幕末、小松帯刀は薩摩藩の家老として、大政奉還などを巡り朝廷や幕府を相手に交渉するなどの活躍で知られる。
この小松帯刀を輩出した小松家は、江戸時代の中期に、それまでの「禰寝(ねじめ)」姓から「小松」に変わったとする文書が,このほど帯刀の子孫の東京の自宅で見つかった。
「小松」は平安時代に朝廷と関わりがあった姓であったことから,専門家は「朝廷の権威を背景に、小松家は重要な役割を果たすようになったのではないか」と考察する。
文書には、江戸時代中期に今の鹿児島県日置市の領主だった禰寝(ねじめ)氏が、「薩摩藩から許されて『小松』と名乗るようになった」と記されている。
禰寝氏は、平清盛の息子、重盛の子孫で、重盛が平安時代に朝廷で「小松内大臣」と呼ばれていたことから、「小松」姓を名乗ったとみられるということである。
◆小松帯刀の生涯
1835(天保6)年 喜入領主・肝属兼善(かねよし)の三男として生まれる。
1855(安政2)年 小松家の養子となる。
1856(安政3)年 篤姫、将軍家定の正室となる。
帯刀と改名。火消隊長となる
1863(文久3)年 生麦事件が原因で薩英戦争勃発。
1865(慶応元)年 坂本龍馬、鹿児島着。京都小松邸で薩長同盟が締結。
1867(慶応3)年 城代家老に命じられる。
江戸城無血開城。
小松 領地・吉利領の返上を申し出,版籍奉還の模範を示す。
1868(慶応4)年 大阪で病死(36歳)
ちなみに,小松は西郷隆盛よりも7歳,大久保利通よりも5歳年下であった。
phote: 小松帯刀と小松家の墓地(日置市吉利)
◆小松帯刀 アーカイブス
・野田首相様 “幻の宰相”小松帯刀に学ぶ-1
・小松帯刀にゆかりの鹿児島・吹上酒造
・島津斉彬が登用 小松帯刀
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「禰寝(ねじめ)」姓から「小松」への改姓は、当時の“都(みやこ)への憧れ”が強く反映されているのでは。今なら、頑なに「禰寝」姓を名乗っていた方が“ぼっけもん”なのでは?