東大教授・山内昌之(やまうち まさゆき)氏は,産経新聞連載の「幕末から学ぶ現在」で,野田佳彦首相は,薩長同盟の立役者として,維新の十傑に数えられ“幻の宰相”と言われた小松帯刀に学べと説いておられます。その主旨を,以下にとりまとめます。
◆小松帯刀・番外編(上) 党内融和と大連立の先人 http://sankei.jp.msn.com/life/news/110915/art11091507290003-n1.htm
東大教授・山内昌之(やまうち まさゆき)氏は,産経新聞連載の「幕末から学ぶ現在」(2011/9/15)で,野田佳彦首相は,“幻の宰相”と言われた小松帯刀に学べと説いておられます。その主旨を,以下にとりまとめます。
出典:http://sankei.jp.msn.com/life/news/110915/art11091507290003-n1.htm
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野田佳彦新首相の誕生で連想したのは,薩摩藩の小松帯刀である。熾烈(しれつ)を極めた民主党の党内対立を解消しながら,大連立や政策協力などで野党との連携を実現するには相当なリーダーシップが要請される。
◎幕末の小松から学ぶ点は,卓越した構想力と実行力
野田氏が幕末の小松から学ぶ点は,保守的な気分の強い薩摩藩の指導部に身分の低い大久保一蔵(利通)や西郷吉之助(隆盛)を引き入れ,藩を明治維新実現の巨大エンジンに成長させたその構想力と実行力である。
多数の人材がいながら,個々バラバラに行動して藩内で血まみれの党争を繰り返し,多数の犠牲者を出した長州藩や水戸藩と違って,小松が政権の中心に据わった薩摩藩では,寺田屋事件を除けば「党内融和」というオトナの政治がおこなわれたのである。
有馬新七など尊皇攘夷(じょうい)過激派の藩士を粛清した寺田屋事件にしても,藩内の動揺を大久保とともによく抑えた。
徳川幕府という強大な敵を倒すには,薩摩一藩の力だけではおぼつかない。そこで他の藩との協力が前提となる。坂本龍馬の周旋とはいえ,長州藩との同盟は小松の周到な藩内根回しに加え,西郷や大久保との水際立ったチームプレーがなければ完全には実現しなかった。
宿敵だった長州藩との提携は,現在の与野党対立の解消どころではない。「大連立」に匹敵する衝撃以上のショックを幕府はじめ各藩の要路に与えたのである。
薩長連合という「大連立」によって藩論を倒幕に統一した小松の器は,いまでもゆうに内閣総理大臣が務まるほどの才にほかならない。それでは,彼の構想力と実行力は,どこから来たのだろうか。
その源泉は,藩の高級エリートとして保守門閥層を説得できる筋目や貫禄に恵まれていただけでなく,包容力の豊かさで下級藩士のラディカリズムを吸収する大らかな革命家という2つの面を持ち合わせていた点に尽きる。この資質は小松に独特なものであり,西郷や大久保にはなかった。
◎柔構造と弾力性を備え
小松は柔構造と弾力性を備えたリーダーであった。小松帯刀の姿は,現代政治にも豪胆さとともに緻密さが必要であり,多士済々の議論をまとめる政治家には変革への情熱を人格面でも分け隔てなく包容する大きな器が欠かせないことを教えてくれる。
民主党政権3代目でようやく出た“普通の政治家”を小松のような大器になぞらえるのは,ほかならぬ当人にとって面はゆいかもしれない。しかし,「西郷さん」というあだなのある野田氏にはその基本素質があることを期待したいものだ。
▼【プロフィル】小松帯刀
こまつ・たてわき 天保6(1835)年,薩摩(鹿児島)の上級藩士の家に生まれる。同藩の小松家の養子に入り,帯刀清廉(たてわき・きよかど)と改名。島津久光に登用され,文久2(1862)年に家老となり,藩政を指導。慶応2(1866)年,西郷隆盛らとともに薩長同盟を締結。維新後は新政府の総裁局顧問などに就任し,版籍奉還を推進するが病に倒れ,明治3(1870)年に死去した。
1835(天保6)年 喜入領主・肝属兼善(かねよし)の三男として生まれる。
1855(安政2)年 吉利領主・小松家の養子となる。
1856(安政3)年 篤姫,将軍家定の正室となる。帯刀と改名。火消隊長となる
1863(文久3)年 生麦事件が原因で薩英戦争勃発。
1865(慶応元)年 坂本龍馬,鹿児島着。京都小松邸で薩長同盟が締結。
