婚率は減少しているところを見ても、ざっくりいえば「2人以上の兄弟姉妹がいる場合は、結婚率が高く、一人っ子は未婚率が高い」と言っても支障ないでしょう。

付き合った異性の数を比較
続いて、それぞれの兄弟姉妹構成で、今まで付き合った異性の数、つまり、恋愛経験人数の平均値について比較してみましょう。恋愛経験なので、20~30代の未既婚男女だけに限定して比較したいと思います。
これによると興味深い傾向が見られます。未婚男性・未婚女性・既婚女性については、いずれも「一人っ子」の恋愛人数がもっとも少なく、兄弟姉妹数が多いほど恋愛人数も増えています。
しかし、なぜか既婚男性だけは、逆の傾向です。「一人っ子」の既婚男性が、ほかのどれよりも恋愛経験人数が豊富なのです。平均4.8人は、既婚女性の3.7人よりも多く、未婚男性の2.3人と比較すると倍以上の開きがあります。女性の「一人っ子」の恋愛人数が少ないのは、厳しい親の目の影響でしょうか。
要するに、「一人っ子」は、男女とも生涯未婚の可能性が高いのですが、恋愛人数に関すれば、既婚男性「一人っ子」のいわば独り勝ちなのです。これはいったい、どういうことでしょうか。
平均年収を比較してみると…
この連載でも「結婚と経済力の問題」について、たびたび話題にしてきました。未婚男性は「金がないから結婚できない」と嘆き、実際、未既婚男性を比較すれば、既婚男性のほうが高年収であることは明白です。
都道府県別の未既婚の年収比較はこちらを参照ください(『「金がないから結婚できない」と嘆く人の大誤解』)。「一人っ子」の既婚男性だけが突出して恋愛人数が多いのは、もしかして、彼らの年収が高いからでしょうか。同じ20~30代未既婚男女別に平均年収を比較したグラフが以下です。

既婚男性以外は、一人っ子だろうと、兄弟姉妹がいようと、年収に大きな差はありませんが、「一人っ子の既婚男性」だけは、突出して平均年収も高いことがわかります。50歳時未婚率だけを見て判断してしまうと、「一人っ子は男女とも結婚できない」と早合点してしまいがちですが、こうして、恋愛経験人数や年収なども加味して見ると、また違う景色が見えてきます。
よく「一人っ子」は、親の愛情を一手に受けて育ったため、わがままでマイペースで、一人遊びが好きで内向的な面がある分、協調性に乏しいなどと言われたりもします。
そう聞いてしまうと、「ソロ活」好きな特徴とも合致するため、「結婚に興味ないのだな」と思わず納得してしまいそうになりますが、「一人っ子」の既婚男性の豊富な恋愛経験を実現する社交性を考えると、一概にそうとは言えない気がします。
「貧乏子沢山」という言葉がありますが、あれはまったくの逆で、むしろ、世帯年収が低いほど子の数は少ないというのが事実です。2017年の就業構造基本調査から、夫婦と子世帯だけを抽出して「一人っ子世帯」と「2人以上の子を持つ世帯」の構成比を比較したのが以下のグラフです。

