私の父はお酒が好きな人だった。
仕事柄、柳橋や向島に繰り出すこともあったけれど、基本、家での晩酌を愛していた人だ。
個人商売を営んでいたから、家には、住み込みの人が何人かいた。
母は、お手伝いさんと共に、いつも、食事の支度に明け暮れていたようだった。
食事は、皆と一緒に食べるのが基本だ。
肉体労働で汚れた体を、近くの銭湯で洗い流し、てらてらと輝いた綺麗な顔で、モリモリと食事を食べるさまは、壮観だ。
母は、家族にも従業員にも、同じものを作った。
季節のモノを上手に取り入れ、作っていた。
今、自分が大人になって、母の偉大さがわかる。
父の食卓だけ、1~2品多かったけれど、それはお酒のおつまみだ。
鮭の燻製に始まって、このわた、からすみ、トビウオのくさや、などなど。
私は、お酒は今でも飲めないが、おつまみだけは、大好きだ。😊
毎晩、父の隣に腰掛けて、ちょいちょい、口に入れてもらってたからだ。
父は機嫌がよくなると、「かっぽれ」などの都都逸や端唄をくちずさむ。
お座敷遊びの一端を垣間見れた。
主人は、お酒は飲まない人だから、父は寂しく感じたことだろう…。
ところが、隔世遺伝ともいうのだろうか…。
孫(我が長男息子)がお酒を飲む歳になると、嬉しそうに杯を共に交わしたそうだ。
父は、体が頑強で、兵役も甲種合格の人だから、戦地(中国)へは2度も徴集された。
が、戦後、戦争の話は一切、しなかった。
いろいろ、苦労もあっただろうに、口をつぐみ、家族には話さなかった。
が、後年、孫には、断片的に、戦地での話を語ったそうだ。
長男は、お嫁ちゃんを連れて、たびたび、爺を訪ねていたそうだ。
娘には話さなかった戦争の話を孫には、話してくれたようだ。
先日、お嫁ちゃんが…
「私は、祖父母には恵まれず、顔も知らないんです。 蔵前のお祖父ちゃん(私の父)だけが、唯一、私のお祖父ちゃんです!」
と言ってくれた。
嬉しくて、涙が出そうだった…。
良かったね! お父さん!
一緒に、お酒が飲めて…。('ω')ノ🌸
寂しかった父の晩年のエピソードがわかって、娘としては、ちょっと、嬉しかった!
ちなみに、父は、俳優の池辺良氏似の格好いい、私の自慢の父だ。
(⌒▽⌒)アハハ!🌞