1867(慶応13)年 城代家老に命じられる。戊辰戦争。江戸城無血開城。
領地・吉利領の返上を申し出,版籍奉還の模範を示す。
1868(慶応4)年 大阪で病死(36歳)
▼大久保利通
大久保 利通(おおくぼ としみち,文政13年8月10日(1830年9月26日) - 明治11年(1878年)5月14日)は,日本の武士(薩摩藩士),政治家。位階勲等は贈従一位勲一等。
明治維新の元勲であり,西郷隆盛,木戸孝允と並んで「維新の三傑」と称される。また維新の十傑の1人でもある。明治6年(1873年)に内務省を設置し,自ら初代内務卿(参議兼任)として実権を握ると,学制や地租改正,徴兵令などを実施した。そして「富国強兵」をスローガンとして,殖産興業政策を推進した。
▼西郷隆盛
文政10年12月7日(1828年1月23日) - 明治10年(1877年)9月24日)は,日本の武士(薩摩藩士),軍人,政治家。薩摩藩の盟友,大久保利通・や長州藩の木戸孝允(桂小五郎)と並び,「維新の三傑」と称される。維新の十傑の1人でもある。
島津久光と折り合ず失脚したが,小松帯刀や大久保の後押しで復帰し,元治元年(1864年)の禁門の変以降に活躍し,薩長同盟の成立や王政復古に成功し,戊辰戦争を巧みに主導した。江戸総攻撃を前に勝海舟らとの降伏交渉に当たり,幕府側の降伏条件を受け入れて,総攻撃を中止し江戸無血開城を果たした。
▼有馬新七
有馬新七(ありま しんしち,文政8年11月4日(1825年12月13日) - 文久2年4月23日(1862年5月21日))。 天保14年(1843年)より江戸で学ぶ。 安政4年(1857年)には薩摩藩邸学問所教授に就任。尊皇攘夷派の志士達と多く交流して水戸藩とともに井伊直弼暗殺(桜田門外の変)を謀ったが,自藩の同意を得られなかったため手を退き,結果的に水戸藩を裏切る形となった。 その後も過激な尊皇攘夷活動を続け,同志達と共に寺田屋に集っていたところを,同じ薩摩藩士らによって粛清された(寺田屋事件)。享年38。明治24年(1891年)12月17日,明治政府より贈従四位。
▼島津久光
島津 久光(しまづ ひさみつ)は幕末の薩摩藩における事実上の最高権力者で,公武合体運動を推進した。明治政府の内閣顧問,左大臣。玉里島津家初代当主。
島津氏27代当主(薩摩藩10代藩主)島津斉興の五男。同28代当主(11代藩主)島津斉彬は異母兄。曾孫に香淳皇后。玄孫に今上天皇。
藩内における権力拡大の過程では,小松清廉(帯刀)や中山中左衛門等とあわせて,大久保利通・伊地知貞馨(堀仲左衛門)・岩下方平・海江田信義・吉井友実等,中下級藩士で構成される有志グループ「精忠組」の中核メンバーを登用する。
◆寺田屋事件(寺田屋騒動)
江戸時代末期の山城国紀伊郡伏見(現在の京都市伏見区)の旅館・寺田屋で起きた事件である。以下の2つの事件が寺田屋事件と呼ばれる。
1.文久2年(1862年)に発生した薩摩藩尊皇派等の鎮撫事件
文久2年4月23日(1862年5月21日)に薩摩藩尊皇派が薩摩藩主の父で事実上の指導者・島津久光によって薩摩藩の過激派,有馬新七,柴山愛次郎らが鎮撫されたと言われる事件。寺田屋騒動とも。
この事件によって朝廷の久光に対する信望は大いに高まり,久光は公武合体政策の実現(文久の改革)のため江戸へと向かっていった。
2.慶応2年(1866年)に発生した伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件
慶応2年1月23日(1866年3月9日),「寺田屋遭難」で知られる事件は,京での薩長同盟の会談を斡旋後に薩摩人として宿泊していた坂本龍馬を伏見奉行の林肥後守忠交の捕り方が捕縛ないしは暗殺しようとした事件。
◆蛤御門の変
1864年(元治元年)7月,前年の八月一八日の政変で京都を追われた長州藩が,形勢挽回のため京都に兵を進め,会津・薩摩藩などの兵と蛤御門付近で交戦して敗れた事件。
長州藩が京都に出兵し,会津・薩摩(さつま)などの藩兵と蛤御門付近で戦って敗れた事件。前年八月の政変で失った長州藩の勢力回復を図ったもの。
これを機に,江戸幕府の第一次長州征伐が行われた。
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