同じ「一人っ子」でも二極化
明らかに、低年収世帯に「一人っ子」は集中しています。世帯年収300万未満では7割を占めます。一人っ子世帯を、2人以上の子がいる世帯が上回るのは、世帯年収500万円以上です。
つまり、子どもを2人産み育てるためには500万円以上の世帯年収がないと厳しいということが読み取れますし、「3人産み育てる」のはそれ以上必要だということです。貧乏子沢山どころか裕福じゃないと子は産めないのです。
かといって、世帯年収が上がれば上がるほど子の数が比例して増えるかというと、そうでもなく、世帯年収1000万円あたりで頭打ちになり、世帯年収2000万円を超える富裕層になると、逆にまた「一人っ子」比率が増えてしまいます。言うなれば、同じ「一人っ子」でも、貧困層と富裕層に二極化しているのです。2番目の子を「経済的に産めない」前者と「選択的に産まない」後者とでは、子どもの置かれた環境は大きく変わるでしょう。
家庭の経済環境は、子の進学や就職に大きな影響を及ぼします。学力があっても、学費がないことで進学を断念し、高卒で就職をせざるをえない子も少なくありません。その逆に、親の信用や経済力で幼稚園からエスカレーター式に大学まで直行できる子もいます。
残念ながら、令和の現代でも、学歴はその後の生涯賃金に大きく反映します。厚労省の「2019年賃金統計調査」によれば、退職金を含まない正社員の生涯賃金は、大卒で大企業に就職した場合は3億1000万円ですが、高卒で中小企業に就職した場合は1億8000万円弱です。その差は、1億3000万円も違います。
親から受け継ぐのは、生物学的な遺伝子だけではありません。親の経済力もまた遺伝します。親の経済環境が、そのまま子どもの未来の経済状況を決定づけてしまう場合もあるからです。もちろん、親によって子の未来がすべて宿命づけられているとまでは言いませんし、子は子の人生を自分で切り開いていくことも可能ですが。
つまり、「一人っ子だから」という兄弟姉妹構成に、結婚や恋愛ができない直接的な要因があるわけではなく、とくに、結婚に際して自身の経済力を問われる男性にとって、「豊かな一人っ子」と「貧しい一人っ子」との間の明暗をくっきり分けてしまうのです。
経済的不安もなく自由に恋愛を楽しむ前者と、なかなか収入が上がらず、日々の生活に精いっぱいで、結婚どころか恋愛すらままならない後者との格差。これは、そのまま未婚化・少子化へとつながっていく問題でもあります。
荒川 和久 : 独身研究家、コラムニスト
続きあり

「交際経験がない」20代男性は約4割という現実

2022-02-12 12:00:00 | 日記
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2月・3月のビッグイベントといえば、バレンタインデーとホワイトデー。今や友人と交換し合う「友チョコ」、自分へのご褒美に買う「自分チョコ」などが主流になり、以前と比べるとイベントの恋愛要素が薄くなってきた。平成の約30年間で日本の姿は移り変わり、さまざまなものが大きく変化したが、その中の代表的な1つに「恋愛」があるだろう。恋愛のあり方、捉え方、その方法や優先度など30年前と今では大きく違う。
そもそも最近では、昔のように”デートって楽しい!””好きな人を意識して自分磨きを頑張りたい!”というように恋愛を意識した価値観や行動は以前より聞こえてこないが、20~30代の若者は、どんな恋愛をしているのだろう?
今回は、感覚的になりがちな恋愛や結婚について、データをもとにひもといていく。
20代男性の交際経験がない人は約4割
今の日本の恋愛観は、データで見るとどのような状態なのだろうか。直近の調査では、20代から40代の未婚者において、恋人がいない人の割合は約7割。さらに、20代男性に絞ってみると、1度も交際経験がない人の割合は約4割(女性は22.6%)いる。

現在、日本の結婚は約9割近くが恋愛結婚だ。現代の価値観では、恋人の有無や結婚をする/しないは選択肢の1つにすぎないのは前提であるが、恋人作りが結婚の第一歩ということを考慮すると、恋愛が活性化しない現状が未婚の要因にもなり、少し視野を広げて考えれば少子化の1つの要因ともいえる。
では、恋愛に対する意識はどうか。恋人が欲しい、欲しくないの「意欲」、恋人ができる、できないの「結果」、この2つの視点から見ていく。
まずは「意欲」だが、現在恋人のいない20代から40代の未婚者男女において、「恋人が欲しい」と考えている人は約56%であり、「欲しくない人」は約21%であった。欲しくない理由については「1人のほうが気楽だから」が最も高い。

「交際するのが怖い!」
この背景には、今の社会的な変化があるのではないだろうか。近年では相対的な正解よりも、絶対的な個人の納得が判断軸となり、多様な生き方が認められ、自立をベースとした「個」の時代になった。またその中でも、恋愛は、自分だけでハンドリングできることは少なく、結果は状況や相手によって変わり、明確になりにくい。非合理的な活動であり今の合理的な社会では、フィットしにくい人たちもいるだろう。
さらに年代別に恋人が欲しくない理由を見ていくと、現在の若者の特性も見てとれる。20代で突出して割合が高い項目は「交際するのが怖いから」だ。40代が6.5%、30代が11.6%に対して20代は22.9%とその数字は顕著だ。もちろん年齢が上がることにより交際への経験値が増えることで意識が変化する可能性を考慮したとしても、20代が「リスク」に対して敏感で、どこか失敗することを恐れていることも見えてくる。
高度経済成長やバブルのような社会的にわかりやすい成長を体験することなく、経済的にも政治的にも自然環境的にも不安定さがある中で生きている年代にとって「安定」は価値である。
加えて、昨今のSNSをはじめとした個人が簡単につながることができ、その内容がオンライン上にストックされてしまうと、1度失敗しただけでもその結果がいつまでもそこに残ってしまう。このように、自身のコミュニティ内で容易に情報は共有される中、より一層「リスク」に敏感になってしまうのだろう。
次に、「意欲」と「結果」を掛け合わせて「恋人は欲しいが、今はいない」という人を見ていく。
理由のトップは「出会いがない」であり、その割合は半数を超えている。欲しいという気持ちはあるが出会いがない、という状況を俯瞰してみると、彼らは「自分がいいと思える人と出会う機会がない」と感じていることがわかる。昨今、婚活サービスが急激に拡大しているのは、このような状況の中、自分の条件で効率的に相手を探し、出会える機会を提供している仕組みが広がったことが背景にあるだろう。
■恋人のいない理由上位3つ
(現在恋人がいない、かつ恋人が欲しい人)
1、出会いがないから(53.4%)
2、異性との出会いの場所がわからないから(35.7%)
3、異性に対する魅力に自信がないから(32.5%)
(注)複数回答
(出所)リクルートブライダル総研「恋愛・結婚調査2019」
一方で、恋人がいない理由は「出会い」だけではない。恋人のいる人との大きな違いは、「自身のいいと思える範囲」の設定にあると考えている。
「自らがいいと思える出会い方」を尋ねたところ、「恋人がいる人」のほうが、職場や学校など既存コミュニティ内でも、婚活サービスや友人の紹介など自身のコミュニティ外の出会い方でもいいと思っている割合が高く、その範囲が広い。
また、相手に求める条件について見ても、こだわりの数は比較的少なく、理想を追求しすぎていない。恋人がいない人は、出会い方や相手に求める条件など、いわゆる自分の理想を追求するあまりに、的が小さくなっているのかもしれない。
恋人がいる人、いない人の違い
では、恋人が欲しい人は具体的に何をすればいいのか。もちろん、個々の状況や求めることによって具体的な方法や心構えは変わるが、調査を分析していくと恋人がいる人には、一定の特徴が見てとれる。
例えば、「行動」だ。「恋人がいる人」は「いない人」と比べて、行動力があることがわかる。気になる人がいるときの行動もそうだが、日常的な行動も異なっている。とくに、行動量は他人との接点量と関係してくるが、「1年以内に接点をもった人数」を見ても、「恋人がいる人」は「いない人」の約2倍という結果が出ている。
恋人が欲しいのであれば、単に自然な出会いに期待して待っているよりも、自律的に自ら行動して出会いをつくりにいくことがカギとなりそうだ。前述したように「出会いがない」と悩む人も多いが、昨今マッチングアプリや婚活サービスなどもかなり充実。今や4人に1人が婚活サービスの利用経験があるという調査結果も出ている。
今も過去も恋愛の本質は、自分にフィットする人とコミュニケーションを取りながら、人間関係を構築することに変わりない。恋愛が人生のど真ん中にない現代の価値観の中であっても、これからも時代背景や価値観の変化に合わせてさまざまなサービスが生まれ、一般化していくことだろう。その中でも普遍的に大切なことは、恋愛を楽しんで相手との時間をかけがえのないものにすることだろう。
リクルートブライダル総研

秋篠宮さまがNY総領事と会談 異例人事の新任者に託した「安全とメディア」

2022-02-12 11:00:00 | 日記
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通された応接間で、男性はひとり、その屋敷の主人の到着を待っていた。底冷えする1月下旬の、重く静かな午前中。部屋がたたえる静謐な雰囲気が緊張をあおる。──外務省のキャリアとして、さまざまな外交の現場に立ち会ってきた。国内外の要人を接遇したし、海外の実力者とハードなネゴシエーションをしたことも一度や二度ではない。ただ、相手が“この方たち”となると話は別だ。
メガネの奥の目はどこか落ち着きがない。男性は恰幅のいい体を小さくして永遠にも思える時間を待っていた。張り詰める空気が突然揺れて、“この方たち”が部屋に入ってきた。秋篠宮ご夫妻だ。秋篠宮さまは、見慣れた通りのポーカーフェイス。紀子さまにいつもの微笑みはない。
男性がニューヨークの総領事に任じられたことを報告すると、ご夫妻は、神妙な面持ちで小さく頷かれた。その頷きに込められた意味は途方もなく大きい。もちろん“心当たり”はある。
ニューヨークに暮らす小室夫妻を取り巻く環境が大きく変わろうとしている。1月27日、秋篠宮ご夫妻は、お住まいの赤坂東邸(赤坂御用地)で、新たに着任したニューヨーク総領事と接見された。その新総領事は、森美樹夫氏。東大法学部から1985年に外務省に入省したキャリア官僚だ。
「キャリア官僚というと切れ者でドライなイメージがありますが、恰幅のよさも相まって、温厚で人情味に溢れた人物と評判です。学生時代は英語での演劇を行うサークルに裏方として所属し、入省後は主にアフリカや開発途上地域を担当してきました。
欧米の大国相手だとシビアでビジネスライクなやりとりを求められますが、アフリカの国相手だとコミュニケーション能力や義理と人情、つまり“人間力”で仕事が円滑にすすむケースも多い。森氏はまさにそういう仕事で力を発揮するタイプ。部下にも慕われる人で、穏やかで優しい人柄からかなりの艶福家だそうです」(外務省関係者)
別の外務省関係者が続ける。
「秋篠宮さまは、2007年に眞子さんを伴ってマダガスカルを旅行されたり、2012年にウガンダを訪問されたりと、幾度かアフリカ地域に足を運ばれています。森氏とは、公務に関連して顔を合わせ、面識があるようです」
森氏は、昨年1月に外務省の領事局長に着任した。それからわずか1年での異動というのは珍しいケースだという。
「さらに言えば、アフリカ畑の森氏がニューヨーク総領事になったことも、外務省内で驚きをもって伝えられています。その上、総領事が着任の際に皇族方に接見すること事態が異例です。接見が宮内庁と外務省のどちらの発案で実現したものかはわかりませんが、ニューヨークで暮らす眞子さんを思って、何かと気にかけてほしいという秋篠宮さまの直談判の気持ちがあったのではないでしょうか」(前出・別の外務省関係者)
秋篠宮さまが期待する役割とはどんなものか。
「ひとつは、何よりも安全対策です。警護がついていない分、テロの標的になることだって考えられる。実際、小室夫妻のニューヨーク到着時には、総領事館が手配した車が空港まで出迎えました。
もうひとつは、メディアのコントロールです。秋篠宮家に関する報道には、どんな内容であっても批判的な意見が出てしまう状態にあります。特にネットの書き込みは顕著です。そもそもニュースに取り上げられること事態を避けたいということもあるでしょう」(前出・別の宮内庁関係者)
森氏に話を聞こうとしたが「立て込んでいるので……」と沈黙をするばかりだった。ニューヨークは、一年で最も寒い時期を終え、春を待っている。眞子さんと小室さんの暮らしも、新しい後ろ盾を得て、暖かなものへと変わっていくのだろうか。

高梨沙羅に謝罪文を書かせたのはいったい誰か

2022-02-12 10:00:00 | 日記
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高梨沙羅選手はノルディックスキージャンプ混合団体の1回目ジャンプで失格となり泣き崩れました(ロイター/アフロ)
北京オリンピックに出場していた高梨沙羅選手が2月8日、自身のインスタグラムを更新し、その内容が大きな反響を集めています。
高梨選手は7日に行われたノルディックスキージャンプ混合団体の1回目で、スーツの規定違反による、まさかの失格。涙を流しながらも2回目のジャンプに挑み、見事に成功させましたが、その後は取材に応じられないほどの焦燥した姿を見せていました。
悲痛なほどに思いつめた謝罪文を投稿
インスタグラムにアップされたのは、下記の文章(原文そのまま)。
日本チームを応援して下さっている全ての皆様
今回、私の男女混合団体戦での失格で
日本チーム皆んなのメダルのチャンスを奪ってしまったこと、そして、今までチームを応援してくださった皆様、そこに携わり支えて下さった皆様を深く失望させる結果となってしまった事、誠に申し訳ありませんでした。
私の失格のせいで皆んなの人生を変えてしまったことは変わりようのない事実です。
謝ってもメダルは返ってくることはなく
責任が取れるとも思っておりませんが
今後の私の競技に関しては考える必要があります。
それ程大変なことをしてしまった事深く反省しております。
そして、私のせいでメダルを取れなかったにも関わらず、最後の最後まで支え続けてくれた有希さん、幸椰さん、陵侑、そして日本チームのメンバーの皆さま、スタッフの皆さまには感謝してもしてきません。
こんな私を受け入れてくれて本当にありがとうございました。
この度は本当に申し訳ありませんでした。
高梨沙羅
私が言える立場ではない事は重々承知の上で言わせていただけるなら、
どうかスキージャンプとゆう素晴らしい競技が混乱ではなく選手やチーム同士が純粋に喜び合える場であってほしいと心から願います。

高梨選手は2度の「申し訳ありませんでした」という謝罪だけでなく、「日本チーム皆んなのメダルのチャンスを奪ってしまった」「私の失格のせいで皆んなの人生を変えてしまった」「責任が取れるとも思っておりません」「大変なことをしてしまった事深く反省しております」などと悲痛な言葉を重ねました。
その文章と同等以上にショックの大きさを物語っていたのは、写真や動画がベースのインスタグラムに、背景が真っ黒の写真をアップしていたこと。その内容が人々の想像を超える深刻なものだったからか、9日朝の時点で2万6000件を超えるコメントが寄せられました。
また、9日朝の情報番組でもトップニュース級の扱いで報じられ、「めざまし8」(フジテレビ系)の「AI集計 記事アクセスランキング」で1位、「SNSから抽出 最新ニュースワードンキング」で2位を記録。今回は圧倒的に擁護の声が多かったにもかかわらず、報道の中には、「一部で批判の声が挙がっていること」を紹介する番組もありました。
なぜ高梨選手はこれほど思い詰めたような謝罪文を書かなければいけなかったのでしょうか。
「良い、悪い」を勝手に決める人々
まず一部で挙がっている批判の声に関しては、気にする必要すらないでしょう。批判の声は酷いものであるものの、ごく少数派に過ぎない以上、それをわざわざピックアップするメディアのほうが不自然。むしろ「批判はけしからん」と言うことで番組や記事への注目を集めたいメディアによるものとみなすほうが自然です。
また、その数日前に報じられた高梨選手のメイクに対する批判を結びつけて考察するメディアや専門家もいますが、そもそもこのような批判ありきの少数派意見を採り上げて得をするのは、そのメディアや専門家だけ。一方、そんなマッチの火を大火にするような報道を見て声を挙げる人々も「メディアや専門家の誘いに乗っている」という点で、問題の一端を担っています。
もともと批判ありきの声を挙げる人は以前からいましたが、やはりごく少数派であり、取るに足らない存在にすぎませんでした。最大の問題は、そんな批判を浴びせる少数の人々ではなく、他人の言動に「良い、悪い」を勝手に決めつけて悦に入る人が多いこと。そんな人が多いから、本来取るに足らないはずの批判をピックアップしてしまうメディアが後を絶たないのです。
高梨選手がこれほどのプレッシャーと責任を抱えることになってしまったのは、自分に直接関係のないことに対しても、「これは良い。これは悪い」と判断を下す人々が多いからではないでしょうか。さらに、もし「悪い」と判断されたら、日常生活に支障をきたすほどの猛烈なバッシングを受けるのですから、必要以上に落ち込んでしまうのも当然でしょう。
個人の尊重が叫ばれる中、アスリートに限らず芸能人や文化人などの有名人たちは、常にその言動を世間から「良い、悪い」と勝手に判断されるプレッシャーにさらされています。
今回が3度目のオリンピック出場となる高梨選手は、そんなプレッシャーを長年感じ続けてきただけに今回の結果は、「世間の人々から『悪い』と判断された」と感じたではないでしょうか。特に今回は国の名前で戦う団体戦だったため、高梨選手へのプレッシャーはさらに高まり、それがインスタグラムへの悲痛なコメントに表れていました。
藤井アナの言葉は本当に優しいのか
また、8日夕方に放送された「『news every.』(日本テレビ系)で藤井貴彦アナが高梨選手に向けて「もう謝るのはおしまいにしてください」などと語りかけたことが人々の感動を呼んだ」という記事をいくつか見かけ、ツイッターのトレンド入りしていたそうですが、これも耳当たりの良い言葉を並べただけで、同じ図式に過ぎません。
藤井アナが「高梨選手は良い」というメッセージを勝手に発信し、勝手に同調している人が多いだけであり、依然として高梨選手に「良い、悪い」のレッテルを選んで一方的に貼り続けている状態に変わりはないのです。
番組も藤井アナも視聴者も、今回は「良い」というレッテルを貼っているだけで、その図式に気づいていません。むしろ「日ごろから他人に『良い、悪い』のレッテルを貼ることをやめるべき」ということを発信する人が増えなければ、現状を変えることは難しいでしょう。
一方、「めざまし8」の谷原章介さんは、「『気にしなくてもいいよと言えば言うほど苦しんでしまうかな』と思うと、『僕たちはどうすれば彼女のことを癒してあげられるんだろう』と思うんですけど……」とコメントしました。ただ耳当たりの良い言葉を発するのではなく、「答えがわからない」ことを認め、「もっと考えていかなければいけない」というニュアンスを感じさせたのです。
さらに、「羽鳥慎一モーニングショー」(テレビ朝日系)の羽鳥慎一さんは、「これから帰国もされると思いますけど、『私たちは報道の仕方というのに気をつけていかなければ』と思います」とコメントしました。この言葉が最も本質をとらえていましたが、大切なのは今後、人々が他人に「良い、悪い」のレッテルを貼ることをあおるような報道は避けること。それを明言できないところにMCという立場の難しさと、もどかしさが感じられたのです。
人格者を思わせる最後の一文
高梨選手がインスタグラムへのコメントで、名前のあとに書き足された最後の文章が、彼女の人柄を物語っていました。
「私が言える立場ではない事は重々承知の上で言わせていただけるなら、
どうかスキージャンプとゆう素晴らしい競技が混乱ではなく選手やチーム同士が純粋に喜び合える場であってほしいと心から願います」
この一文で、「いかに高梨選手が利他的な素晴らしい人物であるか」がわかるでしょう。これだけ自分が追い詰められた状況においても、彼女が考えるのは競技や仲間たちのことでした。もしあなたが、そんな人格者に「良い、悪い」の判断を下しているとしたら、決まりが悪いのではないでしょうか。
もはや日本代表という立場も、団体戦というジャンルも、「国や国民のために戦う」というニュアンスは薄い時代になりました。今後、高梨選手がクリアな気持ちで「自分と仲間のために戦う」ことができることを願ってやみません。
木村 隆志 : コラムニスト、人間関係コンサルタント、テレビ解説者